『La Fiesta ~ジャズ研 恋物語~ 』
「きっと今日のことは、死ぬまで忘れないだろう」by篠崎優斗
学祭はいよいよ2日目。
代わる代わる部員たちの熱のこもったステージが繰り広げられる様子を見ながら、俺はMJG全体のポテンシャルが上がっていることを感じていた。
学祭では代々、部長のリーダーバンドがトリという伝統があるため、菊田組の【菊座衛門】は今年度のラストステージと決まっていた。桜子さんと俺のバンドは、そのひとつ前の出番だった。
「そろそろだろ。篠崎、楽しみにしてるぜ」控室でビールを飲んでいた俺に菊田が声をかけてくる。奴からの誘いを断ってまで集中したバンドだ。コケるわけにはいかない。
既に部内からは桜子さんと俺のバンドを”夫婦漫才”と揶揄する声もあったが、俺は笑って「その通り!」と高笑いしてきた。
「ありがとな、菊田」と俺。控室で出番の迫った部員たちにさりげなく声を掛けて廻るあたり、本人の自覚あるなしに関わらず、やっぱりこいつが紛れもなくMJGの部長だと俺は思った。そういう気遣いのきちんと出来る、いい奴なのだから。
「さ、そろそろ本番だぞ、優斗。準備は?」控室でふいに桜子さんに声を掛けられた。情熱的なステージ衣装の深紅の細身のドレスが眩しい。
「似合ってますよ、桜子さん」素直に言葉が衝いて出た。
俺の言葉に、彼女は急に顔を背けてモジモジしはじめた。
「へ、変じゃないかな?」
「何を言ってるんですかあなた。大丈夫、俺が保証します。素敵で、綺麗です」
彼女はそこまで聞くと、まんざらでもなさそうにニヤけた。「そうかぁ」と。
「で、準備はどうなんだ?」
いつもの桜子さんに戻ってしまったが、これはこれでかわいい。
「ん、ビールひと缶なら補給済みです。いつでも行けますぜ」と俺は立ち上がった。俺も今日は桜子さんとツートップという立場もあり、気合を入れてドレスアップしてきたのだ。
「相変わらず呑んでんのね」と桜子さんは棘のない、丸い声で笑った。
いよいよ桜子さんと俺の、最後のステージが近づいている。
桜子さんの率いる【唯我独尊】は、普段から交流のあるM大をはじめとした外部メンバーで全て構成されていた。驚いたのはドラムが自大のジャズオケの人間だったことだ。いつの間にそんな人脈を築いていたんだろう。というか、かつての玲奈の一件がありジャズオケのメンバーはどうなんだろうと思っていたが、彼は違っていた。腕が立ち、なおかつ柔軟な考え方を持った男だった。
彼女が考えていることは分かっていた。部員数が増えて、全て自分たちで何とか出来る環境が整うにつれて、他大との交流が薄れてしまうことを危惧していた。全てが内向きになってしまう事へのカウンターとして、彼女は敢えて他大の強力なメンバーと組むことで”外に目を向けろ”というメッセージと共に、その垣根を取っ払いたいと思っていたのだろう。
「それじゃあ、行こうか」
桜子さんの言葉に俺は頷いて、そっと楽器に手を伸ばした。
オープニングから熱のこもった【唯我独尊】のステージは、見るものを惹きつけたようだ。8割方埋まった客席に、後方では部員たちが立ったまま注視している。今日の桜子さんは普段以上にタガが外れたみたいに暴れる。かと思えば、しっとりとした泣きのバラードも聴かせてくる。静と動が同居して、見ていて神がかっているとさえ思う。暴力的に、聴き手の目と耳を奪う…そんな演奏だった。
それに、桜子さんが招聘したM大のメンバーも、うちのジャズオケのドラムも上手い。適度に距離を置きながら、桜子さんをしっかりと盛り立てる。俺もその流れに乗って、いつも以上の演奏が出来ている。気持ちがいいのだ、吹いていて。改めてジャズって”ひと”なんだと思い知らされながら、今は桜子さんの作るストーリーに俺はどっぷりと浸かっていた。
そうこうしているうち、【唯我独尊】のステージも、いよいよラストの曲となった。客席はお客さん以上に部員たちが詰めかけ、その目を見開いている。そりゃあそうだ、今年の学祭で最も上手いという下馬評通りのパフォーマンスを見せているのだから。
「…それでは、最後にお送りしますのは『La Fiesta』という曲です。まぁ、学祭ということもありまして、お祭り的なナンバーです。えー、この部活に入って、ジャズを知ってから、いつか演奏してみたいと思いながら、大事にとってきたナンバーです。ぜひ、皆さまも盛り上がっていただけると嬉しいです!」
桜子さんのMCの後、リズミカルなエレピのイントロが始まる。そこにベースがさらりと乗っかり、パーカスが入ってくる。緊張感が高まる…いよいよだ。桜子さんが俺にチラリと目配せする。
そうして、桜子さんのトランペットは軽やかに歌い出した。だがそれもよそ行きの姿で、テーマが進むにつれ、その姿は剥がれて、次第に彼女の情熱的で真っ直ぐな本性が牙を剥く。
そうそう、桜子さんはこうでなくちゃ。俺は所々でオブリを入れながら思った。
入学したてのあの日、右も左も分からないこの新入生は、風のように颯爽と現れた彼女に一目で恋に落ちた。初めて出逢った3年前のあの日から、俺の恋と憧れの気持ちは変わらない。美しいその見た目と裏腹に、中身はオッサンが入っているんじゃないかと思わせる言動の数々。謎の江戸っ子気質。そんなギャップの数々に日々驚かされながら、それでも俺の気持ちが揺れることはなかった。
いわゆる普通の大学生とは大幅に道は逸れたが、精一杯の努力と、精一杯の勇気と、精一杯の気持ちで桜子さんと接してきた。その結果が、これだ。俺は桜子さんの隣で、最後の学祭のステージの隣に立てている。感無量、という言葉があるとするなら、たぶん今がそれなんだ。
ふっとひと息ついて、そうして桜子のソロが始まる。
まるで狂い咲く桜から舞い散る花びらのように、彼女の奏でる音のひとつひとつが舞う。
”祭”と呼ぶに相応しい音の狂気が銀色のトランペットから濁流のように吐き出される。ああ、これが俺の好きになったひとなのだな。隣で聴いていて鳥肌が立つ。やっぱり、何度見てもどこから見ても、いつであったとしても、素敵なひとだと。
大学という場所で、他にいくらでも選択肢だってあっただろう。それでも今まで培ってきた大切なものを育てるために余所見もせず、ただただ、ひたすらにまっすぐ、努力に努力を重ね、倦まず弛まずにトランペットとジャズと向き合ってきた桜子さん。藤川桜子の集大成がまさに今、この演奏だと感じていた。彼女の織り成す狂気と緊張の演奏は佳境に来ていた。
桜子さんが合図すると同時に情熱的なブリッジが始まる。俺もすかさずオブリで入る。2人の音が溶けあう。なんて楽しい演奏なんだろう! そうして、再び桜子さんがチラリと俺を見た。“今度は優斗の番だぜ、楽しくがっつりやんな!”その目は満足気で、こちらまで嬉しくなる。
俺のソロは、最初から全力で行った。こんなの、遠慮なんてしていられない。
大学に入るまで楽器に触ったことのない俺が、彼女に恋をして、サックスと出会った。とにかく上手くなりたくて、毎日それこそ死に物狂いで練習した。迷う時には、いつでも相談できる先輩たちがいた。そして、いつでも桜子さんがいた。そんな俺が今は、桜子さんのバディとしてこの特別なステージに立っている。俺は夢中でソロを吹き続けた。今までのいろんな事が思い出される。
俺…この道を、選んでよかったな。
もはや、何も言う事はなかった。今の俺に出来る全力を振り絞る。これが、いまこの場所で出来る彼女のラストステージを飾るに相応しい演奏だと思った。サックスは、そんな気持ちに呼応するかように、最高に気持ち良く高らかなサウンドを奏でる。
そうして、終幕。
万雷の拍手を浴びながら、深紅のドレスの桜子さんがMCマイクを握る。
「皆さまありがとうございました! 次は当MJGの部長率いるスペシャルバンドの演奏です。ぜひ、お席はそのまま楽しんでいってください! それでは【唯我独尊】でした!」
上気した桜子さんの満足気な笑顔を見て、俺もたぶん笑っていたんだと思う。そうそう、ジャズってこんなに楽しいのだ。
こうして、藤川桜子の一世一代、渾身のラストステージは幕を降ろしたのだった。