第2話 ミスか計算か
近づいてくる影の足は決して速くはない。太陽の光に照らされて、少しずつその姿がはっきりしてくる。遠目からでも分かるほどの真っ赤なドレス。髪は風に揺られ、輝かしい金の波に赤い線を引いていた。
やはり女、それも随分と年若い。十も半ばといったところだろうか。
「……け……だ・い」
二人に向かってその少女は何かを叫んでいる。周りの木々が丘を抜ける風に鳴き、はっきりと聞こえない。
「トゥール、立てるか?」
「ハハ、少し厳しいですね。腰が抜けちゃいましたよ」
丘を抜ける風は強い。その上少女の周りにはそれを遮る風もない。バタバタと強くなびくドレスの端から、わずかに水滴がこぼれているように見える。
その水滴が確認できた時、少女の姿は陽の光の下にはっきりと映し出された。
「赤いな。真っ赤だ」
「良く冷静でいられますね、アルバさん。あれ、誰がどう見ても血じゃないですか。それをあんな……」
苦しそうな表情のトゥールは今にも吐きそうといった様子だ。アルバも内心動揺はしていた。辛そうなトゥールを見て、それも無理のない事かもしれないとも感じていた。
少女はきっと着衣のまま血のシャワーを浴びたのだ。その少女の姿を見た時、二人の頭の中で描いた絵は、とてもおぞましく陰惨なものであった。
そして、確かに何もない空を走り抜けてきた少女はついに力尽きたのか、二人のいる丘に着くや否や倒れ込んでしまった。さっきまで腰を抜かしていたはずのトゥールが、少女を素早く支える。
ここに着くまで何度も叫んだのだろう。必死で逃げてきたのだろう。少女の声とは思えないほどしわがれていた。
「たすけて……ください……パパと……ママが……」
トゥールの袖をつかみながら、苦しそうな声で懇願する少女。その眼の周りだけ血はついておらず、代わりに酷く腫れていた。ここまでずっと涙を流し続けていたのだろう。それでもなお、家族のためにここまで走ってきたのだろう。
「安心してよお嬢さん。このアルバお兄さんは見た目こそ小さいけど結構強いからさ。すぐに助けに向かうよ」
ありがとう、という力すら残っていなかったのだろう。それでも、トゥールの言葉にこわばった表情を少しだけ緩めると、そのまま気を失った。
「急ぐぞ、あまり離れるなよ」
トゥールは少女を抱きかかえると、深く頷いた。それを合図として二人は走り出す。先ほど思い描いた陰惨な絵を現実にしないために。
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森の道を全力で走りながらも警戒を忘れずに意識を張るアルバだったが、そんなアルバについて来れられるトゥールに対し少し驚いていた。少女を抱えた状態であるにもかかわらず、息一つ切れていない。
これならば少女の事を任せることが出来る。先の情報だとこの先に待っている妖魔はアルバの苦手にしている種類のものである。守りながら戦う事を避けられただけでもありがたい。
「……近いな」
「そうですね。血の匂いがします」
随分走ってきた。先の丘からの距離を考えると、もうそろそろ村に着く頃だろう。道の両脇に濃く生える木々のために見通しが悪いが、風が血の匂いを運んできていた。
大きな曲がり道を進むと村の入口が見えた。もう目と鼻の先だというのに、嫌に静かだ。その静寂と裏腹に辺りに漂う死臭は随分と濃い。
道の脇に入り村全体を眺められる場所を探す。小さな集落だ。少し歩いた先にある岩陰から村の中を覗いた。
その村の中央にいくつか倒れている人影がある。村の男達だろうか、近くに農具が散らばっていた。遠目でも、それらが屍であることはわかった。
そして、それらの死体を漁る者の姿が一つ。
「いやいや、嘘でしょ……人型の妖魔だって……」
「凄いな。お目にかかるのは初めてだ」
「人型の妖魔なんて、君が五人いても勝てるかどうかってところですよ。クソ、適当な報告書寄越しやがって」
トゥールは資料を読み返しながら舌打ちをした。そこに居たものは人型の妖魔。並の男より一回り大きい上背に、まるで丸太のような腕と足。その体は黒いもやでおおわれており、それは妖魔を妖魔たらしめんとする怨嗟の魔力が渦巻く姿であった。
色々な姿を模した妖魔の中で、その強さは大きさに比例していると言われている。人型の妖魔はその尺度の外にあり、例外的に抜きんでた力を持つ。
「どうした。指示書のミスなんか珍しくないだろう」
「内容によりますよ。こんなに酷いミスは初めてです。組織の在り方に疑問を感じますよ」
「そういうな。それに、多分ミスじゃない」
そういうと、アルバは気配を殺したまま立ち上がった。トゥールは声も出ないといった様子で驚いた。一人でこの妖魔に立ち向かうなどと命知らずにもほどがあるというものだ。平然とした表情のアルバは、妖魔の所作を見逃すまいと見つめていた。