第八話 受けた仇と返す恩
「ハァハァ……これで……あれ? 何匹目だっけ」
まるで時間が止まったかのように昨日と同じ光景が広がる東の森。
そこで俺は狂ったようにゴブリンを殺していた。
「まあ大丈夫か、魔石は全て回収してるはずだし」
今回は殺すことに慣れるために東の森へ来ているのだ。殺した数は関係ない。
慣れる事さえできればそれで良い。
「でもあれだな、けっこう慣れてきたな」
もう既に血を見ても骨を見ても、死体を見ても何も感じなくなってきている。
「早くも目標達成か……」
独り言が増えた気もするが、些細なことだろう。
「これが孤独ってやつなのかな……」
思えば、俺の隣にはいつだって光輝がいた。独りには慣れているはずだったが、全然そんなことはなかったのかもしれない。
俺は切り株に座りながらそんなことを考えてしまっていた。
「あ~っ! ダメだ! 何かしてないと余計なことを考えちまう……もっと殺すか」
俺は孤独からくる不安を拭い去るため、新たな獲物を求めて、森を彷徨った。
それからゴブリン共に殺戮の限りを尽くし、王都へ着いたのは昼をかなり過ぎてからだった。
「昨日から思ってたけど、何で関所を通れるんだろ」
俺は城から抜け出した。悪く言えば脱走だ。俺も召喚された人間だから顔が割れてたり追っ手が来ても不思議じゃないと思うんだけど。
まさか情報が行き届いてないなんてことはないと思うし、ひょっとすると王側からすれば俺は必要なかったのかもしれない。
追っ手の心配をしなくて良いのはありがたいが少し寂しい。ぐすん。
「はぁ……ギルド行こ」
俺は沈んだ気持ちと共にギルドへ向かった。
「はぁ……依頼の報告に来ました……」
「どうされました? 元気がないようですが……」
「あっ、わかる? やっぱりわかっちゃう?」
俺の反応を見たウームさんが「やっちまったよ」みたいな顔をするが、もう遅い。一度聞いたからには最後まで付き合ってもらうぞ。
「え、ええ。そんなわざとらしく溜息をつかれたらわかりますよ」
「いやさぁ、俺の存在価値ってなんだろって考えたら不安になっちゃってさぁ……」
「う~ん、そうですねぇ……私はあなたと出会って間もないので何か言えるわけじゃないですけど、私はこの世界に生まれたからには必ず価値……使命と言っても良いかもしれません。それがあると思います。今はまだわからないかもしれませんけど、時が来れば気づくはずです」
おお、なにやらカッコいいことを言っているぞ。さすがはウームさんだ。
「すみません……偉そうなことを……」
「いや、何かわかった気がする。ありがとう」
俺にとっての時が来れば、それはおそらく俺が勇者と並べるほど強くなった時だ。
その日を迎えるためには怠けちゃいけないけど、焦る必要もなかったのかもしれない。
「お役に立てたなら良かったです。それでは魔石の提示をお願いします」
「おう、ちょっと待ってて。今出すから」
俺は全身のポケットから次々と魔石を取り出していく。
その光景は傍から見れば異様に映るだろう。
「これで全部だ」
俺はざっと三十個はあるゴブリンの魔石を出してご満悦だ。しまうのにかなり苦労した。
「えぇ……昨日の今日でこれは気持ち悪いですよ……」
「なッ! 俺の努力を気持ち悪いだと!?」
「あっ、すみません! つい……と、とりあえず換金しますね!」
ウームさんはそそくさと逃げるように奥の部屋へ消えて行った。
そして銅貨六枚を持って戻ってきた。
「こちらが報酬の銅貨六枚です、お疲れ様でした!」
これで俺の手持ちは銅貨七枚だ。
「おう、ありがとう。明日もまたゴブリンの依頼を受けると思う」
「……そのことで少しお願いがありまして……」
ウームさんのお願いとは東の森の調査だった。どうやら最近、ゴブリンの数が多くなっているらしく、その原因を探ってほしいと言うのだ。
「以前からそのような兆候はあったのですが、今日あなたが持ってきた魔石の量でもしやと思いまして……これは私の我侭であって、ギルドの正式な依頼ではないので報酬は出ません。なので拒否しても問題はありません。……新人さんにこんなこと頼むのは申し訳ないんですけど、あなたならきっと……」
明日もゴブリン討伐をするんだ。そのついでと考えれば特に支障はないだろう。
それに、断ってウームさんとの関係に亀裂が入るのは避けたい。数少ない異世界での知り合いだ。
ありがたいことに期待もされているようだしな。
「わかった。でも、あくまでゴブリン討伐のついでだ。それでも良いか?」
「構いません。少しでもやっていただけるのならありがたいです。……」
明日に備えるため、俺はウームさんに別れを告げてギルドを出た。
「さてと、宿に戻るか」
俺はそう呟くとスラムの方向へ足を進ませた。もう二度とスリには遭うようなヘマはしない。そう決意すると同時にあの少女が俺の脳裏を過ぎる。
「おっし、こっから先はスラムだ。気を引き締めろ」
ここから殺戮亭まで二十分といったところだが、ここはスラムだ。油断はできない。
「やめてッ! やめてくださいッ!」
気を引き締めた矢先、争うような声が聞こえてきた。
「ん? この声、聞き覚えが……―――まさかっ!」
俺は嫌な予感を胸に声の方向へ駆け出した。
自分には関係ないとわかっているが、もしも俺の予想が当たっていた場合、あまりにも救われない。
「やっぱりか……!」
声の地点は狭い路地裏とでもいうのだろうか。目立ちそうにない場所だった。そして、その場所には二十代後半くらいの男が三人と俺にスリを働いた赤い瞳の少女がいた。
少女は体の自由を奪われていて丁度今、口を抑えられて声の自由も奪われてしまった。俺は昨日、こんなことをしていたのか。
見捨てることは簡単だ。でも、そんなことをすれば天導さんや智恵美さん、光輝に顔向けできない。それに光輝なら必ずこうする。
「おい……あんたら……今すぐそいつを離せ」
きっと話し合いでは解決できない。ならすることは一つだ。
「なんだよ兄ちゃぁん……アンタも仲間に入れてほしいのかぁ?」
三人の中で最も背が高いリーダー的な存在が俺をこちらへ誘ってくる。いや、バカにしているのだろう。
「聞こえなかったか? 離せって言ってるんだ。……三度目はない」
「ヒューーっ! カッコいいねぇ! でも身の程ってやつを知った方が良いぜぇ? アニキぃ……こいつやっちまっても良いっスか?」
小太りの男が長身の男にそう尋ねた。やはりやる気なのだろう。俺も最初から話し合いなどするつもりもない。
「雷撃ッ!」
小太りの男が長身の男に話し掛けた瞬間、俺は小太りの男に向けて雷撃を放った。小太りの男は痙攣したあと動かなくなった。ちゃんと加減したから死んではいない。
「て、テメェ! 汚いぞッ!」
長身の男が騒ぎ立てる。この男は何を言っているのか。
敵意を示した瞬間、この場所は戦場となった。余所見なんてしてたら格好の獲物だ。
ちなみにもう一人の男は俺が雷撃を放った瞬間に逃げてしまった。
「戦いに汚いもクソもあるか。そんな甘っちょろいことを言ってるようなら、このやり方……長く続かないんじゃないのか?」
「ああ、そうかよ。じゃあこっちにも考えがあるぜぇ……―――おらああああッ!!」
長身の男は隠し持っていたナイフの切っ先を俺に向けて突進してきた。
「遅い……」
あまりにも単調な攻撃に対して、俺は相手のナイフを持つ手を蹴り上げることでナイフを落とし、鳩尾に全力パンチをお見舞いした。
長身の男は少し吹き飛んで腹を抑えながら崩れ落ちた。多分、気絶した。
「……ゴブリンよりも弱いじゃないか」
俺はあまりの歯応えのなさに落胆する。失望したといっても良い。
「おい、おまえ大丈夫か?」
「ひぃぃぃぃ……! すみませんでしたぁ! いのっ、命だけはお助けくださいぃぃ……」
「いや、違う。殺す気とかはない」
「え……? 昨日のことを根に持っていて浅ましくも復讐に来たとかでは……?」
あれ? こいつなんだか挑発的だぞ。
「おまえ、殺されたいのか?」
「いえいえ! 滅相もございませんっ! ボクには生きなければならない理由があるのですッ!!」
「お、おう、そうか。とりあえず俺はこれで……じゃあな、頑張って生きてくれ」
「ちょ、ちょっと待ってください! あなたにお願いがございます!」
お願い……か。嫌な予感しかしない。
「やだよ、めんどくさい」
「なんですってッ! こんな可愛い少女の頼みを内容も聞かずに断るのですか!? この鬼っ! ひとでなしっ!」
こいつ……自己評価めっちゃ高いぞ。それにめっちゃ厚かましい。
「はいはい……何とでも言ってくれ。俺はもう行く」
「グスッ……待って、待っでぐだざいッ! ボグが……グス……悪かったでず……話だけでもぎいでぐだざい……」
嘘だろ……このガキ、泣き始めちゃったよ。鼻水と涙で顔がグチャグチャだ。手を唾液でベタベタにされた記憶が呼び覚まされる。
「わかった……わかったから、聞くだけだからな」
「ホントですかッ! ありがとうございます! 男に二言は許しませんよ! もしも断ったら地獄の果てまで追いかけて後悔させますからねっ!」
聞くだけと言ったのに、こいつの中では俺が引き受けるとなっているらしい。無性に殴りたい。
「はいはい、で? なんなんだよ」
「はいッ! 弟子にしてくだ―――」
「断るッ!」
俺は赤い瞳の少女のふざけた頼みを断った。案の定、ゴネられたが知ったことじゃない。
後をつけられそうになったので、普通なら五分の道のりを十分掛けるなど、ちょっと遠回りをしてしまった。
殺戮亭の場所を知られた場合、面倒な事態になるのは火を見るより明らかなので気は抜けない。些細な事でも細心の注意を払って用心しなければ。
「撒けたか……?」
俺は何度も後ろを振り返り、あの少女がいないかを確認する。
姿が見えない。どうやら撒けたようだ。
「変なのに絡まれたな……」
ゴブリン討伐の疲労も合わさってクタクタな俺は、一刻も早くベッドに入りたい一心で殺戮亭の扉を開けた。
「カインさーん、ただい―――って、何で……何でお前がいるんだよッ!?」
「ああ!? あなたこそ! ていうか逃げるなんて酷いじゃないですか!」
そこには呑気に野菜のスープを食べている赤い瞳の少女がいた。そのスープは俺も今朝飲んだ。
向こうも驚いているところを見るに、本当に偶然だったのだろう。
「なんだァ? マコトとイーズって知り合いだったのかァ?」
カインさんはいつも通り、カウンターに座っている。テーブルの上に置かれた本を見る限り、読書をしていたのだろう。
カインさんはこの少女と面識があるようだ。そして、少女の名前はイーズというらしい。
「違う、こいつはただのストーカーだっ!」
「言い掛かりです! あなたこそ昨日、ボクが声を出せないのをいいことにボクの体にあんなことやこんなことをしたじゃないですかッ!」
こいつ……ッ! かなり嫌な言い方だが嘘は言っていない。なら、俺にも考えがあるぜ。
「それはお前が俺の銅貨を盗んだからだろうがっ! それを取り返すための行動に過ぎない」
俺のしたことは正当防衛だ。何も間違ったことはしていない……はず。
「じゃあ、あんなことやこんなことしたのを認めるんですねッ! この変態! ほらっ、カインさんからも何か言ってやってくださいよ!」
その言葉に反応して、カウンターに座っていたカインさんがこちらへ歩いてくる。やばい……殺される。
しかし、俺の予想に反してカインさんはイーズの頭を鷲掴みにした。
「おい……イーズ。オメェ……もう盗みはしねェって約束したよなァ?」
「へ? ……あっ! ち、違うんです! これは言葉の綾というか……なんというか……」
カインさんに頭を鷲掴みにされたイーズは顔を蒼白させて、ガタガタ震えている。無様なもんだぜ。
「今日という今日はもう許さねェ……オメェはしばらく飯抜きだァ!」
「なッ……! そんなのってあんまりです! ボクに死ねって言うんですか!?」
「オメェのチンケな脳みそは一回くらい死なねェと直んねェだろォ?」
「うぇぇぇぇぇんっ! グスっ、ごべんなざい……グスっ、もうじないがら……許じでぐだざい……!」
説得できないと思ったイーズは泣き落としに入ったようだ。俺もされたからわかるが、あれをされると自分が悪いことをしたような気分になる。
カインさんは怖い顔とは裏腹に優しい人だ。きっと許してしまうだろう。
「チッ……仕方ねぇなァ、マコトが許したら考えてやるよォ」
てっきり全面的に許すと思っていた俺の予想は外れた。なんとカインさんは今回の是非を俺に委ねたのだ。
「ホントですか!?」
イーズが俺の許に駆け寄ってくる。日々の糧が無くなるかもしれないという焦りからか、その表情は必死そのものだ。
「あ、あの……お金を盗んでしまってすみませんでしたっ! 許してください、お願いします! ご飯はボクにとって世界に残された唯一の楽しみなんです……それが無くなってしまったらボクは……ボクは……っ! うわあああああッ!!」
うーん、ちょっと可哀想になってきた。イーズは鬱陶しいが、靴も履いていない少女の楽しみを奪うのは確かに酷な事だ。
そう考えた俺はイーズを許そうと思った。しかし、俺は見逃さなかった、このクソガキが微かにほくそ笑んだことを。
こいつは自分が泣いたり、必死に頼み込めば望み通りになるとでも考えているのだろうか。それはいけない。
「許すわけないだろ、バ~カ!」
「何でですか!? ボクは一日でもご飯を抜くと死んでしまう身体なんです! お願いです許してください! 何でもしますからッ!」
「そんなこと知るかッ! なら精々そのなめ腐った根性を叩き直すんだな! 俺は少し休む」
そう言うと俺は部屋へ向かうためにイーズから背を向けた。
「あ~あ、そうですかっ……。そっちがその気ならボクにも考えがあります。後悔させてやりますよ!」
後ろの方でイーズが何やらほざいているが、知ったことではない。やれるものならやってみろって話だ。
「そうですね……手始めに階段を上り下りする度に転ぶ呪いと不眠の呪いを掛けてやります……いつまで耐えられるか見物ですねぇ、グフフ」
するとイーズはぶつぶつと何か呪文のようなものを唱えだした。
どうやらあのイーズとかいう少女は先ほどとは別の意味で可哀想な子のようだ。そう思うと気が変わって少し許してあげたくなってしまうが、喧嘩を売っているようなので許さない。
あのクソガキが俺の靴を舐めて泣きながら土下座するまで許さない。
俺はイーズの言葉を無視して階段に足を置いた。しかし、何も起きない。また一段二段とゆっくりと階段を上るが何も起こらない。
異世界だから呪いというものに少し身構えていたが、嘘っぱちのようだ。
ならば恐れる必要は無い。俺は本来のペースで階段を上り始めた。しかし、二階まであと少しという所で異変は起きた。
俺の足が何者かに掴まれたのだ。
「うわあっ!」
俺は体勢を崩し、重力に従って階段を転げ落ちた。
「いっつ……クソ、なんなんだよ……」
俺はもしやと思い、イーズへ視線を向けた。
「ふっ……ふはははははっ! どうです? 痛かったですか? 食べ物を抜かれるボクの心はもっと痛いですよっ! さて、これで許してくれる気になりましたか?」
「誰が……許すかよ、このクソガキが」
「……気が変わりました、あなたが許すとかもうどうでも良いです。あなたが謝るまでボクも許さないことにします」
何かがイーズの逆鱗に触れたらしい。その声は少し怒気を孕んでいた。
「ボクの呪いに精々苦しみ抜いてください。……そして最後にあなたはボクの靴……と言いたいところですけどボクは靴を持ってないので、あなたはボクの足を舐めて泣きながら土下座するんです」
そう、ご存知の通りイーズは靴を履いていない。裸足だ。碌に舗装もされていないスラムの地面を裸足で歩き回るこいつの足は硬そうだ。
いつまでも床に伏しているわけにもいかないので、イーズの宣戦布告と共に俺は起き上がった。
「よっこらせっと……望むところだ。……精々、餓死には気をつけるんだな」
「なんか面白そうじゃねぇかァ! オレァ明日にはイーズが厨房の食材を漁ってるに銀貨一枚賭けるぜェ」
カインさんの協力は期待できそうにない。俺だけで何とかせねば。
俺はとりあえず夕食まで眠ることにした。まだ昼過ぎだ。夜になれば状況が変わるはず。
俺は部屋に行くために階段を上った。そして転んだ。
「プッ……」
イーズがニヤニヤしている。うざったい奴だ。
俺は恥ずかしくなり、逃げるように階段を駆け上った。今度は転ばなかった。