第9話 頬にそっと手をあてて
報酬を受け取った帰りに、アルバは雑貨屋で二本の木剣を買ってきた。長さとしては小太刀くらいのものだ。アシアラはその木剣をみて、目をランランと輝かせている。チャンバラで遊ぶような歳でもないのだからと、アルバは半ば呆れていた。
やる気があるのは良い事ではあるので、あえて口にすることは無かったが。
「そういえば、お前の能力は一体何なんだ? 最初に会ったときは、空を飛んでいたよな」
剣の握りを教えているときに、アルバはふと思い出した。出会ったあの日、アシアラは確かに空を走っていた。
この世界にも「魔法」と呼ばれるものはある。それは多くの人々が使えるが、せいぜい指先にマッチほどの火をともすことが精いっぱいだ。
それこそ大気を動かしたり、重力を操作するなどというものはおとぎ話の世界にしかない。
「あれは……説明が難しいから、えいっ」
アシアラは軽い掛け声と共に、アルバの頬に手を当てる。
「おい……なんだよ、これは……」
それは、不思議な感覚だった。アシアラの手が触れているのは頬だけである。それこそ掌が軽く当たっているだけなのだ。
ただそれだけだというのに、アルバの首から上は氷漬けにでもなったかのように動かなくなった。瞬きすらも許されず、空気が喉に詰まるような息苦しさだった。
頭から血の気が引いていくのが分かる。それは恐怖ではなく、強烈な違和感であった。
「やめ……」
絞り出すようにな声だった。それに反応して、アシアラはそっと手を放す。とたんに、胸のつかえがとれ、息苦しさもきれいさっぱりなくなった。
二度、三度と首をひねる。特に違和感もなく、当たり前に動く。触れられていた間だけ、その箇所周辺だけが金縛りにあったように動かない。
それは書物や噂話ですら聞いたこともない能力だった。
「なんだったんだ、今のは」
触れられていた頬を押さえながら、アルバは尋ねる。
「簡単に言うとね、アルバが今いる場所には壁があるの。見えない壁ね」
「壁……?」
アシアラは小さく頷くと、身振り手振りを合わせて必死に説明する。
「そう。それが異世界なのか平行世界なのか分からないけれど、確かにここにはない建物とか木々とかが、私にはぼんやり見える。そして『触れたい』って思ったものには触れられる。今も、アルバの顔と大きな木がぴったり重なってた」
「その異世界の壁や木というのは、お前が触れている間は他の人間も触れられるのか」
「そう。触れている間はこっちの世界のものも干渉する。昔はさっきみたいなイタズラをしてパパに怒られていたわ」
それでもやめなかったけれど、とアシアラは舌を出して笑った。
急に体が動かなくなるなどとても心臓に悪い。イタズラというにはたちが悪いものだ。もっと厳しく叱るべきだったろうに。
「村の人とかにもイタズラしていたんじゃないだろうな」
その答えは、えへへ、の小さな笑いだけだった。
ただ、頬に触れられている間はまともに声も出せなかった。あの瞬間にナイフと取り出されていたら、果たして抵抗できただろうか。
妖魔を倒すという目的を持つ二人だというのに、それぞれ妙に暗殺向きな能力を持っている。アシアラの能力の方がまだ妖魔向きかもしれないが。
皮肉なことだ、とアルバは心の内で静かに笑った。向いていようがいまいが目指すものは変わらないのだが。
自傷気味に笑っていたアルバだったが、アシアラの能力について思い返していくうちに、ふつふつと沸き上がる気持ちがあった。
妖魔は異世界から転生してきている。先日トゥールからは馬鹿にされたばかりではあったが、アルバが今一番自信を持っている仮説である。
アシアラの能力が本当であるのならば、それはアルバの仮説を裏付ける一つのピースになるに違いない。
「なにニヤニヤしているのよ」
冷たいアシアラの言葉に、不意に現実に引き戻された。どうやら、思わずにやけていたらしい。まだ剣の握り方すら満足に教えられていないというのに、変に横道にそれてしまった。
「女の子に頬っぺた触られて嬉しかったの?」
「そんなわけあるか。バカな事言ってると教えてやらんぞ」
「冗談よジョ・ー・ダ・ン! さ、早く教えてよ」
アシアラの能力については色々と気にはなったものの、まずは約束の通り剣術について教えることに集中した。
剣の握り、構え、足の運びや目線の動きなど、基礎的なところを説明した。何かと反抗的な態度も多いアシアラではあったが、剣術についてはとても素直だった。
アルバが想像していた以上に、アルバの教えを吸収していった。
剣の修行は空いた時間でアルバとの組手が基本だった。アシアラが一人の時は教えられたトレーニングをずっと繰り返していた。
毎日同じような訓練ではあったが、アシアラは楽しかった。体を動かすという行為で気が紛らわせる。強くなっているかは分からないが、少なくとも以前より体力がついたことは胸が張れた。




