10.宿題チャレンジ
抱え込んだ気持ちが嫉妬なのだと、そう気付いたのは家に帰ってからだった。
人の気持ちに聡いはずなのに、自分の気持ちには微妙に鈍い。
もしくはいっぱいいっぱいで気付く余裕もなかったのか。
中途半端な態度しか取れなかった自分に自己嫌悪する。
やっと出来た友達だったのに。
やっと会話できるようになってきたのに。
どう思い返しても数時間前の自分は酷かった。色々と。
人間関係は難しい。
完璧な自分を、少しだって見せられない。
心とは裏腹な行動を止めることができない。
私だけなんだろうか? 皆同じなのだろうか?
そんなことすら、私には分からない。
けれどそうやって悩む相手の顔が、きちんと浮かぶようになったことは幸せなのだとも思った。
独りで、相手もなく、隅で憧れていた頃とは少しだけ違うから。
また明日と毎日重ねられる相手がいる。
ごめんなさいと言える相手もいる。
ずっとずっと欲しかったものだった。
少しずつ、前進はできているんだろうか?
人の手を借りてばかりいるけれど。
詩音先輩や桃ちゃんが手を差し伸べてくれたから進んだ一歩ではあるけれど。
「頑張りたい……、ううん。頑張る」
ベッドの上でひとり正座をして今日も心に決めた。
『宿題、待ってるから。楽しみに』
詩音先輩の言葉を思い出す。
私が先輩から欲しいもの。
私の、我儘。
こくりと喉をならして思い浮かべる。
自分の手を前にかざしてじっと見つめる。
きっちり5本ずつに見える指の、けれど少しぼやけている輪郭線。
この距離でさえ、私の視界は曖昧だ。
あれ、もしかしたら視力落ちているのかも。
そんなことすら私は気付かずいた。
「宿題。しゅく、だい……」
私にはかなりハードルの高い、詩音先輩からの宿題。
けれど思い当たるものは、案外すんなりと浮かんできた。
問題はそれを口にする勇気があるかどうかだけで。
「明日の、目標です」
すぐ腰の引ける自分を叱咤するよう私は首を振った。
手をグッと握りしめる。
変わらなければいけない。
だってせっかく話せるようになったのだ。
また明日と、当たり前のように言えるようになった。
友達だと、はっきりと言えるようになった。
続けていきたいと思ったら、どう考えたって努力は必要だから。
「また、明日」
おまじないのように呟いて目を閉じる。
まぶたの裏に2人の笑顔が浮かんで、ぼやけた。
「今日は朝から王子様いたよ、早速囲まれてて顔まで見れなかったけど」
「ふふふ、私はばっちり見た。いやもう朝から完璧!」
「いいなあ詩音先輩のクラスメイト。ずっと一緒にいられるんだもん。目の保養」
「まあ授業の参加率すごい低いらしいけどねー」
翌朝、どうやら詩音先輩は学校に来ているらしいと、そんな情報をゲットする。
お昼休みに言えるだろうかと、内心バクバクだ。
「あ、理子ちゃんおはよー! いい天気だね、おかげで目覚めばっちりだったよ」
「桃ちゃん、おはよう。あの、ごめんね昨日、急に帰っちゃって」
「んん? 何も謝られることなんてなかったけど? でも全然気にしないでって言っておくね」
「……ありがとう」
桃ちゃんは今日も変わらず優しかった。
何でも無いように昨日と変わらず接してくれる。
「ありがとうって言うならむしろ私の方かも。古文、無事読み解けました。これで今日の授業はばっちりだね」
「よ、良かった。私も答え合わせできたから、今日は当てられても安心」
そうして当たり前のように授業の話をする。
話の下手な私に話題を提供してくれて、楽しそうな声をあげてくれる桃ちゃん。
……うん、こんなに良い人に嫉妬していたなんてやっぱり少し恥ずかしい。
きちんと大事にできる自分になりたい。
そんなことを思った。
「あのね、桃ちゃん」
「うん? どうしたの、理子ちゃん」
「私にしてほしいこと、あったらいつでも言ってね」
「ええ? どうしてまた急に」
「その、友達を大事にする方法、まだ私初心者だから。宣言、するしか思いつかなくて」
「……やば、泣きそう」
「な、泣きそう!?」
「嬉しい。ありがとう、理子ちゃん。じゃあ、お言葉に甘えて。どんな些細な事でも遠慮せず相談してね」
「……相談?」
「うん。私もするからさ。ね、とっても友達っぽいでしょ?」
「う、うん!」
ちぐはぐな友情の築き方なのかもしれない。
それでも少しずつ少しずつ積み上げたい。
私なりの方法で頑張ろうと気合を入れる。
相談、相談。
そうして思いついた内容に、一瞬ためらう。
そんな私を桃ちゃんは見逃しはしなかった。
「何なに、もしかして早速ある? 相談」
「え、えっと……その」
「うん」
「あのね、“人形さん”のお話なんだけどね」
「うん、うん」
桃ちゃんにだけ、私の我儘な宿題を告げてみる。
こんなこと言っても大丈夫だろうか。
詩音先輩を私よりもよく知る桃ちゃんなら分かるだろうかと、そう思って。
打ち明けたあと桃ちゃんを見ると、桃ちゃんはとても苦い顔をしていた。
「……やっぱり、駄目かな」
「いや、うん、違う。理子ちゃんは何も問題なくてね」
「しお……人形さんが、駄目?」
「駄目というか……、私がただ面白くないというか」
「あ……もしかして私、無神経なこと」
「ううん、全然。ただ複雑なだけで。だって私の貴重な癒しタイムを取り上げられる可能性が……っ、いやでも私にもメリットは、ううん……」
ついには悩みだしてしまった桃ちゃん。
そんなに無理難題だっただろうかと、桃ちゃんの表情に引っ張られ私の顔も渋っていく。
あまりに心配しすぎてしまったからかもしれない。
桃ちゃんがはっと我に返ったように私を見返し、私の手を握ったのは数分後だ。
「ごめん、打算だらけなんだけど全然悪くない! むしろすっごく良いと思う」
「ほ、本当? ちょっと欲張りすぎだったり」
「しない!」
結局、桃ちゃんは私の背を押してくれた。
絶対大丈夫だから堂々と言っておいでと激励を受ける。
勇気をもらって真っすぐ向かったお昼休み。
「こ、こんにち……は?」
いつもの挨拶は、尻すぼみになった。
いつもなら座っている位置に、詩音先輩はいない。
代わりに懐かしい場所に、先輩はいた。
たくさんの芸術品に背を預け、自身もまるでその一員かのように佇んでいる。
目を閉ざし、毛布をかぶり、その姿は初めて会った時のよう。
人形さんとそう呼んでいた頃の、先輩。
「寝て、る……?」
よく耳を傾ければ、本当に小さな寝息が聞こえた。
まるで隠れているかのように息をしている。
少しだけ、拍子抜け。
宿題を言うぞと、意気込んできたから。
けれど久しぶりに出会えた“人形さん”に、心が安らぐのも事実だ。
ドキドキと激しく脈打つ体を抱え、そっと近くに寄る。
あの頃は近づけなかった、この距離。
今でも心臓が破裂してしまいそうで仕方ない。
それでも、見たいと思ってしまった。
いつもならぼやけてしまう輪郭が、ぼやけない距離まで近づけるだろうか。
ほくろは、見つかるのか。
目は一重なのか、二重なのか。
ううん、そんなことはどちらでも良いのかもしれない。
その顔をよく見たいと、それが一番なのかも。
「ん……」
「っ、ご、ごめ」
「んん」
慌ててのけ反り、距離を取る。
再び眠りに落ちた先輩に、心臓を抑えることで精いっぱいの私は中々近づけない。
わ、私の意気地なし。
そう責め立てながら再び近づこうとしたその時、無情にも休み時間の終了を告げる音が響いた。
「……ん、あれ。理子? え、いま何時」
「お昼休み、終わり……です」
「え……」
なぜだか私以上に呆然とした様子の詩音先輩がいる。
私も直前までの自分の行動に未だドキドキ緊張して動けない。
けれどハッと今の状況を思い出して、慌ててその場に立ち上がる。
「じゅ、授業、戻りますね」
未だ石のように固まる先輩にバッと頭を下げて帰る廊下。
結局、昨日から決意していた宿題宣言は、不発に終わってしまった。
明日、もう一回チャレンジだ。
そう思いながら、気付く。
「また明日。忘れちゃった……」
気が動転して大事な言葉を忘れてしまった。
何でもないようなことなのかもしれないけれど、思いの外そのショックは長引いた。




