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作者: 綺一
掲載日:2020/05/25

 蜩が鳴いている。


 その命の絶唱。薄命ながら心からの火照りを主張するその姿は儚げで、力強い。

 私は何度この声を聞いただろうか。夏が訪れるたびに出会い、別れ、秋になる頃には姿さえ見ない。残暑の夜など、虚空の中にあの日の幻影を見る。そしてふと思う。

 もういないものになぜここまで心を揺さぶられるのか、と。

 ……今となってはその意味など考える必要もないのだろう。


 6月某日 自宅にて

 鬱陶しい梅雨が開ける。機嫌の悪かった空は嘘のように変貌を遂げる。ここ数年は異常なほどに暑くなる。地球は風邪でもひいているのではなかろうか。……まあいい。何の面白味もないただの男の一生。特に波乱もなければ何の事件も起きやしない。おそらく私も世の中に溢れるほどいる人混みに紛れてつまらない人生を送るのだろう。それまでに、何度季節は巡るのだろうか。考えていても埒が明かない。今日はもう寝るとしよう。


 7月初頭

 目を覚ます。朝だというのに怠い程の熱が身体を包む。シャツは汗で肌に張り付いている。湿った感覚が何とも不快で、脱ぎ捨てて部屋の隅に投げる。一人暮らし。自分の裸体など見る者もいない。改めて見ても、何の変哲もない身体だと思う。痩せていない、太くもない、鍛えてもいない。不快さを少しでも和らげる為に、シャワーを浴びる。少し髪が伸びただろうか。まあ伸ばしたところでこの生活が変わることも無い。切るのは今でなくてもいいだろう。

 シャワーを浴び終え、服を着る。そのまま軽く朝食を済ませ、身支度を整える。特にすることもないが、今日は外に出てみるとしよう。

 玄関の薄い鉄板の向こうには、夏が広がっている。そんなことは知っている。今になってようやく「なにも外に出なくてもいいじゃないか」と心の中でつぶやくことができた。しかし外に出なくてはいけないのだ。そうでもしなければ私は狂ってしまう。いや、既に狂っているのかもしれないが。

 家というとても居心地の良い閉鎖空間を出た先には、既に灼熱の世界が広がっていた。こうも暑いと、寧ろ快感にまで感じてしまいそうだ。一年の4分の1を占めるこの時期は、昔から恋のようだと思っていた。手の届かない存在を恋しく思い、一人でどうしようもない気持ちと葛藤する。その熱は時に人を大胆にさせる。そしてまた、容赦なく現実を突きつけてくる。それなのに、終わってみれば呆気のないものであったりするから不思議だ。この暑さが無くなる頃には逆に寂しくなってしまうのだろう。今であれば暑さなど鬱陶しいものでしかないのだが。

 人というものは真に我儘な生き物である。欲しないものを突き付けられれば拒むのにも関わらず、いざ失ってみれば惜しいとさえ感じるとは。いや、だからこそ世界は成り立つのもしれないな。軽く散歩をする。周りの服装を見ても、季節が巡ってきたということを実感する。まだ日焼け跡の少ない、眩しい程の肌がこちらを覗いていた。

 帰路に着く。短時間の外出ではあったが、中々面白いものであったと思う。蒸し暑い空気の隙間から、今年初めて聞く懐かしい声が届いてきた。声の主が何処にいるのかは定かではないが、確実にその声は私を高揚させた。

 蜩が鳴いている。これからが本番、と言ったところであろうか。


 8月中旬

 近所の神社でどうやら夏祭りがあるらしい。時期としては遅いようにも感じるが、これはこれで夏の終わりの思い出になるのだろうか。どうせ特にすることもない。足を運んで見るとする。

 午後5時を回る。まだ日はそこまで落ちていない。神社の石段付近には、既に近所の小学生や中学生が集まっていた。浴衣も見える。りんご飴やお面など、各々の楽しみ方をしているようだ。子供はあまり好きではないのだが、この光景を見ていると自然と口元に笑みが浮かぶ。子供の笑顔は良いものだ。何かを買いに来た訳でもなく、ただ雰囲気のみを楽しむ予定だったのだが、気がついたらりんご飴と焼きそばを買ってしまっていた。いつも客観的に見たら高く感じる値段設定だが、この「夏祭り」の雰囲気や空気にお金を払っていると思えば安いのかもしれないな。

 あっという間に時が過ぎ、辺りが暗くなる。しかし人は減るどころか数を増しているようだ。お目当ては花火だろう。日本人は「刹那」の美を大切にするのだろう。闇に一瞬開く花びら。形が残らないからこそ心に強い印象と感動を与えてくれるのだろう。変化しない物などこの世には存在せず、消え行く物こそ美しい。花は散るから美しい。決して乾かして残しては行けないのだ。人は死ぬからこそその生を楽しむのだ。そして残された者たちで丁寧に別れを告げる。死んだ者はやがて姿を変え地上へと戻り、また激動の生を送って静かな時を迎えていく。素晴らしいことじゃないか。また日本人は死者に対して「畏れ」を抱く。決して海外のような「恐れ」であったり、「悪」ではないのだ。そして「知らない」ものを恐れる。「知らない」ことを恐れる。だから幽霊が生まれ、妖怪が生まれた。今のように安易に新しいものに手を出せなかった時代、一つのものを丁寧に使い続けた結果、付喪神が生まれた。夜の灯りが無い時代、その無限の闇の中に何かを見出していた。

「幽霊の 正体見たり 枯尾花」とはよく言ったものである。

 この世は、消えゆくからこそ美しい。私の頭上で花開く、光がそう語りかけてきたようだった。帰路にて、蝉の声を聞いた。地中で一生の殆どを過ごし、地上では生殖のために叫び続ける。蝉よ、お前もまた、消えゆくからこそ美しいのだろう?この季節という限られた空虚の象徴として、忘れられた頃にまたその声を聞かせておくれ。


 9月初頭

 あの暑さは少しでも和らいだだろうか。私が過ごした日々は、本当はただの幻影だったのではないか、そう思えてならない。終わってみれば一瞬に過ぎなかった。こんなに虚しくなるのも久しい。今でもずっと、美を考えている。

 私はようやく、自分の生きる意味を見つけられたかもしれない。着替えを済ませ、玄関へと向かう。一枚の鉄板の先に広がる世界は私が追い求めていたあの夏とはもう違う。私が恋をして、熱を上げていたあの夏ではないのだ。それが分かっていても私は期待せずにはいられずに扉を開く。入ってきた空気は私の知っているものではない。しかしそれはもう関係ないのだ。私は駆ける。私を取り巻く空気の中に、あの空気は入っていないか。匂いは、色は、音は……

 私は目の前の機械が赤を示していること、左から大きな鉄の塊が向かってきていることを知らなかった。耳が察知した声しか、私には届いていなかったのだ。

 身体中に走る衝撃。世界が緩やかになった。向かってくる黒い地表。関節が本来とは逆の方向に曲がってしまったようだ。他にも数え切れないほどの痛みを感じた。いや、痛みを感じる暇もなかったのかな。そのまま頭から着地してからは、何も覚えていない。知ることもない。

 人は死ぬからこそ美しい。そうだろう?

 

 私の命など気にせずに、自らの命の絶唱をするものがいる。どこまでも力強く、どこまでも儚げに。


 蜩が鳴いている。

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