第一話/追放と竜の刻印
空洞に、一人。
「クソっ…クソォっ!」
男が、一人。
「何が勇者だ…何が約束だ…!」
泣けばいいのか、怒ればいいのか。
「なんだったんだよ…返せよ…俺の10年間を返せよ…!」
彼には、分からなかった。
「約束じゃ、なかったのかよ…!ハヤテェェェェェェェェッ!」
悲痛な慟哭が、ダンジョンの奥底…閉ざされた空洞の中を反響し、埋めつくす。
彼の仰ぐ天井に、光などなかった。
・・・
〈一時間前〉
「セイルさん!魔狼が二匹、向こうから来ます!」
「任せろッ!」
後方で杖を構え、戦況を見渡すのは、パーティの参謀にして癒し手でもあるケイチ・ヨーアン。
彼の示す方向から、勇者一行を食わんとして迫る二匹の狂犬こそ、魔力によって変貌した野生生物=魔族の一種、『魔狼』。
耐久力には欠けるが、歴戦の戦士であれど喰らえば一溜りもない攻撃力と、その回避を困難とするスピードを持っていた。
そんな魔狼の前に飛び出た男、セイル・ドラグハート。
彼は、このパーティの防御役を一手に担う、正しく勇者の盾であった。
「はぁぁっ!」
彼が携える大盾を地面に突き立てると、盾に込められた魔力がバリアーとして展開された。
魔狼は、その攻撃を受け止められ、怯む。
「今だ、先にそっちを片付けろ!ハヤテ!」
「勿論さ!アーナ、援護を!」
「分かったわ、『バインドソーン』!」
勇者ハヤテの指示に呼応し、後方から伸びた魔力の茨が、もう一方の方角で勇者と戦っていた他の魔狼を纏めて縛り上げる。
茨の主、彼女こそが、このパーティにおいて火力・妨害の面での支援役を担う、アーナ・スティル。
魔法の威力、コントロールともに、国の魔道士の中でトップクラスだ。
そして、動きを止められた隙だらけの魔狼達を両断すべく、遂に彼が動く。
「よし、女神の加護よ…!回れ一輪、色彩かな光を纏いて…響け、『光風華月』!」
勇者の持つ剣が、異様な形の刃に変貌する。
彼の故郷ではそう珍しくなかったらしいのだが、彼はそれを『カタナ』と呼んだ。
「……ハァッ!」
目にも止まらぬ速度の斬撃は、蒼く煌めく軌跡を残し、相対した魔狼も、セイルの受け止めていた魔狼も、その全てを両断した。
彼こそは、勇者ハヤテ・ムラクモ。
闇に包まれたこの世界に再び光を取り戻すべく立ち上がった、最強の剣士であった。
・・・
「助かったよ、セイル。君の我慢強さがなければ、詠唱中に食い殺されていたと思う」
ハヤテは、その剣を鞘に納めて、同じく一息ついたセイルの肩を叩いた。
「お前に剣や魔法の純粋な強さで勝とうとするなんて無理な話だ。俺は何のスキルも使えなきゃ、何の魔法属性にも適正がなかった…なら、こうして壁になるのが精一杯。
俺は自分に出来ることをやってるまでさ、お前と同じくな」
「だからそれが凄いっていうんだよ。そのおかげで、耐久力に欠ける二人の魔道士を抱えながらもやっていけているんだ。
街のみんなは勇者の僕ばかりを評価するけど…君こそ評価されるべきだよ」
「世辞はいい。それより…『探知』、できたか?」
「おっと、そうだね。『探知』」
何のスキルも使えないセイルとは対照的に、ハヤテは女神の加護も相まって、ほぼ全てのスキルを自由かつ強力に発動できる。
その一端が、このダンジョンの細部まで見通す『探知』。通常の何倍、何十倍もの範囲を、一気に確認してしまう。
「なるほど、そうか…」
「何かあったか?」
「奥に何かある」
「決まりだな」
「二人を呼んでくるよ」
そんな会話を繰り広げるセイルは、少し離れた場所で、脈々と積み上げられる悪意に気付く由もなかった。
「ねぇケイチ…なんで、彼はこのパーティにいるのかしら?」
「セイルさんですねぇ…壁役としての役割は果たしておりますが。そもそも、勇者に選ばれ、女神と『契約』を行い、その防具はいかなる攻撃も受け付けないとされているハヤテさんがいらっしゃるというのに、壁役というものが必要なのかどうか…我々も、最低限の自衛は行えますからねぇ」
「……『交信』、『隠匿』」
「どちらに?」
「勇者サマよ」
・・・
彼らは、無事にダンジョン奥地へと辿り着く。
このダンジョンには、幻の竜と、その財宝が隠されているとの情報だったのだが、その最果てまで辿り着いた今も尚、それらしきものは何もなかった。
「あら…肩透かしね」
「こういう時もありましょう。勇者様、戻りましょうか」
「そうだな…ハヤテ、行こうぜ」
帰ろうとするアーナとケイチ、そしてセイル。しかし、ハヤテだけはその限りではなかった。
「……セイル。心して聞いてくれ。君を、パーティから外すという話が出た」
「いや、何だって…!?」
突然の告白だった。セイルは、最早今何を言われたのかすら頭に入っていない。
彼と目も合わせないまま、ハヤテは語る。
「君の防御には助かっているよ。けど…僕らはそれに頼りすぎてしまっている。けどそうなれば、分断など食らった瞬間に、僕らは壊滅する」
「そんな、そのための『探知』だろ!?罠や策略はそれでかわせばいいんじゃないのか!?」
必死に応えるセイル。しかし後方から、アーナたちもその口を開く。
「勇者サマは優しいのね…言ってやればいいのよ。『もはや必要無い』ってね」
「ええ…我々としても、心苦しいのですよ?
あなたも含め我々、特に勇者様はどんどん強くなっている。現在の勇者様であれば、『女神の加護』の防御を我々全員に広げることも可能なのです。となれば…盾役、という存在自体の価値を問わざるを得ません。
無闇に人数が増えても、物資の必要量が増えるのみ。また、戦場において無用な犠牲を出すことはありません」
セイルは、震えていた。
なぜか恐怖が身を包む。喉から出る声すらも、震えに震える。
「嘘、だろ…約束、だったろ、十年前、ハヤテ、『俺とお前で世界を守ろう』って」
ハヤテに縋り付くようにその手を伸ばす。
が、彼はその手を払い除けた。
「……すまない。そんな大切な友達だからこそ、不必要に戦場に出したくないんだ。
君には平和に過ごして欲しい。内側から世界を守ってくれないか?
外側からの脅威は…僕らが何とかする。本当にすまない、セイル」
崩れ落ちたセイルの足元に、魔法陣が展開される。アーナの転移魔法だ。
「おい、これって」
「アナタは一足先に街に戻ってなさい。私達が戻る時には、魔王は死んでるはずよ」
「嘘だろ、待て、待ってくれ!おい、お…!」
光に包まれていくセイルに背を向け、ハヤテ達は歩き出した。
「……これで、いいんだ」
彼は、そうとだけ、かつての友に言い残して行った。
・・・
『ひっく…また、ぼくのせいで…セイル…』
幼い頃の記憶だった。
涙するハヤテに、傷だらけになりながらセイルは笑いかけていた。
『しんぱいすんなって、こんなもんかすり傷だ。おれはからだのかたさにだけは自信があるからな!…ってて』
『なんで、ぼくは勇者なんかにえらばれたの…?そのせいで、みんなぼくをいじめて…そのせいでセイルは…』
『なら、もっとつよくなろうぜ?いっしょに!
だれにもいじめられることなんてないくらいに、つよくなろうぜ!
それで、おまえとおれで、このせかいを守るんだ!』
『…うん、ぜったい!』
『へへっ、やくそくだ!』
「何が、約束だ…」
転移魔法の光が消えると、その場所は街中などではなかった。
そこは暗い闇の中。光ひとつ見えない漆黒だった。
最早何の気力さえも残っていないセイルは、ただそこに寝転がっていた。
仰ぐ天井は、黒い。
・・・
「…成功よ」
「転移先はどちらにされたのです?」
「ええ、街の中よ?」
「…そういうことですか…彼はもう、生きては帰れませんね?勇者様」
「そうだね…うん。そうだ」
・・・
しばらくの時が過ぎた。
何も、起こることはない。そう誰もが確信するであろう闇の中、このまま死を待つのだという錯覚は、セイルにもまた現れていた。
「あー…ハヤテ…あの野郎」
「その名は聞き覚えがあるな。どこであったか」
「ッ!?誰だ!?」
飛び起きたセイルは周りを見渡す。
が、どこにも姿は見えない。どこからか声はしたのだが。
「この感覚…そうか、『女神』の力に触れた者か。
数百年ぶりだな…ここに人間が来るとは。それも、あの女に触れた男とは面白い。
来い、我の元へ案内してやる」
暗闇の中に、突如として炎が灯る。
照らされた地面は色が違っている。道があったのだ。
セイルは、恐る恐るその道を進んでいく。声と炎に、導かれるままに。
すると、どこにも光源はないのに、煌々と明るく開けた謎の空間にたどり着く。
その場所には、巨大な翼を備えた深紅の竜が、堂々たる姿で存在していた。
「よく来たな、人の子よ」
放つ威厳は、これまで勇者の仲間として数々の戦いを繰り広げたセイルですらも萎縮させる。
鋭い眼光は、自らの胸を貫いてしまうのではないかとさえ思えてしまった。
「お、俺は…セイル。セイル・ドラグハートだ…お前は」
「我は…かつてのヒトの伝説上の名では、イフリートと呼ばれている。
お前たちにはこう言った方が良いか…『幻竜の洞窟に潜む、大いなる力を持つ幻の竜』。その正体こそ、我だ。
して、人の子よ。どうしてこのような場所へ来た?観光などではあるまい」
セイルは、渋々ながらも事の顛末を語った。
「…勇者の仲間として旅をしていた。けど、俺はもう不要らしい…どんな魔法属性も適応しないし、どんなスキルも使えない。
女神の加護があるのに、ただの壁役は必要ないってな」
「ふむ…至極真っ当だな。むしろよく今まで勇者と旅などできていたものだ」
「少しは憐れんだりしないのかよ…ま、俺も納得は出来る理由だ」
セイルは、自らの手を覗いた。
努力の痕、マメの跡の残る掌は、見た目ほど大して強くなかった。人や世界を守るどころか、自分の居場所一つ守れない男が、勇者と共にあろうとすること自体が間違いだったのかもしれない、と。
「満足か?」
「…え?」
「人の子よ。貴様はそれで満足かと聞いている」
イフリートの問いに、セイルの答えは決まっていた。
「そんな訳がない。…約束、だったんだ。大きくなったら、二人で強くなったら、勇者とその仲間として一緒に世界を守ろうって。 けど、今の俺じゃ…!どうしようもないんだよ!」
イフリートは、その口角を上げる。
待っていたかと言わんばかりのことであった。
「我もだ…魔王とやらにここに封じられ幾星霜、する事も無かった物でな。だがここに、面白そうな人の子が来て、我と利害が一致しそうだとは。
…どうだ、我と契約しないか?」
「イフリート、お前と…?」
「その通りだ。我の力を自由に使え。共に外の世で暴れようではないか」
「…お前の、力?」
「その通りだ。勇者にも魔王にも引けを取らぬ力…どうだ?」
「勇者に、負けない…」
勇者に引けを取らない力、という言葉は、セイルの心を震わすには十分すぎる文句であった。
それがあれば、彼の隣に帰れるかもしれない。約束を果たせるのかもしれないのだから。
「我は魔王の奴にも女神の奴にも一泡吹かせたい…お前は外の世界で強くなりたい。お互いの利害が一致する」
「…本当に、強くなれるんだな?勇者一行だけじゃない、本当に皆を、世界を守れるんだな?」
「守るも壊すも自由自在だ。奴らの想定外さえ起こせれば我は構わん」
セイルは、ついにその意を決めた。
「分かった…契約だ、イフリート!」
「その言葉を待っていたぞ、人の子…セイルよ!」
イフリートが赤く光り輝き、その姿を変えていく。
その燃えるように明々と光る輝きの中から、深紅の鉱石の埋められたペンダントが降りてくると、セイルはそれを手にし、首にかける。
すると、ポケットの中の手帳が光る。自分の能力が自動で書き記される、冒険者専用の特殊な手帳だ。
それを開くと、そのスキルの欄に、見慣れぬ文字列が並んでいた。
「…『竜の刻印』」
(使い方は自ずと分かるはずだ。さぁ行くぞセイル。我らの夜明けだ!)
ペンダントを握りしめたセイルは、その体の底から力が湧き上がるのを感じた。
熱い、熱い。まるで炎が体の中心に燃えているかのようだ。
それを、今、滾らせ、解き放つ!
「幻竜武装・竜翼ウゥゥゥゥッ!」
魂の叫びが、体から湧き上がる炎となって、その背に竜の翼を造り上げていく。
それは、セイルの意のままに羽ばたき、天を目指す翼であった。
「ううおおおおおおおっ!」
飛び立つ。上へ、上へ。
この空洞から抜け出すのだ。外の世界へと帰るのだ。
しかし、世界はそれを阻む。天井。剥き出しの厚い岩盤が、これ以上上へ進ませまいと立ちはだかった。
(やれ)
「ああ…!幻竜武装・竜拳ォォォォォォッ!」
右手に、竜の力が宿る。腕にのみ重厚な鎧が備えられたかのような、アンバランス極まりない姿だ。
だが、不思議とそれを気にさせないほど、強い力が湧き出しているのだ。
今の彼に、不可能や不安の文字はない。
「うぅぅらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
天井の岩盤に向け、その拳を叩きつける。
燃え盛る炎を纏う紅蓮の一撃が、硬い硬い、地球の年月が作り上げた障壁に、ヒビを入れていく。
「まだ…まだだ…!俺はまだ何も成し遂げちゃいない!強くなってもいない!
まだ…約束を…!果たしていない!俺は!俺には!やらなくちゃならないことがァッ、あるだろォォォォォォォッ!」
剛炎の弾丸と化したセイルは、地下の岩盤をついに打ち砕き、そして天空へと舞い上がっていく。
ダンジョンに入った頃は真昼の青色であったその空は、今は真っ暗な中に星と月が輝く黒い夜空に変貌していた。
セイルの飛ぶ遥か上空からは、世界を一望できている。街の家屋、その明かりが、地面に光り輝いている。
「これが、世界か…」
(そうだなセイル。我とお前の、これから暴れる世界だ)
「いいやイフリート。俺が『守る』世界だ。魔王からも、人間の悪意からもな」
ここから、彼らの物語は始まる。
たった一人で、約束を果たすために、竜の力をその身に宿し、セイル・ドラグハートの戦いが始まるのだ。
・・・
「…『探知』」
「どうかしたの?勇者サマ」
「いいや?何でもないよ」
「そ、ならいいわ。早く戻りましょ」
「……セイル、ごめん。でも、良かった…」
勇者ハヤテは、ただ優しく笑っていたという。
・・・
第一話/完
遊び兼経験積みで書きました 目標は出来栄えより完結です