表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/20

4.人形さんは少しマイペースです


「こんにちは」

「こ、こんにち、は」


今日も人形さんは地べたに座り気だるげに私を見つめた。

表情はやはり変わらない。


「はい、椅子」


今回はきちんと椅子を用意して待っていてくれた。

位置は人形さんの目の前、真正面だ。


相変わらず緊張が解けない私にその椅子はハードルが高い。

けれど人形さんは急かすように再度ポンポンとその椅子を叩いて私を促す。

逆らう勇気と目の前に座る勇気が天秤にかけられ、結局後者が勝った。

おずおずと用意された椅子に座る。


「ん、良い子」

「っ?! あ、あ、の……!?」

「今回は逃げられないように。これ、セクハラかな?」


膝に乗ったのは人形さんの頭だった。

かなり変則的な膝枕。

その衝撃的な感触に驚けば良いのか、セクハラという言葉に反応すれば良いのか分からない。

いつものように思考を停止させ固まった。

当然返事など出来るはずもない。


「来てくれてありがとう」

「え、え……?」

「こんな好き勝手する人形、嫌かなと思って」


ごめんと、人形さんが謝る。

パチパチと目を瞬かせ、人形さんのつむじを見つめた。

人形さんとの間に数分の沈黙が流れる。


「……人形じゃ、ないです」

「うん?」

「人形さんは、人形じゃない……です」


全く上手なフォローは出来なかった。

嫌なわけがないと、そう言えば済む話だ。

こうして足を運ぶのは、会いたいと思ったからだと。

人であろうと人形であろうと、人形さんの纏う空気は柔らかく居心地が良い。


むしろごめんなさいは自分なのだと思う。

勝手に人を人形と間違えてペラペラどうでも良いことを話し続けていたのだから。

けれどそんな膨大な想いは上手に脳内でまとまってはくれないし、言葉となって表にも出てこない。


「ごめん、なさい」


結果、謝る言葉だけがこぼれて落ちる。

視線の先でさらりと髪が揺れた。


「……やっぱり良いなあ、君」

「……え?」

「うん、人間で良かった」


少しだけ独特のテンポで、少しだけ変わった言葉を使う人形さん。

それでも彼は私の言葉を否定することは無い。

著しく自尊心の低い自分を良いと言う。

一瞬聞き間違えかと思った。

もしくは人違いではないかと。

けれど彼はそこでゆるく息を吐き出し、心地良さそうに寝息を立て始める。


「え、あ、あの……人形、さん?」

「んー……」


足にかかる重みが一気に増した。

慌てたのはこっちの方だ。

どこか遠くで鐘が鳴る。

人形さんは膝に体を預けたまま。


「に、人形さん……!」


このままでは授業に遅れてしまう。

焦り慌てて躊躇う余裕はなかった。

ユサユサとその体に触れて揺する。

どうにか起きてくれないかと頭を柔くポンポンと叩く。

さすがに煩わしかったのだろうか。

今までだらんと垂れ下がっていた彼の手が意思をもって持ち上がる。


「え!? に、人形、さん!?」

「も、少し……だけ……」


私の手を大きな手がすっぽりと包む。

見た目の華奢さに似合わずゴツゴツと節のある固い手。

彼の声色も頭の重みもとても力を抜いた状態だと分かるのに、握りしめる手の力だけがとても強い。


「じゅ、授業、が……」

「う、ん……ごめ……ん」

「あの、人形さんも授業」

「ご褒美……くれたら、出るから……」


そしてそれ以降、人形さんから声は聞こえなかった。

ただただ静かな寝息が届く。


人生で初めてのサボり。

真面目なことしか胸を張れることがなかった私は、しばらく呆然としてしまう。

まさか自分が授業をサボる日が来るなんて。

思った以上にショックを受けている自分がいる。


「んー……」


……けれど、ひどく気持ちよさげに眠る人形さんの側はやはり居心地が良かった。

さらさらと揺れる髪に、空いている方の手で恐る恐る触れる。

そっと、起こさないようにゆるゆるとその形の良い小さな頭を撫でればほんのりと心が温かくなった。

心臓はバクバクと大音量で鳴り続けているけれど。

とても手放し難いと、そう思ってしまった時点で私も同罪だ。


握られた手は温かいを通り越して、汗ばんでいる。

彼の頭が乗った足は、少しだけ痺れて感覚が鈍い。

物音ひとつしない午後の準備室。

ぼやけた視界では、窓の外の風景など分からない。

両手はふさがり、視界はぼけて、足は動かない。

穏やかな時間がただただゆるゆると流れていく。

けれど暇だとは、思わなかった。

刻々と過ぎていく時間が、惜しいと思った。


「よく寝た」


きっちり終業の鐘がなる直前に人形さんは起きる。

眠気眼であろう人形さんの表情は、私の視力では残念ながらはっきりと見れない。

ただずっと握られていた手がするりと解かれたことにほんの少し寂しさを覚えた。


「ごめん、我が儘して」


そうして自分から離れた人形さんは、目の前に正座して頭を下げる。

ぶんぶんと頭を横に振った。

授業をサボってしまったことはいただけない。

けれど彼を叱り払いのけ授業に戻ればそれで済んだ話なのだ。

それにこのゆったりとした時間をしっかり満喫してしまった手前、とても人形さんを叱れなかった。


「ご褒美、くれたからお返しするよ」

「お返し……」

「うん、君の言うこと何でも聞く」


こてんと首を傾げる人形さんに、もう何も答えられない。

お返しというにはあまりに大きすぎないだろうか。

何でもなんて、気軽に言って良いことではない。

その上、会話も意思表示も苦手な私にはその自由決定方式の等価交換は難易度が高かった。


人形さんと共に過ごせるだけで十分なのだ。

それ以上に望むことなど、大それたことすぎて何も思い付かない。


「じゃあ、宿題」


そして何故だかそれは、権利ではなく義務になってしまった。

何の返答も出来ないうちに会話は完結、ちょうど良いタイミングで鐘が鳴る。


「約束、だし授業行くかな」

「あ……」

「また、明日」


初めて人形さんをこの準備室で見送った。

歩く人形さん自体を初めて見る。


「授業で、サボって、宿題で……?」


一拍遅れて呟く。

思考も何も絡まって、何がなんだか分からない。

何となく察してはいたけれど、人形さんはとてもマイペースだ。

そんなことを考えながら、ふと気づく。


「また、明日。言い忘れちゃった……」


まさかの三日坊主にすらならないとは。

悶々と、起きた出来事を思い返してはうずくまる。


「あ、じゅ、授業……!」


今の状況を思い出すまでに、数分を要した。

慌てて部屋を飛び出し、教室へと走る。


「お、笹部か。体調大丈夫なのか」

「……え? 体、調」

「佐々木から具合悪いって聞いたが、確かに顔赤いな。無理するなよ」

「…………え?」


授業をひとつサボってしまった言い訳なんて思い付かない。

けれど何故だか先生は察したよう私を案じて怒られたりはしなかった。

ひたすら首を傾げるしかない。

一体どういうこと……?

やはり一拍置いて会話を思い返し、そうしてようやくとある人物に思い当たる。


「さ、さ、佐々木さんっ」

「ん? あ、笹部さん大丈夫? もう起き上がって平気?」

「えっと? あの、佐々」

「ほら座って座って! もうすぐ授業始まっちゃうし!」

「あ、あの」

「……笹部さん、しー。後で、ね」


何故だか物知り顔な佐々木さんが最後ににこりと笑い人差し指を口元で立てた。

後で。その言葉にやはり訳が分かっていない私はコクコクと頷くしかない。

午後の授業中必死に考えてみたけれど、やはり答えは出てこなかった。


「さて、じゃあ行こっか笹部さん!」

「……え? 佐々木、さん……?」


そして私を待っていたのは満面の笑みの佐々木さんと、手首を包む強い力。

がっちりと私の手首をホールドして佐々木さんがどこかへと向かっている。

行くとはなに?

どこへ?

何の疑問も解消されぬまま、けれど有無を言わさない雰囲気に、もはや何も言えない。


ああ、学校のなかでこんなガッチリと手を握っているものだから周囲からの視線も少し感じる。

顔を赤くしながら言葉にもならない声を上げ続ける私。

そうこうしている間、唐突に、そしてはっきりと思った。


何か佐々木さんって、人形さんと似ている……?


直感は、奇跡的に大正解だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ