本当にごめんね(ケイシ×マホ・ケイシ視点)
「じゃあ、また後で」
一点の曇りもない明るい笑顔でマホちゃんが手を振る。
彼女は出かける前にわざわざ柊邸に立ち寄って、俺に行ってきますの挨拶をしてくれた。
俺はどんな顔で手を振り返したんだろう。彼女が困ったように眉根を寄せたところを見ると、きっと情けない捨て犬みたいな表情を浮かべていたんだと思う。
唇を開きかけた彼女は、結局何も言わず踵を返した。
今日の件についてはもう昨日二人で話して結論が出ている。これ以上言うことはないというわけだ。
今の多比良マホの恋人は、未来で彼女と将来を誓った純血のエリート公務員じゃない。
サードパワードのクローンかつ未来人なんていう眉唾な肩書しかないただのセントラル生。
その事実は俺の中で日々重さを増している。考えたってどうにもならないのに。
どうにもできないことだからこそ、なのかもしれない。
『見たこともない未来の旦那に操を立てる気はないって、前も言ったよ?』
彼女はそう断言したし、彼女の気持ちを疑ったことは一度もない。
嘘がつけないのはマホちゃんだけじゃない。鈴森ちゃんにスミレちゃん。未来で共闘した沢山の純血パワード達。マホちゃんのパートナーだって嘘とは無縁だった。
彼らは誤魔化すことが出来ない。他者に対し愚直に向き合うことしか出来ない。
俺の知る範囲で嘘をつける純血パワードは、神野アセビただ一人。神野先輩は最後まで嘘だらけだった。『これで勝てる。私を信じて』――あんな綺麗な笑顔で言った癖に、綺麗な笑顔のまま自爆していったんだから本当に油断できない。俺ですらそう思うんだから、柊の心労はどれほどだろう。自分のモヤモヤは一旦棚上げし、心の中で合掌した。
マホちゃんは神野先輩とは違う。彼女に腹芸は出来ない。頭では分かっているのに、腹の底に残った不安と疑念はなかなか消えてくれない。
【見たこともない】から、そう言えるんじゃないかな。
会ってしまえば不可抗力的に惹かれる、なんて運命論信者が喜びそうな話があってもおかしくない。
だって俺は知ってる。未来のマホさんとパートナーの仲は良好だった。
口の悪いマホさんを彼が優しく窘めて、マホさんは渋々だけど彼の言うことを聞いて。攻撃特化型の彼は、とても強かった。精神特化型のマホさんとのペアは最強だった。
彼がマホさんを餌に騙し討ちされた時、彼女が怒りのあまり暴走したことも知ってる。結局助からなかった彼の遺体に縋って、狂ったように泣いていたことも。それからはまるで自分も早く逝きたいといわんばかりに、率先して前線に立っていたことも。その全てを、時を遡る直前まで俺は見ていた。
彼女に洗脳を解いてもらった瞬間から、俺にとってマホさんは女神みたいな存在だった。おそらくシュウにとっても。
そして俺は、25歳の彼女の眩しいくらいまっすぐな生き様を、ただ憧れて見ていた15歳の子供だった。
なのに、今はどうだろう。
マホさんは10年分若返って俺の前に現れた。短かった髪は長くて、頬は丸みを帯びていて、そして相変わらずツンツンしていた。
最後に大嘘をついて死んでいった恋人に再会できた柊ほどではないにしろ、俺は嬉しかった。マホさんはまだ幼いと言っていいほど青く、彼女の隣にはまだ誰もいなかった。
相手にされないと分かっていても、ちょっかいをかけずにいられない。
なんといっても、今の彼女と俺は同級生なのだ。俺が子どもじみていようが未熟だろうが、それはマホちゃんも同じ。憧れの人相手に変に背伸びをしなくていい、というのは想像以上に楽で嬉しいことだった。
あわよくば、なんて下心がなかったとは言わない。
話せば話すほど、彼女に惹かれていくのが分かった。大切に抱えてきた尊敬や憧れは、あっという間に陳腐な恋心に侵食されていった。何とかマホちゃんの気を引こうとあざとく立ち回る俺を、シュウはどう思っていただろう。
シュウと別れる前に確かめることが出来なかった俺は、全てが終わった後、思い切って柊に聞いてみた。
柊は神野アセビを再び恋人にしている。未来とは異なるルートを切望する俺のことを、正直よく思っていないんじゃないかと疑っていた。
「俺がマホちゃんに横恋慕してること、柊はどう思う? 本音を言って」
「早いもの勝ちだと思う」
柊は真顔で答えた。しかも即答だった。
あっけに取られた俺を前に、柊は表情を変えずに続ける。
「横恋慕だとは思わない。今の多比良に恋人はいない。黒瀬のことを気にしているのか?」
「……うん」
黒瀬。そうだ、そんな名前だった。マホさんの苗字でもあるその名前を、俺は当時からあまり呼ばなかった。二人が夫婦だと否応なく思い知らされるのが嫌だった。
「多比良が黒瀬と接点を持つのは、彼女が防衛省に入ってから。二人の仲が深まるのは彼のチームに配属されてからだ。その前にお前と恋仲になったのなら、もうあの時と同じ出会いはあり得ない。――それとも」
柊は皮肉げに唇を歪めた。
今の神野ちゃんの前では決して見せない、酷薄な表情。未来では嫌というほど見た顔だ。
「一旦引くか? 確かに未来の多比良は別の男を選んだ。お前にその事実を飲み込む覚悟がないのなら、今すぐ別れた方がいい」
底意地の悪い言い方にムカっとくる。
ほんと今すぐ神野ちゃんがここにテレポートしてきたらいいのに。彼女が無邪気に信じてるどこまでも優しい正義のヒーローの正体を知ったらいいのに。
「出来ないのなら、もうケイシの答えは出てる。それに大切なのは多比良の意思だ。今の彼女がお前の手を取ったのなら、素直に喜んでおけばいいんだよ」
「まあね……。ほんっと柊はぶれないよね。すげえわ、まじで」
勝てないなー、としみじみ思いながらため息をつく。年の功だろ、と柊は笑った。もう二年近く前の話だ。
マホちゃんにも昨日似たようなことを言われた。
もしかして別れたいの? と聞かれ、慌てて首を振る。
マホちゃんは瞳を細め、「しょうもないことで悩まないでよ」と怒った。
しょうもないと言い切れるのは、君が未来を知らないから。
そう反論しかけて、口を噤む。マホちゃんがどれほど黒瀬を大切にしてたかなんて、自分の口から説明したくない。
今日、彼女は内定式へ出かけていった。そこにはおそらく黒瀬も来てる。
二人が互いを認識した時、何が起こるのかはおそらく当事者にも分からない。でももし、マホちゃんと黒瀬が結ばれることが『本流』だとしたら――。
時を遡ることが出来ない俺は、「そっかー。仕方ないよ。謝らないで」とかなんとか、いつもみたいにへらへら笑って、大好きな人とさよならしなきゃいけない。
ああ、くそ。
そんなしんどいこと、上手くできる自信ないよ、マホちゃん。
でも、泣いて縋るのはもっと嫌だ。せめて『いい男だったな~』って思われたい。見栄でも強がりでもいい、彼女にがっかりされたくない。
ぐちゃぐちゃの気持ちを持て余し、離れの外に出る。
俺の就職先は柊グループに決まっている。まだ具体的な配属先は知らされてないけど、決して悪いようにはしません、と柊ユウさんは言っていた。食いっぱぐれはないだろうし、柊のコネがなかったら絶対に手が届かなかった超一流企業だ。そこで俺は働きながら、能力が潰えるまで柊達と一緒にRTZの動きを見張っていく。
この先俺の能力が消えても、記憶操作はしないことになっていた。アザミさんの予言と、周防キリヤが逮捕され当面の危機が去ったからだけど、それを知らなかったマホちゃんは柊を呼び出し、こう言ったらしい。
『もしケイシの力が消えても、彼の記憶は消させない。それだけは絶対に許さない』
あの時の多比良は本当に怖かった、と柊は教えてくれた。彼女の執着が自分に向けられていることを知って、俺がどんなに嬉しかったか。
ほかにも嬉しかったことは沢山ある。
一緒に昼寝したこと。俺の腕枕で寝てみたいとマホちゃんが言い出し、内心ドキドキしながらやってみたのに一分も持たずに首が痛い! と彼女は顔を顰めた。みんなで買い物に出かけたり、温泉に行ったり。二人きりになる機会はそんなになかったけど、マホちゃんはいつも俺を気にしてくれた。俺の一挙手一投足にふくれたり笑ったりした。
そうだ、数えきれないほど沢山ある。
その思い出を胸に一人生きて…………無理だな。
苦しすぎて、彼女なしで生きる人生の具体的なビジョンがどうしても浮かばない。
鬱々としながら庭のベンチに座り込んでいると、前に影が差す。
いつのまにか陽は傾いていた。昼飯食べ損ねた。全く腹が減ってないから気づかなかった。ぼんやり考えながら、顔をあげる。
「なんて顔してんのよ」
リクルートスーツに身を包んだマホちゃんが、呆れたように腰に手を当てた。
すぐには返事ができなくて、随分大人っぽくなった彼女の姿をただ見つめる。
こっちの世界で出会い直してからもうすぐ3年。3年分、確かにマホちゃんは成長していた。
髪は長いままだけど一つに束ねることが多くなったし、頬のラインはシャープになった。相変わらず基本的にはツンツンしてるけど、全体的に人当たりが柔らかくなった。
未来のマホさんとはすでに違ってきていることに、ようやく気づく。
ここにいるのはもう、マホさんじゃない。
ここにいるマホちゃんは、俺たちと一緒に歩んできた多比良マホだ。
「……誰かに会った?」
ようやく喉が動いで、そんな質問が転がり出る。
マホちゃんはしょうがないな、というように微笑んだ。まるでお母さんみたいなそんな顔、未来でも出会ったばかりの頃も見たことなかった。
「沢山の人に会ったよ。黒瀬さんって人にも会った。未来での私の夫だってね」
核心をずばりとつかれ、息が止まりそうになる。
「アセビに聞いたの。私とその人がくっつくんじゃないかって、入澤くんが心配で死にそうになってるよ、って。だから最近おかしかったの? 昨日も未来でのパートナーがどうとか、わけわかんないこと言ってた理由はそれ?」
「そうだよ」
俺は捨て鉢な気持ちで言い捨て、立ち上がった。
そのまま彼女をきつく抱きしめる。
華奢なマホちゃんは俺の腕の中に、簡単に隠されてしまった。
「最近じゃない。ずっと、ずっと心配だった。いつかマホちゃんはあいつのとこに行くんじゃないかと思ってた。そうなったら、諦めなきゃって言い聞かせてた。けど、無理だ。俺には無理だよ。運命なんて知るか! あいつと一緒になるのが本流だろうがなんだろうが、マホちゃんは俺のなの!」
小さな子供みたいに、所有権を主張する。
ああ、カッコ悪い。これじゃ全部台無しだよ、ってもう一人の俺が頭を抱える。自分でもみっともないと思うけど、どうにもできなかった。
嫌だ。いやだ、いやだ。
どこにも行かないで。俺の傍にいて。
わめいて縋って縛りつけて。そうすれば離れていかないというのなら、恥もプライドも捨てるのに。
絶望で目の前が暗くなる。
涙がじわりと湧いたところで、俺は文字通り息を飲んだ。
マホちゃんが、宥めるように俺の背中を撫でていた。
大丈夫。大丈夫だよ、というように何度も。
強張っていた全身から、少しずつ力が抜けていく。
「そうだよ。私はケイシのものだよ。今更何を言ってるの」
マホちゃんは笑いながら、そう言った。
憐憫と同情が混じった声にもう一つ、確かな愛情が温かな彩りを加える。
「私から逃げようと思っても、無駄だからね。絶対離してあげない。私の目の届かない場所にいないでっていつも言ってるのにさ。こんな風に一人で悩まれたら、私の愛情が足りないって言われてるみたいでムカつくんですけど?」
「……ごめんなさい」
確かにマホちゃんはよくそう言ってる。私の目の届かないところにいないで。初めて言われたのは、いつだっただろう。
彼女は何度も俺がいいと、そう言ってくれていた。伝えようとしてくれていた。未来での記憶が、今の彼女の言葉で塗りつぶされていく。
マホちゃんはうなだれた俺の腕から抜け出し、改めて俺を抱き締めた。まるでお仕置きといわんばかりの強い力だ。うわ、これ間違いなくパワー乗せてる。
両腕をがっちり抑えられ、身動きが取れない状態になった。可動域の範囲ぎりぎりで小さく両手をあげ、降参する。
「本当にごめんね」
万感の思いを込めて、謝罪を紡ぐ。
彼女は一度顔をしかめた後、悪戯めいた笑みを受かべて背伸びをした。
思いっきり襟首を掴まれ、引き寄せられる。
一瞬置いて塞がれた唇に、俺は今度こそ泣きそうになった。




