願いと約束
『信じてやれなくて悪かった。最初は』
「俺の方だって信じられなかったんだから」
最初の頃のメールのやりとりは酷いものだった。
馬鹿を言っていないで帰ってこい。
どこにいるんだ。
母さんに心配をかけるんじゃない。
本当にトーマか。悪戯だったらいい加減にしろ。
俺の方からも、酷いことを言った。
帰れるんだったら帰りたい。方法を探せよ。
便所もないし見たこともない化け物もいる。今日だって殺されかけた。
どうせわかりっこない。父さんにはわからない。
言い合いをする為に幽電の技能を求めたわけではないのに。
やっとでケイタイを使えるように出来て、だけど分かり合うことは出来なかった。
『お前が伝えてくれた話は珍奇で、信じられないものだった』
「そうだろうね」
『しかし、何度も見ていればわかる。本当の体験なんだと理解するまで時間がかかった』
128文字までのメールの文章だけ。
写真は送れない。
通話はノイズだらけで聞こえない。
インターネット機能も使えなかった。
トランシーバーのような会話だ。
こちらから発信。あちらから発信。交互だったり、続けて何度もだったり。
そんな中、向こうからの返信がなくても、その日見た珍しい光景を伝え続けた。
朱色の結晶が敷き詰められたような塩湖。
中央で眠る赤竜を起こさないよう、隅っこにある塩の結晶を取って帰る。
塩を舐めているヤギ型の魔獣もいて、うっかり子連れのそれに近付いてしまい大騒ぎになったこと。
陽が差し込まない深く暗い森。
イソギンチャクというかバフンウニというか、地面にへばりついている丸い植物がある。
夜になると、ぶふぅと月の光に似た粒を噴き出して暗い森を照らす。その光景は幻想的で美しかった。
向こう岸の見えない河。海より広いとかわけがわからない。
その下を通る氷のトンネルは、大昔に魔導王が数千人の魔導師を集めて作ったのだとか。
川幅が広すぎて抜けるのに数十日かかる。途中で水や食料が尽き、飢え死にか凍死か。
奥にはそんな死体が腐りもせずに残っているという話だった。
良質なミルクの詰まった卵を産む鳥。なぜ中身がミルクなんだろう。
希少な真っ黒なキノコはそれを食べれば悶え苦しむのだけれど、砂糖に数年間付け込んだ後に強い酒で炒めると最高級の料理になるのだとか。
昆虫は一般的な食料で、最初はとても抵抗があった。
時折空を行く巨大な龍は、純粋種の龍と呼ばれる世界の守護者なのだと。
時を紡ぎし白銀の女王。聖銀龍と呼ばれるそれを見て感動した。
隣の国は大地の龍が共存しているという噂だ。いつか見に行きたい。
徐々に生活に慣れてきて、物を盗んで袋叩きに遭っている子供を助けた。
助けた後、持っていたヘチマのような大きさのキュウリ風野菜をかっぱらわれたけれど。
見ていた村人には笑われたが、別にいい。
俺が一日我慢すれば、とりあえずあの子供は数日は命を繋ぐだろう。
翌々日、子供の死体を見つけた。
村の近くの木の陰で。
死因などわからない。だが、最後はせめて飢えていなかったことを祈る。
美しい光景も、救いのない日常も。
見たこと、感じたことをメールしているうちに、日本でそれを見る家族からの反応が変わっていった。
俺の実体験として受け止めて、彼らなりの言葉を返してくれるように。
見知らぬどこかで俺が生きていると、わかってくれた。
逆に、日本の様子を聞けば俺の方が信じられない。
こっちに流れ着いて八年の間に日本も大きく様変わりしたと言われても実感が湧かない。
スマートホンというケイタイが普及して、CD産業がほぼ壊滅してラジカセなどが必要なくなったとか。パソコンさえ不要になりつつあるのだとか。
時間がずれているのと、こちらは夏の後に嘘冬という短い冬を挟むので時差ボケもひどいけれど。
別世界に生きている。
俺が使っているこのケイタイもガラケーと呼ばれ、メールという機能も多くがSNSとかに置き換わっているのだとか。
SNSってブログのことだと思うのだが、あれがメールの代わり?
ユーリが俺のケイタイでもアプリが使えればとか言うのだが、最近のケイタイはアプリケーションの追加が出来るらしい。
本当にパソコンみたいだ。
『お前は、生きているんだな。そこで』
確認するように、見知らぬ世界に向けて訊ねる。
『トーマが生きていてくれるなら、父さんはそれでいい』
「うん」
海で失われた息子。
きっと後悔していたのだろう。深く。
死んだと認められず、ケイタイを解約もせずにいた両親の胸中を察する。
「あの日、海に行ったこと。俺は良かったと思ってるから」
『お前がそう言っても、父さんにはそうは思えん』
頑固だな、と。
嬉しくなる。知っている父だ。
『だが、お前の成長をこうして知ることが出来た』
ただ惰性で生きていただけでは、こんな言葉をもらえたとは思えない。
この世界に来て、自分なりに必死に生きて来た結果。
『頼むから、父さんよりも長生きして、幸せになってくれ』
頑張れとか言われるのかと思っていたら、少し違った。
『頼む』
もう一度、たった二文字の文章。
唇をきつく結び、震えを堪えてしっかりと頷いた。見えていないだろうけど。
「約束する」
未来のことなどわからない。
だけど、今はこの人の息子として出来る最後のことだ。
「約束するよ。父さん」
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