三題噺(焼肉、ヒョウ、食べる)
ここは動物たちが人間のように社会を形成し、生活している世界。この世界には色んな国があり、その国の中の一つに肉食動物たちの国があった。
その肉食動物の国のとある町で普段は日雇いの仕事をしている一匹のヒョウ(豹)がスキップをしながら歩いていた。その手には大量の現金の入ったバッグがある。
ヒョウはその日、競馬で万馬券を当てたのであった。上機嫌になって当然だった。
「腹が減ったなあ。どこか食べるところねえかな?」
見回すと、小さな焼肉屋さんがあった。初めて見たその店は「モーモー焼肉」と銘打った看板が古いものであり、昔からある店だということが推測できた。
「おしっ!折角だから今日は豪勢にここで食べよう!」
―――
「たのもー!」
入ると、木のテーブルが10席ほどあった。外観通り、あまり大きな店ではないようだった。
「いらっしゃいませ!何名様ですか?」
「一人です……って、ウシじゃん?!」
ヒョウを迎えたのはメスの牛だった。牛が焼肉屋の店員をやっているなんて何かの間違いだ。ヒョウは別のお店に入ってしまったのではないかと思った。
が、壁に下げられたメニュー札を見ると、「上ロース」「上カルビ」「塩タン」「ホルモン」等々書かれている。どうやら、焼き肉屋には違いないようだった。
「あらっ?ウシが焼き肉屋をやっているのが不思議ですか?」
「だって、カニバリズムじゃない?」
「いえいえ。そんな事ありません。そもそもカニバリズムは人間が人間を食べることを言います。ですが、私たちはウシです。ウシが牛肉を提供しているだけなので、カニバリズムではないですし、倫理的にも全く反していません」
「そ、そうですか……」
ヒョウは店員の言葉に倫理には反していると思ったが、そもそも焼肉を食べられればそれでよかったので、それ以上追及することは止め、勧められたテーブルに着いた。
「ご注文はいかがされますか?」
「それじゃあ、とりまビールとロース、カルビ、ホルモンね」
「かしこまりました」
店員は直ぐにビールを持ってくると、ヒョウはビールを飲んで一息ついた。至福の一時だった。
周囲には老人と子供の牛が将棋をしていた。その二人も牛であることから、おそらくこの店の関係者なのだろう。
さて、ここは肉食動物の国と言ったが、少数ながら草食動物も住むことが許されている。ただ、草食動物である彼らは二等市民として扱われ、高い税金を払わなければ住めないのであった。
ヒョウは肉が来るまで、二人の将棋を観戦した。
「おじいちゃん。飛車取った~!」
「ほっほー。もうすけは強いのう」
もうすけと呼ばれた子供の方が優勢だったが、老人の牛の目はほころんでいたし、ヒョウの目から見ても明らかな悪手を打っていたことがわかることから手加減しているようであった。きっと孫が可愛いのであろう。思わず、ヒョウの口元もほころんだ。
「ちょっとお義父さん。いいですか?」
先ほどの店員が深刻そうに老人に声を掛けると、店の奥へ連れて行った。
ヒョウは気になって耳をそばだてると、店の奥から店主らしき人物と老人の会話が聞こえてきた。
「父さん!ごめん!カルビを切らしてしまったんだ!本当はカルビが無いと言いたいけど、この国の税金は高いし、貯蓄もあとわずかなんだ!お客さんには何としてでも食べてもらわないといけない!だから、父さんの肉を!」
「……そうか。遂にこの時が来たのだな。そんな顔をするのではない息子よ。儂はお前が立派に儂の店を継いだ姿を見れただけで本望なのだ」
「僕がもっと計画的だったら……。う、ううう、うわあああああ!」
「ごふっ!……幸せに暮らせよ……」
しばらくの間、店の奥からは大人の男のすすり泣く声が聞こえた。
―――
涙目の店員がお肉を乗せた皿を持ってやってきた。空元気一杯に声を張り上げる。
「お待たせしました!ロースとカルビとホルモンになります!」
「食えるか!」
ヒョウは店員の動きを手で制して叫んだ。
「えっ?!何故ですか?!」
「何故も何も当たり前だろ!今の会話を聞かされて食える神経の奴が何処にいる!カルビはいらん!」
「そ、そんな……。はっ、はい。わかりました」
ショックで少しよろめいた店員はカルビだけ下げると厨房の奥に引っ込んでいった。
ヒョウはロースとホルモンが焼きあがるのを待った。ふと残された少年の方を見ると、退屈そうに椅子に座っていた。
「あ~あ。勝負の途中だったのになあ。おじいちゃんどうしたんだろう?」
もうすけは祖父が死んだことをまだ知らないようだった。間接的とは言え、祖父を殺すことに関わってしまったヒョウは胸が痛んだ。
「ねえねえ。おじいちゃんはどうしたか知ってる?」
もうすけがヒョウに声を掛けた。ヒョウは答えに窮したが、諭すように答えた。
「君のおじいちゃんは星の向こうに行ってしまったんだよ?」
「えっ?何で?」
無垢な少年の疑問とは残酷である。大人の優しい答えにも遠慮なく疑問をぶつけてくる。世の中には知らないほうが良い事が多いのに、知ろうとするのは子供の純粋さゆえなのか。
困ったヒョウは突然、息をもうすけに吹きかけた。息を吹きかけられた途端、もうすけの目がとろんとし始めた。それを確認したヒョウはまくしたてるように語り始めた。
「君のおじいちゃんは老人ホーム入居の抽選手続きをしてたんだ。その当選の連絡がついさっき来たから、すぐに行ってしまったんだよ」
「で~も~?、今すぐ~?行く~?ものなのかな~?」
ちっ。どうやらまだ息が足りないようだった。ヒョウはもう一度息を吹きかける。
ますます目をとろんとしたもうすけを見て、ヒョウは再びまくしたてた。
「その老人ホームは星の向こうにあるんだ。星の向こうに行くバスは一日3便しか無くってね。今すぐ出ないと間に合わなかったんだよ」
「……さようでございましたか」
非常に落ち着いた声音でもうすけは納得してくれた。どうやら説得、もとい洗脳に成功したようだ。
実のところ、ヒョウの息には洗脳効果がある。基本的には狩りの時にしか使わない技だが、今は非常事態である。優しい嘘を貫くためには仕方がなかったのだ。多少効き過ぎた気もしないでは無いが、そこはスルーしよう。
気が付くと、肉は焼きあがっていた。ヒョウがさあ食べようと思った時、再び厨房の奥で声が聞こえてきた。
「馬鹿な!父さんの肉だけ要らないとお客さんは言ったのか!」
「ええ!そうなの!よりにもよってお義父さんの肉だけ!私、やっぱり文句行ってくる!」
「いや。待ておまえ。よく考えるんだ。お客さんは何か気に食わないことがあってカルビだけ食べようとしなかったんだ。ちゃんとその理由を考えよう」
「えっ。で、でも何の違いが……」
「若さだ!若さが違うんだ!年寄りの肉はまずくて食えないと言いたいんだ!さすがヒョウさん!グルメだぜ!」
グルメじゃねえよ。豹は雑食だよ。と突っ込みたかったが、ヒョウは敢えて無視をしてカルビとホルモンに取り掛かり始めた。内心は食べたらこんな店さっさと出たい気持ちになっていた。
「……もうすけ。ちょっと来なさい」
「なんでしょうか?母上?」
奥から出てきた店員がもうすけに声を掛けると、店の奥に引っ込んでいった。ヒョウはなんとなく嫌な予感がした。カルビとホルモンを置いて、耳をそばだてると店の奥から家族の会話が聞こえてきた。
―――
厨房では白装束を着た母親がもうすけに向かって神妙な顔で語りかけていた。
「もうすけ。私は今から死ぬことを決めたわ。これからこの「モーモー焼肉」の接客はあなたが努めるのよ」
「……母上。……万事承りました。後のことはご心配なく!」
「もうすけ!よく言った!」
隣にいる父親も涙をこらえてもうすけを褒め称える。
「あんなに泣き虫だったあなたがこんなに立派に。ううっ。これであなたが泣くようだったら私も迷ったけど……、良かった。あなたのその覚悟を見て母も安心して死ねるわ」
母親が父親に向き直った。実に、実に優しい笑顔だった。その顔に負けない笑顔で父親も包丁を構えて話しかける。
「お前。……今までこんな俺を支えてくれてありがとう」
「あなた。……先にお義父さんの所に行かせてもらうわ」
「うおおおおおおおお!」
父親が包丁を両手でもって母親の腹に付きつけようとした瞬間、
「やめんかい!」
パキン!
厨房に入りこんだヒョウが父親の包丁を叩き落とした。間一髪のところだった。
「ヒョ、ヒョウさん!何をするんです!厨房はコックの聖域ですよ!」
「聖域だろうが何だろうが知らん!というかこれ以上殺人事件を増やすな!」
「ヒョウさ~ん?!何を言ってるんですか?人間じゃないから殺人になりませんよ~!倫理的にも問題ありません!」
「大ありじゃあ!」
「それにですね!私たちに一体何の選択肢があると言うんです!二等市民である私たちには高い税金がかかせられます。国外へ出るには高い出国費を支払わなければなりません!月々の税金ですら払うので精いっぱいな私たちにはこの国で必死に生きるしか選択肢が無いんです!」
その言葉にヒョウは雷にでも当たったようなショックを受けた。
それは力無き者の切実な叫びだった。
目の前の牛の家族のように金が無いという理由で生活が苦しい人は多い。その人たちはただその日の日銭を得るために必死に働いて、そして家に帰って死んだように眠りにつく。彼らは一体何のために生きているのだろうか?
ヒョウも同じだった。彼も日雇いで一日の日銭を稼いで何とか生きている。ただただ疲れるために生きている。だからこそ目の前の牛の悲しみと苦しみを理解した。理解できた。
思わずヒョウも涙が出てきそうだった。
ヒョウは決断すると、一度自分の席に戻ってバッグを掴むと厨房に戻った。
多額の現金の入ったバッグを父親に突き出す。
「代金だ」
なんと、ヒョウは万馬券で当てたお金を全て牛の家族のために使おうとしたのだ。
「あっ。お会計ですね?釣りは……」
「釣りはいらん」
「えっ?でもこんなに……」
バッグを開いた父親が目を丸くする。
「なあに、濡れ手で粟取って手に入れた金だ。未練は無い。それにそれだけあれば別の選択肢も選べるだろう?残りの額は当面の生活資金と言ったところかな?」
ヒョウは牛の家族がこの国を出て幸せになることを祈った。結局、肉食動物の国で草食動物が生きるというのは非常につらいことなのだ。自らの身の丈に合う世界で生きるのが一番なのだ。
「それじゃあ……あばよ」
そういうと、ヒョウはきびすを返した。
「あっ。ちょっと待ってください!……お土産にカルビはいかがですか?」
「食わんわ!」
―――
それから、数か月後、ヒョウはその日の日雇いの仕事が終わって帰路に向かう途中、声を掛けられた。
「あっ!ヒョウさ~ん。お久しぶりです!」
「ヒョウ殿。お久しゅうございます」
「あっ。あんたたちはいつかのウシの家族!何でまだこの国に?!」
ヒョウに声を掛けたのはウシの父親ともうすけだった。随分と羽振りの良い格好で荷馬車まで引いている。
「あの時はお世話になりました。あなたの別の選択肢を選べという言葉に私たちも何をするか真剣に考えました。その結果がこれです」
父親は荷馬車の方をビシィッ!っと指さした。その中を覗くと数頭の小牛が悲しそうな瞳でこちらを見ていた。
「牛じゃねえか!」
「はい。私どもヒョウ様のご慈悲で牧場を買い取りました。その結果、計画的に肉を提供することが出来、今ではちゃんと税金を毎月収めることが出来るのです。もう毎日が幸せで最高です」
「い、いや!あんた。何言ってんだ!こいつら牛だぞ!そもそも奴隷は禁止されているはずじゃあ」
「あはははは。ヒョウさ~ん。あなたこそ何を言ってるんですか?奴隷は人間が人間を取引することを言います。ですが私たちはウシです。ウシが牛を提供することは奴隷取引にはなりませんし、倫理的にも全く反してません」
「駄目だろ!お前らの倫理観どうなってんだよ!」
「あはははは」
「誤魔化すな!」
父親は「それではこれで」と言うと、荷馬車を引いてあらぬ方向へ向かって言った。もうすけもヒョウに「ご武運を」と別れを告げると父親に追随した。
荷馬車がヒョウの横を通り過ぎる。
その可哀想な瞳と目が合った。不思議とドナドナのメロディーが頭を駆け巡った。
「あっ、そうそう」
何かを思い出したように父親はヒョウに向き直った。何事かと思った。
「ヒョウさん。今度良い肉が合ったら連絡しますから、是非御贔屓ください」
「食えんわ!!」