1.私の夢
「あーちゃん! 早く起きなさーいっ!」
耳たぶに挟んだ目覚ましクリップより先に、父さんの大声が私の鼓膜を突き刺した。
なかなか開かない目を無理やりこじ開けて壁の時計を視認する。まだ六時半じゃないか。
うちのクソ親父はいつになったら私が高校生になったことを理解するんだろう。
いくら能力者のIQがお粗末だといっても、娘の歳くらいは数えられるはず。……え、まさか一桁までしか計算出来ないとかないよね。
本当はそのまま枕につっぷして布団を頭まで被ってしまいたかったけど、起きていかなかったら奴は部屋にまでやってくる。それは今までの経験から分かってる。
「……もう……勘弁してよ」
半べそをかきながら上体を起こし、目覚ましクリップを外して机の上に放り投げた。
なかなか開かない目を擦りながら、左手首にはめた能力制御装置のフレームを【睡眠】から【起床活動】に切り替える。そこでようやく体が目覚めた。
校外交流で出会う他校生――一般人と呼ばれる非能力者は、まずこのバングルに興味を示す。
起きる時と寝る時でフレームを替えると言うと、どんな感じ? とキラキラした瞳で聞かれるのだ。
「充電される感じだよ。微弱な静電気が頭のてっぺんからつま先まで流れるみたいな感覚」
ありのままに説明すると、彼らはみんな痛そうに顔を顰める。世間では静電気って痛いイメージなのかな。
……って、余所事考えてる場合じゃない。のんびりしてたら、父さんが部屋まで来てしまう。
急いでパジャマを脱ぎ捨て、制服のブラウスを羽織った。ブラウスのボタンを下から順番にかけていく途中で、部屋の扉が勢いよく開く。
「あーちゃん、いい加減に……ぶっ!」
市販の鍵は、パワードの前ではまるで無意味だ。私がホームセンターで買ってつけた3つの電子ドアロックはものの数秒で解除された。
「ノックしろっていっつも言ってるでしょ!?」
つま先に引っかけて蹴り上げたパジャマを空中キャッチし、エプロン姿の父さんに思い切り投げつける。
父さんは顔にはりついたパジャマを毟り取り、「起きてるなら返事くらいしなさい!」とお小言を投げ返して去っていった。
夜の帰宅時間がまちまちな父さんは、せめて朝だけでも一緒にご飯を食べたいと主張して譲らない。
高校の登校時間は9時なのに、今でもジュニアスクール時代と同じ時間に起こされるのは多分、父さんが少しでも長く私といたいから。
分かってるんだけど、眠いものは眠い。
能力者はショートスリーパーっていうのが定説なんだけどね。
私はその点でも規格外ってわけ。
とっくの昔に諦めて心の奥に閉じ込めたはずの劣等感が、むくむくと顔を出しそうになる。
今年の4月から通い始めた高校には、化け物級の能力者が揃っていた。彼らのパワーは折り紙つきで、私は自分のダメさを毎日嫌というほど思い知らされている。
ジュニア時代は、平均よりちょっと下くらいだったのにな。
血統だけで通う高校を振り分けられる制度が恨めしい。リーズンズに愚痴ったら、受験戦争を知らないなんて羨ましい! って怒られそうだけど、能力別の高校に行く方が絶対気楽だと思う。
「あーちゃん!」
「今行く!」
またしても身支度の手が止まっていた。
私は慌ててジャケットを着こみ、配給品のタブレットだけが入った薄っぺらなスクールバッグを掴んで自室を出た。
朝食の前に顔を洗って、お仏壇の前に座る。
台所から出てきた父さんは、炊き立てのご飯とお茶を仏壇の前に置いた。
今どき、こんな旧型の仏壇が置いてある家なんてうちくらいだ。
買い替えたらいいのに、と思うけど、祖父母も曽祖父母も入っている大切なものだからと言われてしまった。
入ってるといっても、骨があるわけじゃない。個人認識票でもあるバングルが入ってるだけだ。
私達は、死んだら国の施設で細胞レベルまで切り刻まれる。より良いバングル開発の為に献体する決まりを、パワード側は納得した上で受け入れている。
遺族に戻されるのはメモリーを消されたバングルだけ。母さんは私が10歳の時、ジュニアスクールで勉強している間に死んだので、死に目にも会えなかった。
パワードの平均寿命は約40年。
パワードの寿命が短いのは、命を代償に能力を発動するからだ。
バングルがまだ発明されてなかった黎明期、パワードの寿命は20歳前後だった。
常時解放状態の能力のせいで、命はどんどん削り取られるし、ノイローゼで自殺する人も多かったみたい。
特に精神感応能力に優れたパワードは、目を離すとすぐに自殺したという。精神系の能力者は、バングルがなかったら生き辛過ぎるよね。
母さんは35歳で殉死した。
普通に生きてても去年くらいに老衰で死ぬ予定だったと思えば、大勢の人命を救助し、私と父さんに沢山の補償金を残してくれた母さんの死に様はそう悪いものじゃない。
薄目を開けて、隣で手を合わせている父さんを盗み見る。
若々しく見えるけど、父さんも今年36歳だ。一緒に過ごせる期間は、5年を切っている。
「……さてと。ご飯にしようか」
「父さん」
「ん?」
父さんは正座が苦手だから、お参りした後はいつもちょっとよろける。
おっとっと。おどけてバランスを取った父さんに、私は思い切って告げた。
「ちゃんと孫の顔は見せるから」
「あー……」
パワードの結婚適齢期、というか出産適齢期は15歳からの5年間とされている。
母さんは結婚が遅くて、私を産んだのも25歳と超高齢出産だった。そのせいで、色々とあったらしいんだけど詳しいことは教えて貰っていない。
「あーちゃん、いい人出来そうなの?」
出来そうどころか、誰からも異性として見られていないとは言えなかった。
母さんも父さんも所謂美形と呼ばれる端正な容貌の持ち主で、彼らの子供である私も割と綺麗な顔をしてると思うんだけど、同胞を惹きつけるセックスアピールは顔じゃないからなぁ。
1も2も、とにかく能力の高さ。それに尽きるんです。
「まだ入学したばっかだよ? これからだよ!」
「うん。でも、無理しなくていいからね。母さんだって、父さんと会ったのは高校出てからだし……」
そんなトロくさいことしてたから、10歳の娘を置いて死ぬ羽目になったんじゃないの、と喉元まで出かけた。グッと飲みこみ、深呼吸する。
別に母さんを恨んでるわけじゃない。
ただ私は、自分の子供の『成人式』を見届けてから死にたいだけだ。
成人式っていうのはリーズンズたちの呼び方で、私達は陰で『半分寿命式』って呼んでる。
パートナーとの間に子供を挟んで出席するのがパワードのステータスだから、一人ぼっちで出席した母さんは、さぞ肩身が狭かったことだろう。
私の夢は、『成人式』に素敵な旦那様と可愛い子どもと一緒に出席すること。そして、子供の『成人式』の晴れ姿を見送ってから死ぬことだ。
絶対に叶えてみせるんだから!
私の意気込みを、父さんはにこにこしながら聞いていた。
出勤する父さんを見送って、食洗機の全自動ボタンを押し、ランドリー室に移動して洗濯機の全自動ボタンを押す。
こういう便利家事機械を使う度に、リーズンズは偉大だなぁとしみじみ思う。
発想もすごいし、実際に作ってしまう技術もすごい。頭が良過ぎる。
自分達のすごさを棚にあげて、私達の超能力を羨むリーズンズは、少数派だけどまだいるらしい。
命を削ってでも、頭の良さを引き換えにしてでも、それでもパワードになりたいと思うのかな。隣の芝生は青いってやつかもしれない。
世界的な奇病が流行り、感染者の殆どが瀕死状態に陥った『ゼロ期』。
生き残りに能力の発動が確認された『ゼロ―ワン期』。
私達を見捨てなかったリーズンズのお蔭で、パワードは種として生き残ることが出来た。
出生率が低いせいで数は年々減少傾向にあるけど、それはもうどうしようもない。
今では、貴重種として国に保護されている。
力に優れたパワードと知に優れたリーズンズは、持ちつ持たれつの関係を築いている、というのが世間一般の考え方だ。
家事をこなしているうちに、バングルが黄色く点滅し始めた。
学校へ移動する時間だ。
日常生活でリーズンズと過剰に接触してうっかり暴走することのないよう、未成人の私達は専用のルートを使って通学することになっている。
食卓テーブルに置いたままのスクールバッグを取って、私は家を出た。
ちなみにうちは、総10階建ての国営マンションの最上階にある。
エントランスに降りると、同じマンション住まいの高校生パワードはもう皆揃っていた。
うちのマンションで純血の高校生は6人。同学年は、一人だけだ。
「おはよ、アケビ」
同学年の多比良マホが、ふらりと隣に並んでくる。家が隣同士ということもあり、彼女とは物心ついて以来の腐れ縁だ。
「おはよ。あのさ、もう高校生なんだから、あだなとか止めてよ」
私には神野アセビという立派な名前があるのに、マホは小さい頃から好き放題に呼んでくる。
「アセビって何? 呼びにくいし、意味わかんない。アケビなら知ってるもん。見た目変だけど美味しい。好き」
好き、というくだりでマホはふにゃりと笑った。
睫の長い大きな瞳が、猫みたいに丸まる。
「私も知らないけど、花の名前らしいよ。……ってこの話、何度目? マホのせいで、クラスの子にもアケビが本名かと思われてるんだからね!」
「いいじゃん、アケビちゃん」
マホはけろりとした顔で譲らなかった。
これはもう無理だろうな。なんといっても、彼女は純血パワードだ。
まだ一般人を片親に持つミックスだと、リーズンズ寄りの理性的で常識的な考え方をするんだけど、そんなまともな子達とは進路が別れてしまってる。
エキセントリックで人の言うことは基本右から左の奴らしか、周りには残っていないのだ。私を含めて。
「じんちゃん」
私が呆れたことを察知し、マホはアケビ呼びを止めて苗字をもじった呼び名で私の気を引いた。
「なに」
「今日からだよね。ノーパワーのお坊ちゃんたちが来るのって」
マホの口から飛び出た差別用語に、私も周りの皆もぎょっとした。
慌ててマホの口を塞ぎ、リーズンズの警備員の様子を窺う。幸い彼らの耳には届いていないみたいだった。
「ちょ、何言ってんの? この年で公安に目をつけられたいわけ!?」
低い声で脅しつけると、マホは「そんなに怒ることじゃないじゃん」とへらへら笑った。
マホは気紛れな猫みたいな女の子だ。
時々こうして露悪的なことを言っては、周りが慌てるのを楽しむ節がある。
「マホだって、アームズって呼ばれたらキレるでしょ? そういう悪趣味な発言はやめときなよ。もううちら、高校生なんだよ? 人の親になる歳じゃん」
「はいはい。じんちゃんは真面目ですね~。じんちゃんは、純血嫌いだもんね。リーズンズのエリート坊ちゃん狙いでいくの?」
純血が嫌いなわけじゃない。純血なのに、純血らしくない自分が嫌いなだけだ。
結婚相手は出来ればリーズンズがいいと思っているけど、衆人環視のエントランスでその話をするつもりはなかった。
「知らない。マホには関係ない」
マホは私の返事に苛ついたみたいで、こっそり左手のバングルに触れようとした。
その手を掴んで、爪を立ててやる。
「いたっ……なによぅ」
「探ろうとしないで。こんな馬鹿なことで寿命縮めないでよ」
テレパスを使って、表層に浮かぶ感情や意志表示を読み取ることは誰にでも出来る。でも、その奥まで潜って探るにはまた別の力が必要だ。
学園の外で安易に能力を発動しようとしたマホが信じられない。
この子はいつもそうだ。知りたいと思ったら手段を選ばない。
「コントロールキーなしに、大した力を解放できるわけないじゃん、アケビの馬鹿」
「馬鹿はお互い様でしょ。それでもある程度は潜れるって知ってるんだから。今度勝手に探ろうとしたらおばさんに言いつけるからね」
空間がぐにゃりと歪んだのも一瞬。小声で喧嘩をしているうちに、移動が済んだ。
集団転移はパワードの能力の一つだ。
学校の先生が交代で生徒を輸送してるって話だけど、毎日毎日こんなことしてたら、命がガリガリ削れちゃうんじゃないかな、って心配でならない。
能力を増幅させる補助系パワードと組ませて、上手いことやってるのかもしれないけどね。
国立中央訓練高校、通称セントラルの校門前に出た私達は、警備員さん達に見送られながら巨大な鉄門扉をくぐった。