第5話 宿に戻って
「待たせたな、トゥール」
「いや、大丈夫ですけど……村長とは何を?」
アルバはにやりと笑うと、少女の頭をガシガシと撫でた。
「ガキ、名前は?」
「……アシアラよ」
「だってよ」
頭を強く撫でられたのが気に障ったのか若干不機嫌そうに名前を告げる少女と、なぜか満足気な笑顔を浮かべているアルバ。そのやり取りの意味が分からず、トゥールは困惑する。
「何を言っているんですか。その子の名前が何だっていうんです」
「決まっているじゃないか、引き取るんだよ。挨拶だ、挨拶。名乗るのは礼儀だろう。ほら、トゥールも」
「え、ええ……僕はトゥールです。よろしく、アシアラちゃん……って、急に何を言っているんですか! 僕は引き取れませんよ!? 結婚だってしてないのに娘だなんて」
「俺だって結婚してないし娘なんていないぞ」
「別に私は娘になるつもりは無いわ」
さも当然といったように、アルバは不思議そうな顔をした。それに同調するように、アシアラも小首をかしげる。それは狼狽するトゥールとはあまりに対照的だった。
「いや、そりゃそうでしょうけど」
「安心しろ。預かるのは俺だ」
「へ? ……アルバさんが?」
「よし、じゃあ街に帰るか。アシアラもトゥールもさっさと馬車に乗れ」
何か言いたげなトゥールを気にするそぶりも無く、アルバはさっさと馬車に乗ってしまった。アシアラもトゥールを一別しただけで、アルバの後を追って馬車に乗る。
あまりに突然のことに整理が出来ずに頭を抱えているトゥールだったが、少ししてから諦めたように首を振った。
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街への帰り道。一昔前に比べて随分綺麗に舗装されているとは言えども、時折馬車は大きく跳ねた。ガタリゴトリと鳴る音と強い振動であったが、横になっているアシアラの睡魔を妨害することはかなわないようだ。
「ぐっすり寝てますね。馬車に乗る前は随分元気になったと思ったのに、進みだしたらパタリですから」
「そりゃそうだ。ずっと無理してるからな。あんなもの空元気だ」
「空元気、ですか」
「目の前で両親のあんな姿を見ちまったんだ。その割には随分と強い子だとは思うがな」
「君は随分偉そうに言ってますけど、自分がまだ十代だってこと忘れてませんよね?」
「人生ってのは経過した時間じゃなく、その中で経験したことの密度で変わるんだよ」
「そうですか、それは良かったですね。貴重な体験を色々としているようで」
「おかげさまでな」
嫌味な事で、と小さく返したトゥールだったが、それ以上は口を開かなかった。鞄から手記を取り出すと、今日の出来事を思い返しながらメモを書く。
その隣で、アルバは馬車の外を流れる景色をのんびりとながめていた。
街に着いたのは空が赤く染まったころだった。
「それじゃあ、僕は本部へ戻ります。報告書の方は二、三日中に持ってきてくださいね」
「ああ、前回の仮定をもっと掘り下げたものを提出してやるよ」
「勘弁してください。ただでさえ今回のは色々普通じゃなかったんですから」
心底うんざりしたような表情を見せると、トゥールは人混みの中へ消えていった。
その後ろ姿を見送ると、アルバはアシアラを連れて宿に向かった。この街を拠点として活動するときはいつもこの宿を利用している。一番の理由は安さだったが、値段の割に立地も良く、一階は受付兼酒場となっており色々と便利なのだ。
「とりあえず、飯を食うか。食いたいものがあれば言ってくれ」
「なんでもいいわ。お腹ペコペコ」
奥のテーブルに適当に腰かけ、いくつかの料理を頼む。すぐに運ばれてきた料理は、小さなテーブルを埋め尽くした。
大人数人分くらいの量であったが、瞬く間に二人の胃袋に消えていく。
「よく食うなおい。神経の図太い事だ」
「あなたが言ってたんじゃない。パパもママも強かった、立派だったって。二人が胸を張れる娘にならなきゃ」
いつまでもクヨクヨしていられない、そんな言葉をアシアラは料理と共に飲み込んだようだった。並べられた皿が綺麗になるには大した時間もかからず、酒場の主人も呆れているようだった。
満腹の腹を押さえながら、二人は部屋へ向かう。アルバは今日の報告書を書く必要もあるのだが、それ以上に眠い。
宿の部屋は元々一人用のものを借りていたこともあり、ベッドは一つしかない。他にあるものと言えば、丸いテーブルとその脇にソファが一つ。あとはコートかけと、すっかり暗くなった窓の外の景色が目に付くくらいのものだった。
「ベッドは好きに使いな。俺はソファがあれば充分だ」
「でも……」
「いいから使え。ガキはワガママなくらいでいんだよ。他にも必要があれば言えよ」
「……じゃあ、もう一部屋借りて頂戴。私はガキじゃなくて思春期真っただ中のレディーだもの」
「そんな金はねぇよ。我慢しろ」
「ワガママ言えって言ったじゃない」
「ガキじゃなくてレディーなんだろ? 我慢しろ」
頬を膨らませるアシアラと、それを無視してさっさとソファに座ってブランケットに包まるアルバ。アシアラが諦めてベッドに横になるまでにはそれほど時間はかからなかった。
野外で眠る事もあるとはいえ、やはり座った姿勢で眠るものではないなとアルバは思った。窓の外はまだとっぷりと暗い。変な時間に目を覚ましてしまったようだ。
ベッドからは小さな寝息が聞こえる。
「パパ……ママ……」
小さな力無く震える声だった。強がってはいたが、やはり無理をしていたのだ。声をかけようかとも考えたが、アルバ達に心配をかけまいとしての強がりに対して、それを台無しにするのも野暮だろう。
アルバは聞かなかったことにして、二度寝することにした。もっとも、翌朝起きてきたアシアラの腫れぼったい目をからかって台無しにしてしまうのだが。