粉ポカリ520㏄な恋
今日最後の一本を計ってみたけど予想通り、あの日から0.01秒も速くなってなかった。
短距離200。24"05。これが私の自己ベストで今年入ってから一度も届かない記録。そして、アイツの背中を追い掛けて出した非公式記録。
22"03。その時出したアイツの記録。それがアイツにとっても自己ベストになった。
けど、最近確実にアイツは自己ベストに近付いていってる。22"61、22"32、22"09。全部公式記録として残っている。アイツはあれから着実に結果を残している。
私の高校は毎年3月に男女混合の陸上競技番付をする。短距離や長距離なんかを男子と一緒にやったらどうなるか、というのとOBOGさんと交流して上級者を体感しろ、というのと3年生が受験の後に最後の部活をする、というのが理由。私とアイツはどっちも短距離200と400に出て、アイツだけ800もやった。400は一緒にならなくて、他の男子やOBOGの先輩と走ったんだけど、男子には僅差で負けて先輩には突き放された。期待してなかったけどちょっぴり悔しかった。
そして、200。一本目はインコースの私の一つ隣でアイツが走ることになった。
うん、ちょっとドキドキした。
深呼吸を1つ2つ3つ。だんだん感覚が深く潜っていった。そのうち息してるかどうかもわからなくなる。
もう何度も繰り返した動作をまたなぞるように位置について、、、、
初めはトクントクンって鳴ってる心臓の音がドクンドクンって大きくなっていく。
1秒か、2秒だけの耳鳴り。
――ドクンッ。
始めの7メートルはほとんど感覚なくて、空をかけるような気分。そして、体が勝手に走りはじめてから自分がフライングしてないことを知る。一歩二歩、湖の水面を足で切り裂く気分。そのあとに力強く上昇する。アヒルか鴨か白鳥にでもなったみたいな気分。
私の200は50メートルまでにトップスピードに乗れなかったら、そのレースは失敗になる。
だけど、軽やかな足は40メートルで既に全開だった。
足に羽が生えたみたいなんて表現は嘘っぱちだった。
私の足に足の感覚なんてなかった。
目の前のアイツに少し追いついた。
私の隣で走るアイツの背中に、いつもみたいに置いていかれるような気がして、ひたすら走っていた。少しでも速く。その背中に手が届くように。
今の私なら出来る気がした。何故か普段より足が軽い。むしろ、無くなったような気分だった。
地に足が着いていないような感覚。低空を滑空する。
走れてる。十分過ぎるくらいに走れてる。
凄く、気分が良かった。
凄く、気持ち良かった。
ああ、走ってるなあって、思った。
私は、とてもとっても"走っていた"。
ただ、走っているだけだった。
だから、それが急に不安に変わった。
不意に昔言われたことを思い出す。
『足の感覚が無くなったら、注意しろ。そのまま走りつづけて故障したやつを何人も知っている。』
舞い上がった気持ちを落ち着けてみると、アッサリ地上に降りてきてしまってなんだか勿体ない気がした。
コーナーの終わりに差し掛かる。
インコースでトップスピードを維持していた私は、ついにあと一歩でアイツに追いつくところまで近付いた。
後一歩。
後一歩。
後一歩なのにっ!
アイツの背中が急に遠くなる。コーナーが終わっていた。
アイツはしっかり低空を疾走していた。
私みたいに速さに舞い上がってなかった。
残りは直線、たったの50メートルちょっと。
アイツの背中はずっとずっと遠くに離れてく。
絶対に追いつけない。
一歩毎の速さが違う。
一秒が凄く凄く遠い。
もう、追いつけない。
やだ、やだよ。置いてかないでよ。ってがむしゃらに、ただ走った。フォームとか無視して残りを駆け抜けた。
急にアイツの背中が近付く。それで本当に追い付けなくなったって分かった。
悔しいのか悲しいのかわかんないけど、力が抜けた。
足が前に出るまでの時間が長い。
けど、私もいつの間にかゴールしていた。
はぁああああ――すぅうううう。
大きく息を吐き出して、大きく吸った。けどゴール直後に息を吐き出したら思い切り息を吸っちゃいけない。全速力の無呼吸200の後にそんなことすると、筋肉がビックリしたり脳がビックリしたりして大変なことになるかもしれない、らしい。
でも、無理だった。大きく肩で息を切らした。
『珍しいじゃん、そんなにキツかったっけ。400よか、よっぽどペースとるの上手かったんじゃなかった? マジ100やんないのなんでってくらい。』
うるさい。アンタのせいでしょ。って言葉も出ないくらい疲れてた。
『ってか、あれ? すげえ、記録伸びまくって今んところ女子トップじゃね?』
と、チラチラ記録ボード見ながら私の息が整うのを待っている。自分は息も上がってないで気楽そうに。
『お疲れ。俺もガンバんねーと追いつかれるな。』
『うるさい。2秒も早いくせに自慢ばっか。バカ。』
あーもうっ! ほんっとにもう。
追いつけなかった。
追いつけなかった。
追いつきたかった。
追いつけなかった。
本当に、もう無理なんだ。
100、200以外が私に合わないことは薄々感じてた。持久力が無い。
それでも、アイツに追い付きたくて走ってた。
でももう、無理なんだって、わかっちゃった。
――――っあ。やだ。泣、く。
『マジどうしたよ、それかなんか飲むか?』
『っぅ、うっさい。バカ! 来るな、汗かいて気持ち悪いんだよ。』
まだ涙声じゃないのは唯一の救いだった。
『ちょ、今更そんなの気にしねえって。』
『バカ! 臭いとかサイテー。』
『まて、ちげえって。』
……このあと、寄るな来んなって騒いだっけ。
ホントばっかみたい。
バカみたいに追い掛けてたなあ。
でも、けっこう楽しかったんだよね。
「なあ、最後ちょい走んね?」
もう追い掛けないし、あんま頑張らない。100だって走る。
「パース。やーだよっ。」
笑ってやる。これみよがしに良い笑顔を見せてあげる。
「え? 何でさ。」
「アンタ私と走ったって意味ないじゃん。」
んー、とか言いながらアイツが頭を掻くのはメンドクサイこと考えてるとき。
「……っつーかさ、お前なんつーか丸くなったってか、こう、ギラギラしてなくなってんじゃん。最近。」
それはもう閉店したから。
「なによ。悪い?」
ちょっと拗ねてみる。
「いや、悪かねーけど、前みてーな追っかけられてる感がなくなってさ、変な感じなんだよな。」
「変って何が。」
「んー。変っつうか、まあ、大人しくなったのはなんでだろうな、なんて考えてたわけ。で、背中を狙われてる感じの視線っつーの? それが最近ないじゃん。で、さ。お前、最近なんかあった?」
アンタを見守る会でも立ち上げようかと画策中だけど?
「なにそれ。心配してるつもり?」
「ま、怒んなって。あー、何て言うんだ?」
「や、私がわかるわけないじゃん。」
アンタが感じてるその違和感は私のものだから教えてもあげない。
「あー。あー。そう。だから、」
「なによ。」
「お前、可愛くなったよな、最近さ。」
「はぁ? なにそれ。わけ、わかんないし。」
わけ、わかりたくないし。
「いや、絶対そう。前より良くなったって。」
「……なんで今そんなこと言うのよ。」
「えー、半分は言わされた感なんですけど。」
「じゃ、なくって。」
必死じゃない私は可愛いの?
「あー、うん。まあ、それもある。けどなぁ、馬鹿か俺は。くっそー。」
「あ、っそ。」
「あ、えと。でも、とりあえず俺はどうしたら?」
自分で考えなさいよね。
「知らないっ。」
そう、私は必死に追い掛けるのをやめて立ち止まってよく見るようになっただけ。アイツのことを見つめる時間が増えただけ。
前と違うのはそれくらい。
前と同じなのは練習のあとに私の特製ポカリをあげること。
1Lよりたくさんの水を入れた粉ポカリ。
私はいつも適当に半分より少なめの520ccをチマチマ飲んで。
アイツは残り半分より、ちょい多めを浴びるように飲み干す。
これだけは変わらないこと。代えられないこと。
今日もこれから起こること、明日も続くこと。
アイツはいつもちょっと恥ずかしそうに、でも必ず受け取ってくれる。それでボソッとありがとうとか言って。そこがちょっと可愛くって疲れも忘れちゃうくらい。
だからアイツより先に居残りを切り上げて、今日も作ってあげる。
ちょっと薄くて酸味の増した、私とアイツの粉ポカリ。
そうだ、今度少しだけハチミツを混ぜてみようかな。
~fin~
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これは、私が高校時代に書いたものを、最近発掘したので載せてみました。
ところで、わざわざ粉ポカリを薄めに作っているので、ハチミツを加えるのは逆効果になるでしょう。