第1話 赤いドレスの少女
雲は空高く、ゆっくりと流れている。見渡せば長く続く山々が映え、太陽に照らされた明るい緑と空の青とのコントラストは夏の色を感じさせた。
そんな山へと続く並木道を歩く二つの影があった。まだ日も高く、それなりに整備された大きな道だというのに二人の姿以外に人の気配は無い。それはこの先の村で起きている問題がどれほど大きなものなのかを窺わせた。
影の片割れ、傭兵アルバは妖魔討伐の依頼を受けて田舎の村まで向かっている途中だった。一つ歩くたびにくすんだ金の髪が揺れる。
妖魔。生物の姿を模した生物ならざるもの。
本能のままに田畑を荒らし人を襲うそれらは、野生動物に比べて一回りも二回りも強靭で気性が荒く、並の人間では太刀打ちできないのも無理からぬことであった。
それに困った村や街が、アルバ達のような傭兵に対して救いの手を求めることも多い。
「なあトゥール、目的地までは後どれくらいかかる?」
トゥールと呼ばれたもう一つの影は懐から懐中時計を取り出すと、一つ溜息をついた。サングラスのせいで表情ははっきり分からないが、良い話ではないようだ。
「あと半分ってとこですねぇ。今のペースだともう少ししたら小高い丘がありますから、そこから街が見えるはずです」
「そうか、結構あるな……まだ歩けるか?」
「当然です。だてに案内人をやってませんよ。僕は戦闘はからっきしでも、歩くだけなら君たち妖魔狩りにだって負けないですから」
「頼もしい事だ」
案内人と呼ばれる者たちは、多方面から集まった案件についてしかるべき所へと連絡や依頼を行う仕事をしている。妖魔退治だけで無く、街のごろつきから野生動物による畑荒らしまでを管理している。
トゥールもその案内人の一員であり、今回はアルバの妖魔退治に帯同していた。
案内人達の元へ来る案件は多岐に渡るのだが、その中で妖魔退治を専門で行っているアルバのような者の事を、「妖魔狩り」と呼んでいた。
「そういえば、前回の報告書は一体なんだったんです?」
「前回の? 別にいつも通りだろうが。妖魔を狩った報告だろう。あれは猪型だったかな」
「妖魔の種類は別にいいんですよ別に。僕が言っているのは、妖魔が別の世界から来てるとかいう仮説の方ですよ。やめてくださいよね、厄介な事増やすの」
「それが一番自然な理由だったんだからいいだろう」
トゥールは苦々しい表情でアルバを見る。
「妖魔は隣国の何所かの生物兵器というのが国の公式見解です。それが逃げ出して暴れている。だからこそ国境沿いにしか出現しませんし、こんな田舎まで来るための金も補助されるんです。それは本当でも嘘でも関係ないんですよ」
もちろんアルバもそんなことは知っている。生まれてから、自分の名前以上に聞かされているかもしれない程に、この国では当たり前の話であった。
だからこそアルバは嫌だった。アルバの目指すべき目的にとって、自国の出すあからさまな嘘や偽りの情報はただのノイズに過ぎない。
「……わかっているだろう」
「『妖魔をこの世から消す』ですか? アルバさん以外にもそう思って戦っている人は多いですけどね。悪いですけど、僕は危ないことに首を突っ込むつもりはないので」
案内人の元へは国からも依頼がある。だらかこそ彼らは厚く保護されている。忙しく、辺鄙なところへ行かなければならないが、それと天秤にしても十二分なほどに生活は保障されていた。
殆どの案内人達は同じ意見であり、アルバ達の熱量の高さを良く思う者は少ないだろうとトゥールは考えていたし、事実そうであった。
「違う、俺は俺の考えた仮説が証明されればそれでいい。むしろ、妖魔に居なくなられたら困ってしまうかもな」
「……不謹慎なこともあんまり言わないで下さいね」
「それはお互い様だろう」
誰かに聞かれでもしたら、どこかに突き出されてもおかしくは無い、そんな会話であった。
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しばらく歩いていると、不意に両の木々が消えて開けた場所にでた。そこがトゥールの言っていた丘であり、そこからは多くの山々が連なる景色を一望することが出来た。
そしてその広がった景色の中にポツリと一つ、集落が見える。
「あれが今回の目的地か」
「そうです、あそこに熊型の妖魔が出たという報告がきました。一体だけという話ですから、君でも十分倒せる相手でしょう」
「あいつらは皮が分厚いから得意じゃないがな。まあ、仕事は仕事だ」
「まあ君の能力も装備も人相手のほうが有効でしょうからね」
アルバの腰には細身の剣が一振りと、ナイフが一本備え付けられてあった。その細身の体と相まって随分と頼りなく見えるが、傭兵になってからの二年間に狩った妖魔はすべてこの二本のみでこなしてきた。
「さて、無駄話はやめて先に進みますか……ん?」
大きく伸びをしたトゥールが何かに気づいたような声を上げる。目的の村の方角。アルバがその視線を追っていくと、視界の端の人の姿が映った。それは赤いドレスをまとった少女であるように見えた。
その影は真っ直ぐ二人の元へ走ってくる。村から丘までは距離も高さもあるというのに、まるで空の上を走っているように、まさに真っ直ぐ向かってくるのだ。
「な、なんですか……あれ……」
トゥールは驚きのあまりその場で腰を抜かしてしまった。普段から妖魔のような化け物を見ているとは思えない動揺ぶりである。アルバはそんな隣のものなど気にしていないかのように、腰の剣の柄を握りしめて構えた。