第五話 空き巣の手口と汚れない制服
異世界に召喚されてから一ヶ月が経過した。
俺は現在、光輝と訓練場で模擬戦をしている。ちなみに智恵美さんと天導さんは別の訓練場で魔法の練習だ。
今回の模擬戦も光輝は木剣を装備していた。俺? 俺は素手だ。武器とかわかんないもん。
「両者、位置につけ!」
フォルディさんの合図で俺と光輝は互いに五十メートルほど離れた。
「構えッ!」
光輝が木剣を構える。それだけで尋常ならざる緊張感が走った。
初めての模擬戦の時とは比較にならない威圧感だ。俺も慌てて拳を構える。
「始めッ!!」
光輝は威圧感を垂れ流したまま動かない。あいつはいつもそうだ。先手は必ず俺に譲ってくれる。
あいつの良いところは優しいところだ。ついでに顔が良いとこも。
だが、今はそんな優しさなどいらない。俺が惨めなだけだ。
どうせ俺の攻撃は全て相殺するんだから意味のないことである。
しかし、だからこそ今日は一撃だけでも当ててやる、と俺に思わせてくれる。
「加速する歯車」
俺は全身に僅かに電気を流し、それを魔力と共に体全体に循環させた。特に手足を重点的に。
俺は光輝との模擬戦で、手数の少なさを実感した。それから始めにやったことは、自身を強化することだ。
そして完成した技がこの加速する歯車だ。
突然だが、人間の体は微小な電気の信号で動いているそうだ。
ならば、その電気を大きくすればどうなる。
答えは単純だ。体をもっと速く動かせる。
しかし、単純に電気を流すだけでは感電してしまうだろう。
なので、魔力で覆った電気を全身に流して馴染ませる。
それから強化したい部位へ特に重点的に魔力と電気を流すのだ。
前にも述べたが、魔力はある程度の電気なら俺を守ってくれる。その働きを利用した。それに、電気は俺の雷操作のスキルによって、手足のように俺の一部みたいな物だ。雷を通せば複雑な魔力の操作なんて造作も無い。
俺は表面上は何も変化の無い足で地面を強く蹴り、一瞬にして光輝との距離を詰めた。
光輝が目を見開いて驚いている。
俺は即座に渾身の右ストレートを光輝の腹に繰り出す。
光輝はそれを後方へ飛ぶことで避けた。俺の拳が空を切る。
俺は後ろに下がった光輝に向けて二秒ほどで作った雷撃を放つ。
しかし、光輝はそれを光弾で相殺した。
それから何度も何度も距離を詰めて殴ったり蹴ったりするが、どれも空振りか防御される。
俺はもう息を切らし始めていた。それに比べて光輝はまだ余裕そうだ。
身体能力を強化してもこのザマか。まったく歯が立たない。
「……ふざ……けるなよ……」
俺の中で何かが弾けた。
俺は放電で自身の魔力を全て雷に変えることにした。
加速する歯車に回している魔力と電気も全てこちらに回す。
そして、人差し指の先にその電気を全て集中させた。
電気の威力が俺の許容量を超えて、体に痛みが生じた。
だが、俺は痛みを無視して球状の雷を形成していく。
「ま、誠!? なにやってるの!?」
魔力を込めれば込めるほどにドンドンと大きくなっていく雷撃。それはまるで、膨れ上がっていく俺の焦りや劣等感にも似ていた。
出来上がった雷撃は俺の頭より一回り大きかった。
俺は威力を増幅させるために、それを無理やりテニスボールほどの大きさに圧縮する。
俺は何で必死になってんだ。こんなことをしてもなんの意味も無い。頭ではわかっているのだ。
しかし、俺の心が止まってくれない。
俺はこれほどの雷撃を放ったことがない。だから、これがどれほどの威力なのか俺は知らない。
知っているのは、これが俺の全力だということだけ。
「雷撃オオッ!」
俺は俺ができる全てを光輝に放った。
「クッ! 光弾……!」
光輝は俺の雷撃にお得意の光魔法、光弾をぶつけた。
周囲に光が満ちる。
そして、激しい爆音と共に俺の意識は途切れた。
「あれ? ここは……」
ふと、俺がよく読んでいる魔法に関する本が目に付いた。
「あ、俺の部屋か」
きっと光輝かフォルディさんが運んでくれたのだろう。迷惑ばかり掛けて本当に何をしているんだ俺は。
外を見ると夜だった。差し込む月の光だけが俺の部屋を照らしていた。
「まったく歯が立たなかった……」
俺はこの一ヶ月間、かなり努力したと思う。毎日、雷操作の鍛錬は欠かさなかったし、筋トレや走り込みだってした。
しかし、どんなに努力しても光輝たちはその先を行ってしまう。今日の模擬戦だってそうだ。
俺の全身全霊を込めた雷撃を光輝はタメ無しの光弾でいとも容易く防いだ。
それに、天導さんと智恵美さんだっておそらく俺よりも強い。
足を引っ張らないように頑張ってきたつもりだったが、無理のようだ。
俺たちはそのうち魔王を倒すために実際に魔物や魔族と戦う。
魔物や魔族がどれほど強いのか俺は知らないが、その時に俺はきっと何もできない。
それほどまでに俺は弱い。
しかし、それを解決する策がない訳ではない。
「城を出る……か」
俺は強くなる。そのためには一刻も早く実戦を積まないといけない。
城にいてもそのうち光輝たちと実戦を積む日が来るだろうが、その時も俺が足を引っ張っていては意味が無い。
思い立ったが吉日。今日出よう、今すぐ出よう。
さすがに無言で出て行くと余計な心配をされるかもしれない。なので書き置きを残して行こう。
「えーと、どうしよう。……ニ年後に戦争で会おう。……シンプルにこれで良いか」
アドルフさんの話を信じるなら、憤怒の魔王が侵攻してくるのはニ年に一度だ。
きっと戦いの中心には憤怒の魔王がいる。ならばそこに光輝たちもいるはずだ。
俺の考えが正しければ憤怒の魔王との戦争で必ず光輝に会える。
後はこの書き置きを光輝の部屋に置いていくだけだ。
確か光輝の部屋は俺のいる三階西棟の角部屋の反対にある東棟の角部屋だ。
そこそこ距離はあるが今の月の位置から見て、ほとんどの人間は寝ているはずだ。
行くなら今しかない。
俺は音を立てないように自分の部屋の扉を開けた。
扉の軋む音がして俺はビクッと肩を震わせた。
「うん、誰もいないな」
「……どこへ行くのですか」
「ギャッ――」
俺が開いた扉の反対側に俺を嫌うメイドがいた。
向こうも少し驚いているところを見るに、本当に偶然通り掛かったのだろう。
俺は叫びそうになるが、叫んでしまえば俺の計画がお釈迦になるのでギリギリのところで耐えた。
「いや、ちょっとトイレに……あなたは?」
「見回りですよ。まったく……あなたに会うとは、私もつくづく不運ですね。今度お払いにでも行ってきましょう」
この世界にもお払いがあるのか、などとどうだっていいことを思いながらも、俺の心臓は爆発しそうだ。
「は、はあ、そうですか。じゃあ俺はこの辺で……」
こんな所で道草食っている場合ではない。俺の計画は迅速な行動が鍵なのだ。
「待ちなさい。一つだけ聞きたいことがありました」
なんだ、急に改まって。今はこんな場所で足を止めている場合ではない。
「なんですか? 俺は急いでるんですけど」
「時間は取らせません。ただ……あなたが勇者とこの国のことをどう思っているのか、それを聞きたいのです」
ん? 政治の話か? 生憎と俺はそういうことにあまり興味ないんだけどなぁ……。
でも、それを正直に言うと暴言が飛んでくるので答えるしかない。大丈夫、思ったことを言えば良いだけだ。
「どっちも好きじゃないですね、特に王都は。俺も勇者だったら違ったかもしれないですけど……やっぱり俺一人だけが勇者じゃないとなると……居心地悪いですよ」
この国が好きじゃなかったり、居心地が悪かったりするのはアンタのせいでもあるけどな。と言いたかったが、俺にそんな度胸はなかった。ぐすん。
勇者である光輝たちのことは嫌いじゃない。むしろ好きだ。
でも、やっぱり劣等感を拭い去ることはできなかった。だから城を出るんだけどな。
「へぇ~、この国が嫌いですか。……それは滅ぼしたいほどに?」
別に嫌いとまでは言ってないんだけど……。俺が王都を好きじゃないと言った途端、メイドの機嫌が良くなった気がする。
それに加えて滅ぼしたいか聞いてくるのもなんだか妙だ。
「いやー、衣食住を保証してもらってますからね。そこまでじゃないですよ」
「はぁ、そうですか。……もう行ってもいいですよ。その膀胱が破裂しないうちに去りなさい、豚が……」
俺がこの国を憎悪していないと知ると、メイドはつまらなさそうな顔をした。この人はこの国が嫌いなのだろうか。
「ちょっと待ってください。あなたはこの国が嫌いなんですか?」
「はあ? 当たり前じゃないですか。こんな国さっさと滅びれば良いのに、と思いながら毎日を過ごしています」
「過激ですね。あなたの考えを否定する気はないですけど、そういうことは表立って言わない方が良いんじゃないですか?」
いつもなら反論などせずに同調するのだが、どうせ今日から会うこともない。最後くらい自分の意見を言ってもいいだろう。
「……それもそうですね。しかし、あなたが私に異見できるとは随分と思い上がったものですね。でも、以前のあなたよりは面白いですよ」
そう言うと、メイドはクスッと僅かに笑った。この人の笑ったところを見るのは初めてかもしれない。
いつも無表情なので怖いのだ。凛々しい雰囲気がその印象をさらに強くしている。
「相変わらず酷い物言いですね……。それと、笑った顔を初めて見ましたけど無表情よりもそっちの方が良いと思います」
「なッ!? うるさいですよ! 少しおだてられたくらいで調子に乗るなんて猿と同じですね! 図に乗らないでくださいっ!」
メイドは怒っているのか、少し声を荒げた。
「す、すみません……! 静かに……静かにしてください」
「ふん……わかれば良いのです」
必死の想いが伝わったのか、メイドは声を静めてくれた。まったく、手の掛かるメイドさんだ。
「じゃあ、俺はこれで……あっ、そうだ名前……名前を教えてもらっても良いですか?」
この一ヶ月間でわかったことだが、このメイドは嫌味が多いが悪い人ではない。さっきの会話でその思いが俺の中で強くなった。
もう会うこともないだろうが、名前くらいは知っておきたい。
「……グリーフです。私はこれで失礼します……あなたも自分の膀胱は大切にしてください」
そう言うと、メイドもといグリーフはスタスタと早歩きで去ってしまった。
「……俺も行くか」
俺は音を立てないように歩き、光輝の部屋へ辿り着いた。
まずは起きていないか確認するために、耳を扉に当てた。傍から見れば完全に不審者である。
うん。微かに寝息が聞こえる。大丈夫だろう。
俺は音を立てないようにゆっくりドアノブを捻り、部屋へ侵入した。
ここまで来れば不審者どころか犯罪者である。
俺はすぐに書き置きの紙を光輝の机に置いて、部屋を出た。気分はサンタクロースだ。
「プレゼントがお別れの手紙ってのはセンス無いけどな……」
そう呟くと、自分の部屋に戻った。
「問題はどこから出るかだ……ん?」
俺は月の光が差し込んでいる自分の部屋の窓を見た。
この世界のガラスは日本の物と違って作りが荒い。そのためとても脆い。
それに、少し無理をすれば俺でも通れそうな大きさだ。
「……できるかもな」
俺は幼い頃に好奇心でガラスの破片を火で炙り、割ってしまったことを思い出した。
今回はそれを雷でやってみようということだ。
ちなみにこれは焼き破りというガラスを割る手法らしい。
これの特徴はあまり大きな音を立てない所だ。
殴ったりすれば手を負傷するかもしれないし、鈍器を使えば大きな音を立ててしまう。
俺はベッドの上に立ち、窓に指先を向ける。そして放電で小さい球状の雷を作る。
これを窓に近づけ、少しずつ威力を上げていく。
ピシッという小さい音と共にガラスが割れた。
「よっし、割れたぞ」
後は体をねじ込んで通るだけだ。俺はブレザーを脱いで窓に足を通した。
ブレザーを脱いだのは通りやすくするためだ。
もちろん脱いだブレザーはもっていく。今の時期はまだ少々冷える。
窓を通り抜けることには成功した。
しかし、別の壁が俺の前に立ちはだかる。
「おいおい、こんなに高いのかよ……」
そう、高さだ。ここは城である。
しかも王都とか言うこの世界で最も栄えている場所の城だ。
なので、三階という高さでもかなりの高所だ。三十メートルはあろうか。落ちたら即死だ。
「寒いな……ブレザー着るか」
ちなみに、このブレザーはこの一ヶ月間ほぼ毎日のように着用している。
不思議なことに何日なっても異臭を発しないし、汚れも時間が経つと綺麗になっている。強度も少し丈夫になっているようだ。
おそらく召喚の際に俺たちと同様、衣服なども強化されたのだろう。
ブレザーを羽織った俺は、石造りの壁の僅かな出っ張りに掴まって少しずつ降りていく。
「やっべえな……こんな緊張感……日本じゃあ滅多に遭えないぞ」
二年後に会おうと書き置きを残した翌日、城の敷地で死体となって見つかったでは末代までの恥だ。しかし、そうなった場合は俺が末代なので、実際は城で笑い話になるくらいだろう。
何度も手を手足を滑らせそうになりながらも、俺はようやく地面に足をつけることができた。
俺はすぐに城の門へ向かった。
城の門は何度か城の窓から見たことがあるので、場所はおおよそ把握している。
「やっぱりダメか……」
城の門にはやはり門番が立っていた。当然である。
予想できていた俺は城門から離れた城壁に向かった。脆くなっている壁を見つけるためだ。
「こんなにデカいんだ。どこか一つくらい脆くなっていても不思議じゃない」
そして、俺は数十分ほど掛けて、少しだけ古くなっている城壁を見つけることが出来た。
「以心電心」
俺はその壁の僅かな罅に指先を当て、微弱な電気を流した。
壁の罅から入り込んだ電気が内部の情報を俺に教えてくれる。
俺のスキルは電気を操れるため、こういった使い方も可能だ。
「まあ、風魔法と雷魔法の中級魔法に、これと似たようなものがあるんだけどな……」
壁の最も脆い場所を見つけた俺はそこの軽く一突きする。すると、壁が少し砕けた。
「あとはこれを広げるだけだ……!」
城壁を崩壊させてはいけないので、俺は何回も以心電心を使いながら、壁を掘り進める。
数十分の奮闘の末、俺は城を出ることが出来た。
「夜明けが近いな……急ぐか」
まだまだ暗いが、おそらくあと二時間ほどで月が眠り始める。
そうなればグリーフあたりが俺の失踪に気付くはずだ。
「光輝……俺は強くなって戻るぜ……!」
その数時間後、はずれ勇者失踪の報は城中を駆け巡ることとなった。