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第六十七話 気まぐれな処刑人と救いを運ぶ暴風

 「やあ、元気かい?」


 草原に吹く風のように爽やかで軽やかな少年の声が、このジメジメとした薄暗い空間に響き渡る。俺はその少年を無言で睨みつける。


 「何が不満だって言うんだよ。水だって飲ませてるじゃないか」


 「水だけで……生きられるほど……人間の体ってのは……強くねえんだよ」


 クルエルが俺へ死の宣告を通知してから四日が経過した。交渉の末、水だけは与えられることになった。だが、目の前のクソ野郎は水を与える対価として水責めを決行しやがった。こいつだけは必ず殺してやる。


 ちなみに今の俺に魔力の類は使えない。理由は分からないが、塞き止められたかのように魔力が流れない。まるで排水溝に汚れが詰まったみたいだ。


 「食いもんだ……食いもんを寄越せ……」


 ここに監禁されてから口にした物は水だけ。ただでさえ、この世界は満足な食事が取れない。さすがに体が限界なのだ。

 あぁ、カインさんの飯が恋しい


 「やだよ、面倒だなぁ。オレサマは魔力だけで生きられるから食べ物なんて必要ないの。だから備蓄とかも存在しないの。いい加減さぁ、そこんとこ理解してよね」


 何度も食べ物を差し出すように説得を試みている。しかし、こういった具合で退けられる。殺す相手に分け与える慈悲は持ち合わせていないらしい。


 「おまえ、絶対に碌な死に方しない」


 「こんなところで惨めに死を迎えるオマエほどじゃないさ」


 何も食べていないからだろうか。全身の倦怠感が凄まじい。いや、食事だけが理由じゃないな。拷問で血を流しすぎたのが大きな原因か。既に両手両足の爪は全て剥がされた。

 クルエルの言うとおり、なんとも惨めで無様だ。


 「チッ……それで、今日は何するんだよ。手短に済ませろ」


 ちなみにクルエルの奴、手に持ったペンチで歯を抜いたりはしてこない。理由を尋ねると、汚いからだと言う。奴の微妙な潔癖に助けられた。


 「いやぁ……それなんだけどさぁ……もうすることなくなっちゃった」


 「……マジで?」


 拍子抜けだ。明日は俺の命日となる日。よって今日は拷問最終日だ。何をされるのかと戦々恐々としていたのだが、それは杞憂だったらしい。


 「そもそもの話さぁ……拷問とかやったことないし。最初は楽しかったけど……オレサマの求めるモノじゃなかったよ。オレサマが求めてるのは刹那的な恐怖と苦悶の声。一匹の生物を何日も何度も執拗に痛めつけたって意味が無い」


 まったく、価値が無い。そう吐き捨てたクルエルの瞳には何も映っていない。


 「じゃあ早く俺を解放し―――」


 「だから今、ここでオマエを殺すことに決めた。一日早いけど……誤差みたいなものでしょ?」


 ですよねぇ……。嫌な予感はしていた。暇になったこいつが律儀に待ってくれるはずがない。だが、俺は死ぬ訳にはいかないのだ。


 「約束と違うじゃねえかっ! あと一日だけ時間をくれ!」


 「うるさいなぁ……。約束ってのはね、お互いが対等な立場で成立するんだ。雑魚がオレサマに意見しないでよ」


 「せめて半日……いや、六時間でいい! ちょっと待ってくれよ!」


 時間があれば解決の糸口が何か掴めるかもしれない。しかし、そんな俺の淡い希望も空しく、クルエルは腰の刀へ手を掛ける。


 「なんでオレサマがオマエなんかに時間を割かなきゃいけないの? 思い上がりも甚だしいよ。ガイツに肉体を渡す気が無いなら、オマエという人間に価値は無い」


 クルエルは黒い鞘から透き通るような銀色の刀身を抜く。俺は拘束されている。何一つ抵抗はできない。抜刀する際の金属音で指先が震える。


 「オマエを殺してガイツが現れなくても……問題は無い。明日からまた日常に戻るだけ……それだけ……」


 ゆっくりと奴は刃を振り上げる。俺にとっては断頭台に等しい。


 「……光輝たちに……勇者に手を出したら……呪い殺してやるからな」


 「もう死んだ後のことを考えてるなんて、殊勝な心掛けだね」


 俺の首に死を告げるギロチンが振り下ろされる直前、突如としてクルエルの真後ろへ岩石が降ってきた。その瞬間、俺の視界には月明かりが差し込む。天井が崩れてきたのだ。


 「妖精の刃(シルフィブレード)っ!」


 「クッ!」


 飛来した一陣の凶風がクルエルの刀を弾く。しかし、奴の手から刀を引き剥がすには至らず、体を仰け反らせる程度であった。


 風魔法を放った人物が横になっている俺と、仰け反って距離を取ったクルエルの間へ着地する。


 「ウームっ!? なんでここにいるんだ!?」


 月明かりに照らされたのは細い銀縁の眼鏡を掛けた女。奴の艶めかしく美しい茶髪が風に揺れる。紛れもなく、王都で受付嬢をしているウームだった。


 「事情は後で説明します! 逃げますよ!」


 ウームは腰に差した短剣を抜くと、豆腐を切断するかのように俺を縛っている水の縄を切り裂いた。あの短剣、物質を切るというよりも魔力を切っている感じだ。


 手足が自由になった俺は、そのままウームに抱きかかえられる。お姫様抱っこというやつだ。生まれて初めての経験である。


 「逃がすと思ってるの? そんな訳ないでしょ! 手繰り水蛇(ロブテネル)っ!」


 俺を抱えて宙を浮遊するウーム。風魔法に風の靴(フライエア)という魔法がある。まさかウームが風魔法を使えるとは知らなかった。そんなウームのもとへクルエルが放った無数の水の蛇が襲い掛かる。


 「手乗り鳳凰(テンペットリート)


 しかし、ウームの手から放たれた極小の竜巻の群れによって、蛇たちは無残にも切り裂かれ散ってゆく。水の蛇を葬った後、竜巻の群れは一つとなってクルエルへ迫る。


 「落ちないでくださいよ!」


 竜巻がクルエルへ衝突すると同時に、ウームは俺を連れて天井の穴から外へ飛び立つ。そして、そのまま速度が加速され、景色が後方へ流れていく。

 それはクルエルの手から逃れたことを意味していた。


 「ここでいいでしょう」


 黒い砂の大地へ降り立ったウームは、抱えていた俺を砂の上へ優しく下ろした。


 「助か……ったぜ」


 砂へ足が触れると同時、俺は崩れるように砂の上へ膝をつく。


 「無事で何よりです。遅くなってすみませんでした」


 そう言ってウームは俺に頭を下げた。重力に従って垂れた髪で表情は見えない。


 「あんたが来てくれなきゃ……死んでた。そこで一つ質問がある。……ウーム、あんた何者だ? ただの受付嬢ってわけじゃねえだろ」


 受付嬢は冒険者を相手にする仕事柄、それなりの戦闘力を有している。けれど、ウームはクルエルと対等以上に渡り合っていた。受付嬢どころか、ゴールドランク冒険者をも遥かに超える戦闘能力だ。


 現れたタイミングも出来すぎている。まるで、こうなることが分かっていたかのようなタイミングだった。


 「ふふっ、やはりあなたは勘が良いですね」


 ウームは一呼吸置いてから、その口を開いた。


 「叡智の魔王ウーム=ルザーブ。それが自身でさえ憎悪する汚れた私の名です」


 「……さっきまで魔王にいじめられてた俺にとっちゃ、面白くない冗談だぜ」


 信じたくはない。だが、鼻息で吹き飛ばせるほどの否定材料が無いこともまた事実だ。そういえば魔王と対等に戦えるのは勇者、もしくは同じ魔王だけ。そんな言葉を誰かが言っていた。


 「あなたが信じようと信じまいと私は魔王です。けれど、あなたたちと敵対するつもりなど毛頭ありません。なので、その握った拳。緩めてもらって構いません。私たちの望む未来は同じなのですから」


 ウームが悪人じゃないことは理解している。異世界で友人と呼べる存在の一人だ。恩だってある。


 「わかった、敵対はしない。お前と戦ったところで勝てそうも無いし」


 それにクルエルと同等以上の戦力がこちらに増えるのなら好都合だ。ウームはクルエルと敵対しているようだし、目的もある程度は本当に合致しているのだろう。


 「敵の敵は味方ってことで……よろしく」


 胡坐を掻いた状態だが、俺はウームに向けて手を差し出す。こういうのは柄じゃないので気恥ずかしい。


 「セクハラですか?」


 「てめぇマジで許さねえからなっ!!」


 俺の厚意を目の前の眼鏡女はドブに捨てやがった。これからの雲行きが怪しいったらないね。


 「ふふっ、冗談ですよ」


 引っ込みかけた俺の手のひらを、ウームは微笑みながら両手で包み込んだ。


 「お前は面白くない冗談が得意らしいな」


 その優しく冷たい手に引かれて俺は立ち上がり、黒い砂を見渡した。

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