45.襲撃者の正体
『サヤの消耗が激しい』
メッセージの中の一文が、脳内で赤く点滅する。
色々聞きたいことだらけだし、話し合わなきゃいけないことも山積みだと思うけど、今はサヤだ。彼女をここで失うわけにはいかない。
「そういうのも、後で話そ。とりあえず、離れに行かなきゃ……!」
ハルキくん達を連れて、テレポートを試みようと両手を掲げる。
ところが、私のその手をマホが強く掴む。
「ごめん、ちょっと待って。1分で終わるから、私が見たこと、アセビも見て。ここで知っとかないと、サヤに会った時、上手く対処できないと思う」
真剣な表情のマホに気圧され、思わず頷く。
どうしてここで、サヤの名前が出るんだろう。
具体的には何も浮かばない癖に、どうしようもなく悪い予感が全身を覆った。
「柊くんも早く!」
「分かった」
マホは私とハルキくんの手を重ね、その上に自分の両手を置く。
冷え切ったマホの手に驚く間もなく、大量の映像が脳内に流れ込んできた。
精神特化型のマホの本気のテレパスに圧倒される。
「くぅ……っ!」
「ちょ、これキツいよ、マホ!」
ハルキくんの手が小刻みに震えだしたことに気づき、慌てて握りしめた。マホも、これじゃ逆に伝わらないと気づいたのだろう、すぐに映像スピードを緩める。
「顔が見えるとこだけ、流すね」
やけに乾いたマホの声に、私達は揃って頷いた。
脳内に流れ込んでくる画像へ意識を戻したところで、薄暗い保健室が映る。
こちらをひょい、と覗き込んできたのは、旭先生だ。
『大丈夫? 今日のところは、確認してくるだけでいいんだからね? 無理はしないで』
突然アップになった先生の顔に、飛び上がりそうになる。彼女は私に向かって話しかけているように見えた。
……そうか、これがサイトメトリーなんだ。
マホが読み取った記憶の持ち主は、襲撃者。そいつの記憶を私達は、追体験している。
心配そうな旭先生に向かって、襲撃者はうん、と無邪気に頷いた。
『分かった。じいじは好きにやっていいって言ったけど、まだチカラを使い切ったら駄目だもんね』
その子の髪を、旭先生は優しく撫でる。フードはこの時、まだ被ってなかったみたい。温かい手に、襲撃者は目を細めて喜んでいる。
『えへへ。シノ、やさしい』
『ごめんね。……ごめんなさい』
旭先生の瞳に、薄い膜が張る。
彼女の揺らめく虹彩が近づいたかと思うと、次の瞬間、そこに幼い少女の顔が映り込んだ。
『泣かないで、シノ。大丈夫、ちゃんとやれるよ!』
ひゅ、と息を呑む。ハルキくんの拳はきつく握り込まれた。
彼も衝撃を受けてるんだ。予想はついてると言っていたけど、違ったのかな。それとも、合っていたから――?
その顔の持ち主を、私は知っていた。
どうして、どうしてどうして。
どうして、そこにサヤがいるの。
ううん、違う。サヤのはずない。
必死に首を振って、疑惑を消す。
あの時確かに、サヤは喫茶店にいた。それに、歳だ。歳が合わない。
サヤそっくりのその子は7つかそこらに見えた。
浅い呼吸を繰り返し、必死に酸素を確保する。
襲撃者の顔を見て受けた衝撃は、次の場面で更に深まった。
『負けない。わたしは負けない。こいつが覚醒してたって、関係ない! わたしだって、すごいもん! 誰にも負けない!』
少女の思考は幼く、がむしゃらだった。
目の前の私を倒せば、いっぱい褒めてもらえる。
みんなが感心してくれる。【じいじ】が頭を撫でてくれる。
もう痛いことはされないし、外の世界も見せてもらえる。それから、それから――。
彼女がふくらませた期待を、私は容赦なく打ち砕いていく。
『いたい! いたいよ、シノ! なに、こいつ。なんなのっ! こんなの、きいてない!』
あちこちから血が流れている。もう、立っていることさえ危ういのに、目の前の私は、悪鬼のように笑った。口角がにい、と持ち上げられる。
そして振りかぶられる、銀色の鋼。
『じいじ!!』
恐怖と激しい痛みを感じた直後、襲撃者は最後の力を振り絞って、逃げた。
右肩から腹に向かって鋭く斬り裂かれた傷は深く、鮮血が画像一面に飛び散る。
あんなに深く斬れていたこと、今、初めて知った。
彼女は死んだかもしれない。
サヤそっくりの7つかそこらの子を、私は殺してしまったかもしれない。
込み上げてくる吐き気に、両手で口元を押さえる。
無理やり手を引き抜いたせいで、テレパスはそこで終わってしまった。
私はカフェ内にある手洗い台に向かい、そこで胃の中のものを全てぶちまけた。
生理的な涙で目尻が濡れる。
悲しみではなかった。そんな浅いものではなかった。深くて底の見えない穴に突き落とされたみたいな感覚だった。
ほんのさっきまで見ていた明るい世界が、加速しながら遠ざかっていく。
「アセビ!」
マホとハルキくんが駆け寄ってくる。
二人は私の背中を交互に擦り、冷たい水で口をゆすがせてくれた。
入澤くんの視線を、感じる。彼はテーブルの脇に立ったまま、じっと私を見ていた。
彼がピリピリしていた理由を、ようやく理解する。
私達の手段を選ばない行動に、入澤くんは苦しんでいる。
襲撃者は、未来の入澤くんや御坂くんと同じだった。彼らの仲間はきっと、あんな風にやられていったんだ。
戦闘用に洗脳されきっている子どもに、罪はあるのだろうか。
鉄砲玉として送りこまれた先で返り討ちにされ、命を奪われるほどの、罪が?
「ごめん。入澤くん、ごめん」
謝罪に意味はないと知っているのに、黙っていたら頭がおかしくなりそうで、うわ言のように呟いてしまう。
入澤くんの足音が近づいてきた。
彼は私の脇に立つと、真新しいハンカチを差し出した。ぴしっとアイロンのかけられた白い布を、ぼんやり見つめる。
「……一緒に、苦しんでくれる人でよかった」
入澤くんは、ぽつりと言った。
熱い雫が、私の背中にポタポタと落ちていく。ハルキくんじゃない。マホだ。まさか、彼女が泣くなんて。
泣き虫の私と違って、マホは簡単に弱みを見せない。
マホが人前で泣いたのは、従兄弟の位牌が届いたあの日以来だった。
「みんなが、そういう人でよかったよ」
入澤くんは、ふにゃりと笑った。
いつもと同じ柔らかな笑顔に、崩れ落ちそうになる。
可能なら、ここに座り込んで気が済むまで、自分とあの子を哀れんでいたい。どうすれば良かったのか、あらゆる方法を探っていたい。どこまでも盲目的で単純なパワードという生き物について、考えていたい。
でも、そんな時間はなかった。
反省も後悔も懺悔も、今はお呼びじゃない。サヤを助けた後で、きちんと腰を据えて考えよう。
どうするのが一番いいのか。
私は頭が悪いから、なんて逃げてる場合じゃない。
バカだろうが直情型だろうが、こんな想いを二度と味わいたくないなら、私は自分でもっと考えないといけないんだ。
そうして出した結論が間違っていたなら、また何度でも考え直せばいいんだ。
「ありがとう」
入澤くんのハンカチに手を伸ばし、口元を拭う。
それからまっすぐ背筋を伸ばし、私は3人を見渡した。
「行こう。サヤを助けなきゃ」
そう言って、両手を掲げる。
ハルキくんももう、いつも通りの彼だった。落ち着き払った表情で「頼む」と答える。
一見冷たく見える冷静な顔の下で、彼も私と同じように――ううん、私以上に苦しんでいることが伝わってくる。とりあえず今の件が終わったら、沢山話そう。
みんなでぶっちゃけた話を、いっぱいするんだ。
決意を固めながら、パワーを解放する。
そして数秒後――。
到着した離れで私達が見たのは、パワーを暴走させたサヤを必死に抑えようとしてる御坂くんの姿だった。




