夏祭り
現在、16時51分。
駅前は夏祭りに来た人達で賑わい、浴衣を着た人もちらほら見える。
ほのかは駅前の長椅子に座り、そわそわと落ち着きがない様子で行き交う人達を見たり、携帯で時刻を確認したりしていた。普段はやらない化粧も初美に頼んでやってもらい、服も初美を連れ出し、一緒に選んでもらって新調した。
(やっぱり、浴衣にすれば良かったかなぁ。でも、『彼女でもないのに気合入れてる』とか思われたら──!)
「あっ滝君!」
視界の左端に待ち人を見つけ、ほのかは思わず声を上げ、立ち上がった。ほのかが先に来ていた事に、滝は軽く驚く。
「おう。悪い、待たせたな。」
待ち合わせの時間よりも10分程早い。普段から自分が待つ側のため、滝は『人を待たせる』ということに申し訳なさと新鮮さを感じる。ほのかは満面の笑みを浮かべると「ううん!」と大きく首を横に振った。
「大丈夫!今来た所だから!」
ほのかの元気の良さに、滝は頬を緩める。
「そうか。じゃあ、行くか。」
「うん!」
ほのかは笑顔で滝の横を歩く。滝はそれにも軽く目を見開き、ほのかにつられてふっと笑った。
大通りまでの道を歩きながら、滝は周りを見回す。
「久しぶりに来たけど、やっぱすげぇ人だな。」
「何年ぶりなの?」
「んー……3年ぶりか。最後に来たのが中2くらいかな。」
「そうなんだ-。私は毎年来てるかな。お姉ちゃんが、学生の頃お祭りで篠笛吹いてたから、お姉ちゃんを見に家族で来てたの。あとは、友達と。」
「へぇーすげぇな。うちはそんなの全くなかったからな。佳音も──。」
言葉の途中で、滝は急に口を閉ざす。嫌な事を思い出してしまったかのように、暗い目で前方を見据えていた。
「滝君?」
「!あぁ、悪い。佳音も祭りとは無縁だったからな。」
滝は我に返ったように笑顔を取り繕う。
「そうなんだ。……あ、聞こえてきたね!」
人混みの賑やかさに紛れて、微かに篠笛と太鼓、お囃子の音が聞こえてきた。2人は屋台の人混みをかき分けて、パレードの行われている通りへと進む。
通りには出たが、パレードの観客で人の壁が出来ていた。
「どこか見える場所あるかな?」
ほのかは辺りをきょろきょろと見回す。
「あー、この辺はなさそうだな。確か、『躍り始めの方は空いてた』とかって、誰か言ってたな。」
少し歩くか、と滝はほのかを促す。再び2人は、人混みをかき分けパレード参加団体の待機場所へと向かった。確かに、屋台の前よりも観客は少ない。最前列ではないが、人と人の隙間から先程よりもパレードがよく見えた。
「確かに空いてたな。」
2人が着いた時には、団体が1つ出発し、最後尾の踊る様子が見えるところだった。次に待機している団体の先頭の1人が太鼓を叩き始める。数小節叩いた後、他の太鼓と篠笛も一斉に音を奏で始め、踊り手もそれに合わせて躍り出す。太鼓の衝撃が空気を伝わり、 腹の底に響く。
「昔はね、太鼓の音って苦手だったんだ。」
ほのかはパレードを見たまま、ぽつりと呟いた。滝はそれに、視線で「何で?」と問いかける。
「別に、何かがあったわけじゃなくてね。ただ、お腹を殴られたような衝撃が苦手で……。」
ほのかは「ごめんね急に」と苦笑いを浮かべる。が、滝は真顔のままだ。
「もう、平気なのか?」
「うん。もうこの歳になったら全然!」
ほのかは屈託のない笑みを滝に向ける。
「あっ次の団体、友達が出てるの!見えるかな?」
ほのかは顔を前に戻し、携帯を眼前に構える。ころころ変わるほのかの表情に、滝は「忙しい奴だなぁ」と目を細めた。
「──さて、そろそろ屋台でも行くか?」
滝は携帯で時間を確認する。現在、18時ちょうどだ。
「そうだね。あ、屋台見終わったら、お姉ちゃんのお店行くんだけど、滝君も行く?」
「あぁ。別に良いけど、門限大丈夫か?」
滝は心配そうにほのかを見る。
「大丈夫!今日はお姉ちゃんが家まで送ってくれるから!」
心底嬉しそうに「行こう!」と先を歩こうとする。その時、後ろから歩いてきた男性の右肩がぶつかった。ほのかはびくりと肩を跳ね上げ、顔を強張らせる。自分を守るように胸の前で腕を構えるほのかに、滝は彼女の右側に並んだ。
「大丈夫か?やっぱり帰った方が良いんじゃね?」
「大丈夫…………行く…………。」
先程とは打って変わり、ほのかは俯き、震える声で呟いた。
「何か欲しいものでもあるのか?何なら買ってきてやるけど。」
「………………。」
今日は夏祭り最終日だ。今日を逃したら、屋台で欲しいものがあったとしても次に買えるのは来年しかない。だが、ほのかは「ううん」と小さく首を横に振った。しばらくの沈黙の後、ほのかは躊躇ったように口を開いた。
「……お祭りに、滝君達と来たかっただけなの。特に、欲しいものは……。」
滝は目を見開く。
「あ、あのっ夏休み中にまたご飯とか、遊びに行って仲良くなれたら良いなぁと思って。でも、ごめんね、誘っておいて私が怯えちゃってて……。でも、もう大丈夫だから!」
ほのかは勢いよく顔を上げ、早口で喋り出した。
「無理すんな。遊びに行くんだったら別の日でも全く問題ねぇよ。それに、人混みの中だと動きづらいし、お前はあの2人も一緒の方が良いんだろ?とりあえず、ここ抜けようぜ。」
滝は屋台とは反対側──後続の参加団体が待機している方向を親指で指した。向こうは主に待機場所になっている為、ほとんどパレード参加者しかいない。いくらか人混みも緩和されているはずだ。
ほのかは滝を見たまま、申し訳なさそうに小さく頷く。2人は踵を返し、人混みを抜けるために歩き出した。
夏祭りの喧騒が、少しだけ遠くなった。
casinaに来ている2人は、以前と同じ席について麦茶を飲んでいた。夏祭りに人が集中しているため、店には1・2組ほどしか客がいない。
「大丈夫か?」
再び、滝は心配そうにほのかを見る。
「うん。……ごめんね、どこも見れなくて。」
「別に良いさ。無理される方が困るからな。」
滝は気にした素振りもなく言うが、ほのかは尚も暗い表情をしている。初美はトレンチを小脇に抱えたままほのかを見て、呆れたようにため息をついた。
「だから『やめたら』って言ったじゃないの。ごめんね、九条君。わざわざ付き添ってもらって、ありがとう。」
「いえ。元々『屋台見終わったら行くか?』って誘われてたんで。」
大したことはしていないです、と滝は手を横に振る。
「──全く、小学生の時も夏祭りで変な男に連れて行かれそうになったじゃない。あの時はお父さんがいたし、この間は九条君と白屋君がいたけど!」
初美の発言に、滝は驚く。
「あれが初めてじゃないんですか?」
「そう。なーんか子供の頃からね。」
初美は「何でかしら?」と首をかしげる。
「それでも毎年友達と行ったりして、無事に帰ってきてるから良いけど。……心配になるのよ。」
(そりゃ、心配になるな。)
滝は、同情の眼差しを初美に向け、その視線をそのままほのかに移した。
「──大丈夫だもん。」
「大丈夫じゃないでしょ。」
口を尖らせるほのかに、初美は少し語気を強めた。
初美に怒られるほのかを見ながら、こういう強がりな所は佳音と似ている、と滝は思う。
(ただ、あいつはこんな分かりやすくはねぇけどな。)
茹だるような暑さの時も、体調悪いのに登校した時も、まるで面をかぶっているように無表情なのだ。
(これだけ分かりやすけりゃ、少しは可愛げもあるんだろうがよ。俺の知ったこっちゃねぇが。)
ふと、滝は財布を取り出し、中身を確認し出した。
「──なぁ。2人で良ければ、映画行くか?」
滝の発言に、ほのかは困惑したように「え?」と滝を見た。滝は気恥ずかしそうに視線を逸らし、首の後ろを片手で押さえている。
「いや、母親が当てたペアチケット、今月までだからさ……。」
顔を赤らめ声が小さくなっていく滝を、ほのかは目を輝かせて見つめた。
「──いいの?」
それを見て、滝は一瞬鼓動が高鳴る。
(可愛い。)
素直にそう思った。
「良いんだよ。うちの母親、懸賞で物当てといて期限とかちょこちょこ忘れる人だから。」
「吹雪君と佳音ちゃんは?」
「あいつらは映画館行かないからな。映画見ないわけじゃないんだけど、吹雪は真面目なシーンを茶化したがるし、本人もそれを分かってるから、DVDを借りてきて家で見る。佳音は『映画館の音量は大きすぎるから嫌だ』とか言ってた気がする。そして当てた本人が『見たい映画無い』とか言い出して放置する。」
「つまり、消去法?」
初美はクスリと笑う。滝は指摘されて気づいたように「あ」と声を上げた。
「まぁ、そうっすね。」
言われてみれば、と苦笑する滝だが、ほのかの耳に2人の会話は入っていない。
(映画?滝君と2人で?──2人!?映画!?)
滝の言葉を頭の中で反芻し、ほのかは涙目になりながら顔から火が出そうなほど赤くなった。それを見て、滝は慌てる。
「えっ大丈夫か!?いや無理になんて言わねぇから!」
「ぅ……ううん……。ありがとう……。」
ほのかは礼を言いながら俯き、自分の両頬を押さえる。滝は「別に」と言いながら心配そうに見つめ、初美はそんな2人(特に滝)をただ見つめた。