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19.神野アセビ、覚醒する

 絵本の文字を一文字追うごとに、頭の芯が鈍く痺れた。

 血液が血管をめぐる音が、はっきりと聞こえる。ずぐん。ずぐん。命のリズムを刻みながら私の鼓膜を叩いている。

 たまらず首の後ろを揉むと、柊くんが心配そうに眉をひそめた。


「大丈夫か」

「大丈夫じゃない……なんか変な感じがする」


 それでも絵本から目を離すことが出来ない。

 絵本に指をあて懸命に文字を追う私の首の後ろに、そっと大きな手が乗った。柊くんは少し躊躇った後、ちょうどいい圧力で私の首と肩を揉み始めた。その温かな手にホッと心が緩む。


「邪魔ならやめる」

「ううん……すごくきもちいい、ありがと」

「そ、そうか」


 きっと今、照れて可愛い顔してるんだろうな。

 確かめたい気持ちを、切迫感が押し流していく。一度読み始めた物語は、それくらいがっちりと私を捉えていた。

 最後の一文を読み終わるのと同時に、頭のてっぺんから冷たい水をかけられた。

 そうとしか言いようのない感覚だった。


 ひやぁ、ともひぃ、ともつかない悲鳴をあげ、とっさに目をつぶる。

 いきなり世界は反転し、次に目を開けた時、私は学園の廊下にへたり込んでいた。


 ――『あーちゃん……無事……? ああ、良かった……』


 私の膝の上には、血塗れの父さんがいた。手足を投げ出した父さんは、糸の切れた操り人形そっくりだ。

 父さん、父さん。

 何度も呼びながら長身を抱え込み、胸の上に手を当てる。必死に力を込めたけど、父さんはされるがままで、自分からはぴくりとも動かなかった。

 死んでしまった。目の前で殺された。『あーちゃん』のんびりした優しい声を聞くことは2度とない。

 

 理解した瞬間、私は獣のように咆哮した。

 

 涙に曇った視界の向こうに、ぼんやりと何者かのシルエットが見える。

 そいつの攻撃から私を庇って、父さんは倒れた。

 ()()は安全じゃなかったの!?

 怒りと悲しみと驚愕がいっぺんに襲いかかってくる。

 まだ温かい父さんの血を両手に感じながら、私は混乱のうちに全能力の封印を引きちぎった。



「いやああああああああっ!!!!」


 自分の口から溢れた大声に驚き、我に返った。

 全力疾走してきたみたいに、息が切れている。荒い呼吸音が響くリビングで、私は真っ先に自分の両手を掲げて確認した。

 

 さっきまで手を濡らしていた鮮血はなかった。

 手のひらはじんわり汗ばんでいるだけで、まっさらだ。

 

 ようやく現実を取り戻し、深く息を吐く。父さんは死んでない。まだ死んでない。


 今見た映像は、実際に起こる筈のものだったと直感が告げた。

 神野ヒビキはセントラルで死ぬ。父さんの無残な死をきっかけに、私の能力は覚醒する。

 その未来はすでに訪れ、過ぎ去っている。

 柊くんと20歳で出会う私が経験した未来。母さんが予言した一つ目の未来だ。


 ぼんやり視線を下ろすと、私の胸の前で交差された誰かの腕が見えた。

 柊くんだと気づくのに、更に数秒かかった。

 彼はうずくまった私の背中の上に覆いかぶさっていた。理由はすぐに分かった。

 この部屋のもの全てが収納場所から飛び出し、散乱している。

 ハサミや包丁に限らず、先がとがったものは皆ダーツみたいに壁に突き刺さっていた。食器棚は空っぽだし、割れた皿やカップの破片があちこちに散らばっている。電子レンジや冷蔵庫も空に浮いたんだろう、着地点は元の場所と微妙にずれていた。

 窓ガラスや壁が無事なのは、柊くんが結界を張ってくれたからだと思う。

 そして私が無事なのも、彼が守ってくれたからだ。


「……ごめん。もう、大丈夫。本当にありがとう」


 軽く腕を叩いてお礼を言うと、柊くんはのろのろと身体を起こした。


「怪我は?」

「ないよ、私はほんとに大丈夫」


 背中の重石がなくなったので、私も彼と対面するように座り直した。

 柊くんはボロボロになっていた。ワックスで整えてあったショートレイヤーの髪は乱れてるし、汗びっしょりだし、手の甲の深い切り傷からは血が滲んでる。

 他にも怪我を負っているのか、柊くんは姿勢を正そうとして低く呻いた。


「ちょ、人の心配してる場合!?」


 慌てて彼の手を取る。

 守られてしまった。()()だ。父さんも柊くんも、私を助ける為に傷ついていく。弱いからだ。私がどうしようもなく弱いから。

 自分に対する激しい憤りがこみ上げてきた。


「こんなの嫌だ。嫌だよ」


 お願い止まって! ポケットから引っ張り出したハンカチで傷口を押さえる。

 どれくらいも経たないうちに、柊くんは私の手を優しくどかせた。


「ありがとう。もういい」

「もういいって……え?」


 ハンカチの下からは綺麗な皮膚が現れた。深く抉れた傷がない! 

 まるで最初から怪我なんかしてなかったみたいにすべすべな手だ。劇的な変化に、ぽっかり口が開く。

 慌ててハンカチを裏返してみた。水色のチェックは血痕で濃く変色していた。怪我は夢じゃなかった。

 

「もしかしてヒーリング? ……私がやったの?」

「他に誰がいるんだよ」


 柊くんは笑みを含んだ声で答え、腕や首を回した。

 さっきは辛そうに顔をしかめてたのに、すっかり元気そうだ。


「どこも何ともなくなってる。やっぱりすごいな、アセビは」


 自分がやったという実感がないので、微妙な顔になってしまう。黙り込んだ私の瞳を覗き込み、柊くんは視線を合わせてきた。


「絵本の話を聞いた時から、こうなる予想はしてた。シールドは張ったんだが、部屋をふっ飛ばさないようにするのが精一杯だった。力不足ですまない」


 柊くんは疲れ切った笑顔をのぞかせた。

 胸の一番奥がきつく締め付けられる。うわ、なんだ、これ。なんか、私の方が泣きそう。彼に謝らせてしまったことが、すごく悲しい。

 

 口をへの字に曲げた私の頬に、柊くんの手が伸ばされる。

 慰めに満ちた触れ方に、嬉しくなった。

 大きな手の平に頬を預けると、彼はくすぐったそうに目を細めた。

 

「物語の言葉の羅列が、能力の封印を解くキーワードだったんだろう。絵本の内容については、改めて皆と話そう。覚醒した能力の確認もその時でいい。今はゆっくり休んで」

「……柊くんの方が、よれよれじゃん」

「言うなよ。それでも、部屋の片づけと見張り番くらいは出来るから」


 どこまでも柊くんは私に甘い。

 柊くんだって疲れない筈なのに。迷ったり悩んだりしない筈ないのに。……ないよね?

 頑張ってて偉いね、ってよしよししたくなったけど、私の分際でそういうことするのは恐れ多い気がしてやめた。


 ここまで大きな能力を使ったというのに、バングルはまるで反応しなかったという。

 柊くんの話では、能力抑制機能以外は正常に作動しているらしい。覚醒中の心拍数異常を警告してきたから、間違いないと言っていた。なるほどね。


 RTZはまだ私がネクストパワードだということを知らない。

 その事実を知るのは、神野アセビが覚醒した後だ。

 ということは……私が授業以外で能力を使っても、セントラル側に感知されないし、敵側にも気づかれないってこと? これってすごく有利じゃない?


「ああ、そうだ。いざという時は頼りにさせてもらう」

「任せて!」


 ようやく私も役に立てる!

 内心小躍りしながら親指を立てて柊くんの前に突き出したところで、ぐぅとお腹が鳴った。

 柊くんが心配するほどの精神的消耗はないけど、お腹はすごく空いていた。

 さっき食べたばっかりなのに……。

 この調子じゃ、私は常に何かを食べてなきゃいけない。切羽詰った戦闘中に栄養バーを貪りながら「RTZめ! ゆるさない!」と叫んでいる自分が浮かんで、げんなりした。


「緊急時以外、パワーは使わない方がいいな。はずみで使ってしまわないよう、意識して能力の発動を抑えていくしかない。アセビが真っ先に習得しなきゃいけないのは、自制技術だな。……両手が栄養バーで塞がったら、何かと不便だろ?」


 柊くんはそう言うと立ち上がり、片づけを始めた。

 最後の一言に自分でツボったのか、くすくす笑いながらなのが小憎らしい。

 

 私も掃除ロボットを起動させに行った。これで細かな破片は綺麗になるけど、問題は大物だ。

 改めて部屋を見渡し、あまりの惨状に長い溜息が出た。

 柊くんは壁から包丁やハサミを抜いては、元の場所にしまっている。日常的に家事をしてるとは思えないのに、ものすごく手際がいい。感心するのと同時に、自分の不始末の尻拭いをさせるのが申し訳なくなった。


 散らばったものを一気に浮かせて、瞬時に元の場所に戻す! とかね。出来たらいいんだけどね。

 全ての物の収納場所を正確に把握しつつ能力を発動させるのは至難の業で、ちまちまと収納品を集め、地道に片づけていくしかないんです。

 結局リビングを元通りにするのに3時間近くかかった。

 超能力は万能な魔法じゃないんだな、としみじみ思った。



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