5.気付いてしまいました
「どうして、ここに」
それはこちらの台詞ですとは、言えなかった。
手を引かれたどり着いた先に、人形さんがいる。
どこにでもあるような、特徴を探す方が難しい民家の前。
しっかりと手首をホールドされた状態で訳が分からないまま、私はそこにいた。
「……桃」
「ふっふっふっ、良いでしょ羨ましいでしょ」
「…………」
何故か目の前で人形さんと佐々木さんがにらみ合いをしている。
どれだけ沈黙が続いただろうか。
人形さんの視線がゆるゆると下へと移っていった。
そしてたどり着いた先はホールドされた私の手。
「っ、に、人形……さん!?」
不意に空いてる方の手が引っ張られる。
まるで踏ん張りの効いていなかった足はあっさりともつれて体が傾いだ。
転ぶかもと咄嗟に目を閉ざした瞬間、何か温いものが当たる。
直後に上半身を包み込むように何かが当たって、目を開いた。
目に写ったのは、赤のネクタイだ。
「ちょっと!」
「うるさい、桃。この子が驚く」
「こっちの台詞!」
後ろから佐々木さんの声が聞こえる。
すぐ近くから人形さんの声が響く。
ようやく人形さんに抱き止められているのだと理解した。
当然のように体が硬直して動けない。
「今日は私のお客さんなんですー。その手さっさと離してよ」
「無理やり連れてきたように見えるけど? 強引なのはどうかと思う」
「それもこっちの台詞なんですけど!? さっき笹部さんが居なかったのだって大方あんたのせいなんでしょ!?」
「さあ、どうだろうね」
ああ、どうか私にも少しは分かる会話をしてはくれないだろうか。
人形さんと佐々木さんの関係性はなに?
どうして私はここにいるの?
人形さんもどうしてここに?
聞きたくても私の能力では、上手にこの会話に割り込めない。
ぎゅっと強く抱き込まれて思考がぼける。
……というか、少し息が苦しい?
気付いた時にはすでに視界が白んでいた。
ぼけた視界と、多くの疑問と、極度の緊張。
少しまずい息苦しさであったことにまるで気付かなかった。
「……あ」
「笹部さん!?」
膜の向こうで慌てた声が聞こえる。
力の抜けた体に、意外と力強い腕を感じた。
「ちょっと、詩音ジャマなんだけど?」
「それはこっちの台詞。桃こそ邪魔」
「だから今日は私のお客さんだって言ったじゃん」
「関係ない。この子は俺の」
「うわ、何その俺様発言」
「桃だって無理やり連れてきたくせに」
「無理やりじゃない。ちゃんと了承取った」
「どうだか」
賑やかな声で意識が覚醒する。
一瞬どういうことなのか混乱しかけて、状況を思い出すのにそう時間はかからなかった。
「大体、先に笹部さん見付けたの私なんだからね」
「先に会話したのは俺の方」
「さ、先にお返事もらったもん!」
「残念。先に触れたのは俺」
……けれど、どうにも目を開けにくい状況だった。
何故だかまるで分からない。
ただただ何故だか2人は私のことで難しい言い争いをしている。
とても……ものすごく目覚めにくい。
「はあ、どうして詩音と私、こうも趣味思考が近いんだろう。こういう時嫌になる」
「良いじゃないか、巷ではこういうの仲良し兄妹って言うらしいよ」
「詩音と仲良しでも何にも嬉しくない」
「それは良かったね、俺も同じだよ」
「うわ、その発言笹部さんに聞かせてやりたい。普段の詩音は猫かぶりで本性は腹黒だってさ」
「あはは、それを言うなら君も同じじゃないか。ほら、俺達“似たもの兄妹”らしいし」
「……本当嬉しくない」
「同族嫌悪ってやつだよね。全く同感だよ」
会話の内容はとても刺々しい。
けれど、なぜだか微笑ましくて思わず頬が緩みそうになった。
気安い、けれど楽し気な会話。
本当に仲が良くないと出来ないだろう会話。
空気が温かいと分かるから。
そうして耳を傾け続け、たっぷり数拍置いて私は気付く。
兄妹。
その言葉が幾度出たことで、この2人の関係性がようやく分かったのだ。
驚くのと同時に、妙にしっくりとくる。
だって何だか似ていると思ったから。
雰囲気や言葉が。
「あーあ、本当私には勿体ないくらい可愛いなあ笹部さん。友達になれるかなあ」
すぐ近くで私に届く佐々木さんの声は、いつまでも優しかった。
勿体ない。
可愛い。
友達。
そのどれもが私には結びつかない言葉だ。
とても信じられなくて、けれど傲慢にも期待してしまう。
高校デビューは、失敗してしまった。
人と接することが、今もとても怖い。
けれどそう思ってくれた人がいたのだと、少しは自信を持って良いのだろうか?
佐々木さんに、ありがとうと言うくらいは許されるだろうか。
「……良いな桃は。友達になりやすい位置で羨ましい」
「は?」
「俺なんて学年も違えば性別まで違う。ハードル高いんだけど」
「何だ、そんなこと。いや、待って。ふふん、良いでしょ」
「……何言い換えてるわけ」
「あはは、久しぶりに詩音より優位に立てると思ったら嬉しくて。……ま、実際リードされてるけど」
「うん?」
「何でもない」
勇気を出して声をあげようとした瞬間、人形さんの方からも声があがった。
拗ねたような怒ったような、私はあまり耳にしたことのない言葉達。
私に対してよりもきっとうんと素に近い人形さんの言葉。
ツキンと、なぜだか胸が痛くなって苦しい。
何故だか、分からないけれど。
「……本当、桃はずるい。俺は1日10分ちょっとしか会えない」
「まあ同じクラスだからねー、1日数時間同じ空気を吸えるよね」
「……でもいつもこの子から会いに来てくれるけどね」
「……私に嫉妬してんのか、自慢したいのか、どっち」
ああ、こんな風に私のことを言っている人達にだなんて会ったことがない。
どういう反応が正解なのか分からない。
けれどいい加減ムズムズとして寝たふりも限界だ。
どのタイミングで起きれば良いのだろうか。
もう顔が熱くて仕方がない。
息の仕方が難しい。
ギュッと目を強く閉ざした後、勢いよくガバッと起き上がった。
反応が怖くて、目を開けられないけれど。
ダンゴムシのように丸まって動けないけれど。
「……やだ、起き方まで可愛い」
「桃、邪魔。挨拶は、俺が先」
「何その俺様ルール。私が先」
「俺」
緊張しすぎて心臓がバクバクと煩い。
その向こう側でやっぱり何だか2人が言い争っている。
けれどやっぱり私を拒んだ様子のない雰囲気に目を開ける勇気が湧いた。
そろりそろりと片目ずつ開けていく。
「あ。おはよ」
人形さんが思った以上の近距離でそう首を傾げた。
びっくりして少しのけぞってしまう。
「笹部さん、大丈夫? ごめんね、うちの非常識な兄が!」
「ちょっと桃」
「何? 嘘は言ってないでしょ」
バランスを崩しかけた私の両手を強く引っ張り支えてくれたのは佐々木さんだった。
人形さんと言い争いながら、心配そうに顔を向けてくれる。
「えっと。その。お、お、おはよう、ございます」
一拍遅れた挨拶に、佐々木さんがパアッと笑んで近くなった。
ガッと音が鳴りそうな勢いで抱き付かれる。
「可愛い! おはよう!!」
思いの外強い抱擁に、言葉を見失った。
どういった反応が良いのか分からなくて目をあちこちにさ迷わせる。
そんな私を眺めて変わらぬ表情の人形さんがまた首を傾げた。
「おはよう」
「あ……おはよう、ございます。人形さ……じゃなくて、えっと」
「“人形さん”で良いよ?」
「で、でも」
「じゃあ、詩音で。俺の、名前」
「し、シオン……先輩?」
「……ん。呼び捨てでも良いけど」
「っ、あ、えと」
「ん?」
「い、いいえ!」
詩音、先輩。
初めて知った人形さんの名前。
請われるままに呼んでみると、人形さんが笑う。
そう、笑うのだ。
今まで表情の変わったところなんて見たことが無かった。
彫刻品のように、一級品の芸術品みたいに、とにかく整い続けていた人形さん。
それが、ぼやけた視界の先でもはっきりと分かるほどに笑んでいる。
目が少しだけ細くなって、口が少しだけ引きあがったのがこの視界でも分かるのだ。
……どうしよう。可愛い、の、かも。
思わず見惚れてしまって、言葉を失った。
ドキンドキンと胸がうるさくて仕方がない。
どうしよう、どうしよう。
そうやってぐるぐる考えながら、ひたすらに対人能力の低い私は、それでも気付いてしまった。
好き……なのかも。
一目惚れ、なのだろうか。
生まれて初めて自覚した、淡い想いだった。