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誕生日

「じゃあ、私こっちだから。」

 バス停で、薄暗くなった道を指さしながほのかは3人に笑顔を向けた。明るく言ってはいるが、笑顔が明らかに強張っている。

「本当に大丈夫?何なら家まで送るよ?」

 吹雪は心配そうに申し出るが、ほのかは首を大きく横に振った。

「大丈夫!走ればすぐだから!3人とも逆方向でしょ?」

「そうだけど……。俺は別に構わないし。」

「本当に大丈夫だから!私中学校の運動会でリレーの選手だったし!」

「そういう問題じゃねぇよ。」

 自分を鼓舞するように声を張るほのかに、滝は冷静にツッコむ。だが、心配そうにしているのは滝も同じだった。

「……滝、お前が付いていったらどうだ?」

 おもむろに佳音が提案する。

 滝は眉間に皺を寄せ、穏やかな笑みを浮かべる佳音を見た。

「お前だったら大丈夫だろう?空手有段者。」

「あのなぁ、こっちは父さんに……。」

「なんだ、気丈に振る舞っている女の子放って早く帰りたいのか?」

「そういう事じゃねぇよ。人の話聞け。」

 滝は声を低め佳音を睨むが、佳音はものともしない。

「話は明日でも良いだろう。矢倉さん送ったら1人で帰れるよな?」

 そう言って背を向ける佳音に、滝は苛立たしげに舌打ちをした。

「あぁそうだな!じゃあ吹雪と先に帰ってろ!」

 滝も背を向け歩き出す。

「行くぞ矢倉。」

「えっ…………うん。じゃあ、明日ね!」

 ほのかは戸惑い気味に滝の後ろを付いていきながら、振り返って佳音と吹雪に手を振る。

 吹雪は笑顔で手を振り返し「気をつけてねー」と2人を見送った。

「……言い過ぎじゃない?」

 吹雪は声のトーンを落とし、肩を跳ね上げる佳音を横目で見た。先程の笑顔が嘘のように消えている。

 青ざめ息をつめている佳音に、吹雪は静かにため息をついた。

「……行こう。」

 吹雪は佳音の背中を優しく押す。佳音は大きく息を吐き出し荒い呼吸を繰り返した。それを吹雪はじっと見つめる。

 佳音と吹雪はゆっくりと並んで歩き出す。通りを抜け、建物の明かりがめっきり減った頃、佳音はようやく口を開いた。

「…………あんなに笑ってるの……久々に見た。」

「……そっか。」

 佳音は震えた声で呟く。吹雪は相槌を打つが、内心同じ事を思っていた。

 ほのかは滝と好みが同じだったのだろう。先程の本屋で、同じ漫画を見て楽しそうに話していた。佳音はその光景をあえて見ないようにしていたのか本当に本にのめり込んでいたのか分からないが、1度も視線を上げることはなかった。

 ふと、吹雪はある疑問が浮かぶ。

「そういえば、あの本面白かった?」

 吹雪はからかうように佳音に問う。佳音は先程のほのか同様、強張った笑みを浮かべ、ぎこちない動きで吹雪を見た。

「……何、読んだっけ?」

「ホラー小説、さっき店先で読んだじゃん。あの本、ネットでめちゃくちゃ怖いって噂だよ。ホラー嫌いなのによく読んでるなーって隣で思ってた。」

 吹雪は読んだ内容を少し思い出す。

「映画化とかしないかなー。屋敷の中で化け物が人間を咀嚼しながら振り向いて、仲間の首がちぎれて落ちるところとか。」

「何故グロテスクな場面をピックアップする……?」

 想像してしまったのか、佳音は気持ち悪そうに自分の口元を手で押さえる。 

 佳音の住むマンションが見えてきた。佳音はマンションを仰ぎ見ると、暗い表情でため息をつく。

「ここでいい。」

 T字路で佳音は立ち止まる。

「すまない。遠回りをさせたな。」

「マンションまで送るよ。これで何かあったら俺が滝に言われるし。」

「そして滝が父親に文句言われるわけか。私も空手やってるんだがな。そこまで危なっかしく見えるのか?確かに手合わせしたことないから、どれぐらい実力があるのか知らないのは仕方ないが……。」

 佳音は悔しそうに目を伏せる。隣で吹雪は「うーん」と首をひねった。

「家が家だからじゃない?」

「あの人は完全に家庭を放置している。例え私が誘拐されても動じないだろう。」

「そんなことないでしょ。」

 吹雪は苦笑を浮かべる。が、どうやら佳音は本気で言っているようだ。

「わずかでも心配する気があるなら、子供の頃から護身術習わせるなり、本格的なボディーガードや送迎をつけたほうが安全な気がしないか?」

 佳音の意見に、吹雪は顎に手を当てる。

「まぁ……?でも、そうするとお父さんが大企業の社長だっていうのすぐにバレちゃいそうだね。」

 吹雪は茶化したように言う。佳音はそんな吹雪を横目で見た。

「それが面倒なんだろう。金は人を変えるからな。」

 佳音は吹雪に向き直り、しっかりと目を合わせる。

「本当にここでいい、大丈夫だ。送ってくれてありがとう。」

「送るのともちょっと違う気がするけどねー。」

 吹雪は困り顔で再び首をひねる。

「分かった。じゃあ明日ね。気をつけて帰るんだよ?」

「あぁ。」

 佳音は踵を返し、暗い道を歩いていく。

 佳音の姿が闇夜に紛れ完全に見えなくなってから、吹雪も元来た道を戻っていった。



 翌朝、7時40分。

「……あ。」

「『あ』って何だよお前。」

 こちらへ発せられた佳音の言葉に、滝は携帯の画面から佳音へと視線を移し、あからさまに顔を顰める。

「すまん。……おはよう。」

「おす。」

 滝は携帯をポケットにしまい、凭れ掛かっていた壁から背中を離す。

「行くか。」

「あぁ。」

 いつも通り、滝は無言で先を歩く。そんな滝へ、佳音はおどおどした様子で手を伸ばしかける。

「…………あの…………ごめん、なさい。」

「何が。」

 突然小さく謝る佳音に滝は立ち止まり、面倒くさそうに視線を向ける。まるで泣くのを我慢している子供のように俯く佳音に、滝は苛立たしげに舌打ちをすると、彼女に向き直った。

「だから、何が。主語を言え。」

 佳音の訳の分からない言動に、つい口調が強くなってしまう。そのことで佳音は更に萎縮してしまい、唇を引き結ぶ。

 こうなってしまってはもう口を開くことはない。

 滝はもう1度舌打ちをして踵を返すと、何も言わずに歩き出す。佳音はそれを泣きそうな表情で見つめると、とぼとぼと歩き出した。

『気丈に振る舞ってる女の子放って早く帰りたいのか?』

 そんな男ではないことを、佳音はちゃんと分かっている。分かっていて、最低な事を言った。

(昨日の笑顔が嘘みたいだ。)

 佳音はぼんやりと滝の背中を見つめる。

 昨日本屋で、ホラー小説に耐えきれず本を変えようとした時、滝がほのかと楽しそうに話しているのが1度だけ目に入った。

(あの笑顔は、私には出せない……。どうしたら出せるのかも、分からない。)

 佳音は沈んだ目で俯く。滝の声が聞こえた気がして、視線をゆっくりと前へ向ける。

「……いてんのか?おいっ前!!」

「は……ぃぎゃっ!?」

 意識がはっきりした途端、額の右側に激痛が走った。電柱に衝突したのだ。

 状況を理解できていないのか、困惑したように額を押さえたまま涙目で数歩後退る佳音を滝は痛々しげに見る。

「大丈夫か……?」

「あぁ、うん……うん?」

「ぶつけたこと理解出来てるか?」

「うん?……うん。」

 佳音は痛みに震えながらこくりと頷く。

 滝は佳音に近づくと、手首を掴んで額を押さえている手をどける。

「血は出てねぇな。」

 佳音は滝の行動に目を見開き、一気に赤くなる。痛みとは別の涙が浮かんできた。

(そんなに痛かったのか……?)

 まるで痛みを我慢しているちびっ子のようで、痛み止めのまじないをしたくなる。

「一応、学校着いたら保健室行くか。」

「あぁ、すまない……。」

 佳音は目を見開いたまま、にやけそうになるのを堪える。先程滝が掴んだ右手首にそっと触れ、目を細めた。

 いつまで経っても歩き始めない佳音を、滝は訝しげに見る。

「おい、行かねぇのか?」

「えっ……はい、行きます。」

「今度はぶつかるなよ。」

「……あぁ。」

 呆れと、敬語を使われる事に対する苛立ちが先ほどの言動に上乗せされ、滝は刺すような視線を佳音へ向ける。その視線に、佳音は先程までの熱が一気に下がる。滝は不機嫌さを表に出したまま、すたすたと歩き出した。

(馬鹿か、私は……。)

 先程の出来事が嘘のように、佳音はいつもの無表情に戻る。否、それよりも更に暗い表情だ。5メートル程先を歩く滝に追いつこうともせず、佳音はゆっくりと歩き出した。



「……なぁ吹雪、昨日、ちゃんと佳音送ってくれたか?」

 昼休み、滝はほのかから借りた漫画を読みながら、向かい側に座る吹雪に問いかけた。吹雪は驚いたように携帯から視線を上げる。

「朝聞かなかったの?」

「……あぁ。」

 滝は漫画から目を離さない。

「……送ったよ。」

 吹雪は軽く笑って携帯へと視線を戻す。

(ということにしておこう。佳音に『ここでいい』っても言われたし。)

「サンキュ。」

 滝は吹雪を見もせず、素っ気なく礼を言う。

 吹雪は思い出したように「そういえば」と話を切り出す。

「ほのかちゃんの家ってどこら辺だったの?本人は『近くだ』って言ってたけど。」

「いや、全然近くねぇよ。バス停から10分くらい歩いたぞ?」

 ほのかの話題になり、滝はようやく顔をあげる。口調も先程より、いくらか明るいものだった。

から元気っつうのかな、ずっと喋り続けてた。あの漫画は原作だとこうだけど、アニメだとこうなってるーとか。」

「オタク?」

「かもな。」

 可笑しそうにくすくすと笑う滝を、吹雪は頬杖をついて微笑みながら見る。

 吹雪の微笑に気持ち悪さを感じたのか、滝は眉をひそめた。

「何だよ?」

「別に?楽しそうだなーと思って。普段そんな笑わないのに。俺と居ても楽しくないのかな?」

 吹雪の発言に、滝は呆れたように椅子の背にもたれ掛かる。

「んな訳ねぇだろ。何年一緒にいると思ってんだ。お前には無理に笑う必要も喋る必要もねぇだろ。」

「まぁそうだね。」

 吹雪は頷きながらパックのカフェオレを飲む。

「……あっそうだ滝!今日俺も一緒に帰って良い?」

 思い出したように言う吹雪に、滝は「は?」と気の抜けた声を出す。

「良いけど、何で?」

「佳音に用があって。それに、そっち方面に用があるし。」

「へぇー。」

 珍しいとでも言いたげな滝をよそに、吹雪は「今日は醤油渡さないと」と楽しそうに言っている。

(今日……?)

「醤油なんて何すんだよ。頼まれたのか?」

 滝の言葉に今度は吹雪が「え?」と気の抜けた声を出す。

「え?………………あー……。」

 滝は納得したように数回頷くと、外へと視線を向けた。

「うん。だから帰りに渡そうと思って。」

 吹雪も同じように頷き、再びカフェオレに口をつける。ちらりと視線を外へ向けると、黒っぽい雲が空を覆っていた。

「泣き出しそうな空だね。」

 吹雪が静かに言う。

「泣きながら大暴れしないといいけどな。」

 滝の揶揄に吹雪は「ははっ」と軽く笑った。

(あいつ、今日誕生日だったな……。)

 滝は何の感慨もなく曇天を見つめた。



「雨降るのかな……。」

 昼休み、図書室で本を読んでいた佳音は今朝ぶつけた額を押さえながら、げんなりとした表情で空を見上げた。幸いこぶにもなっておらず、保健医から「気をつけて歩くのよ?」と苦笑しながら注意されたことを思い出す。今朝の記憶を頭の隅へ追いやり本へと視線を戻した時、脇に置いていた携帯が音もなく光りだした。

(メール?…………まさかな。)

 佳音は、諦めの中に少し期待が混ざったような目でメールを開く。発信者は夏希だった。

『誕生日おめでとう!!あさって稽古終わったら私の家行くからね!予定入れないでよ!?』

 佳音は思わず目を見開き、直後に破顔する。

『誕生日おめでとう。』

 待ちに待った言葉に、涙が滲んだ。どう返信しようか悩み、しばらく文字を打ち込んだり消したりしていた。だが、やがて諦めたように小さくため息をつく。

『ありがとう。分かった。』

 それだけ打ち込み、返信する。

 たった1人でも誕生日を祝ってくれた事に幸せを感じ、佳音は画面を見つめその余韻に浸っていた。予鈴のチャイムが鳴ったことにより佳音は現実に引き戻され、そそくさと図書室を出ていった。

 


 HRが終わり、帰り支度や部活へ行くクラスメイト達のざわつきをBGMにしながら佳音はゆっくりと教科書を鞄に入れる。

「かーのーんー。」

 聞き覚えのある声に佳音は顔だけを右へ向けた。教室の後ろのドアから、吹雪が笑顔のまま「やっ」と片手を上げている。

 佳音は鞄をそのままにして席を立ち、吹雪の方へ歩いていく。

「珍しい。どうした?」

 佳音はことりと首をかしげる。

「今日は、俺も一緒に帰ろうと思って。一緒して良い?」

「構わないが……。あれ、滝は?」

 いつものように壁に凭れ掛かっているのかと、佳音はきょろきょろと廊下を見回す。

「用事があるから昇降口で待ち合わせ。」

「……そうか。」

 佳音は一瞬だけ間を置くと、物憂げだが安堵したような表情で俯いた。

「っすまん、今鞄持ってくる。」

 佳音は思い出したように踵を返すと、小走りで自分の席へ戻る。いそいそと残りの教科書を入れる佳音に、吹雪は「ゆっくりで良いよー」と間延びした声で言った。



「あれ、何してんだろ。」

 昇降口に来たが、滝の姿はまだなかった。スニーカーに履き替えた吹雪がぼやいたと同時に、携帯の着信音が鳴る。

『悪い、先に帰っててくれ。』

 SNSで、滝から連絡を受ける。吹雪は小首をかしげた。

『了解。何かあったの?』

 吹雪は文面で問いかける。

『和樹が、日本史のプリントやってなかったんだって。今写させてる。それを提出しないと帰れない。』

「あちゃー……。」

(あのプリント今日までだし、藤田ふじた先生面倒くさい人だし。和樹が滝の分も提出すると写したことバレるんだろうなー……。)

 画面に目を落としていると、佳音が歩み寄ってくるのが視界の隅に入る。吹雪は少し残念そうな顔で佳音を見た。

「滝が『先に帰ってて』だって。和樹にプリント貸してるみたい。」

「え?…………あぁ、分かった。」

 佳音は間の抜けた返事をする。

 わずかに寂しそうに視線を落とす佳音に、吹雪は目線を合わせるようにかがみ込む。

「そういえばさ、駅構内にある団子屋、今月で閉店するんだって。食べに行かない?」

「えっ行く。」

 佳音は顔を上げると、ぱっと目を輝かせた。吹雪は微笑んで「じゃ、行こう」と1歩踏み出す。

「あ、今日は俺が奢るよ。誕生日でしょ。」

 吹雪が突然止まって振り返ったため、佳音は「にぁお!?」という奇声を上げ、後退った。

「ごめんごめん。でも『にぁお』って……!」

 吹雪は声を押し殺して笑う。

「謝る気あるのか?」

 恥ずかしかったのか、佳音は赤面して吹雪を睨む。吹雪は尚も笑い続けているが、その睨み方に数日前の滝を思い出す。

(こうゆうところ、似てるんだよなぁ。)

 ツボに入ったのか、なかなか笑いが治まらない吹雪に佳音は顔を赤くしたまま、不機嫌そうに歩き出した。

「行くぞっ。」

 足早に歩く佳音の隣に、吹雪は大股で歩いて追いつく。

(!!…………慣れないな。私の隣に並ぶのなんて、こいつか夏希くらいなものだ。そういえば昨日もそうだったな……。)

 佳音は『隣』という、手を伸ばせば届きそうな距離に内心戸惑う。

(こいつを好きになっていればと、何回思ったことか……。)

 恋愛感情を滝に向けている自分が憎らしい。

 叶わない以前に、自分が好かれていないことを知っている。告白なんぞしたところで、一蹴されるだろう。

(告白する気なんて毛頭ないがな。)

 雨雲が流れていき、雲の隙間から青空が見え隠れする。差しこんでくる日の光は暖かいが、雨上がりの空気で肌寒い。

「5時間目のスコールじみたものは何だったんだ。」

「いきなりだったよねー。でも今止んで良かったじゃない。」

「あぁ、傘持ってきてないからな。また滝に怒られるところだった……。」

 佳音は、ぽっかり空いた青空を見上げる。

「……桜風味の団子、季節限定だったからもう食べれないんだな。」

「そうだねー。あれ美味しかったのに。」

 佳音と吹雪は、残念そうに笑う。

「それに、なかなか無いんだよな。抹茶を出してる喫茶店って。」

「確かに。あったとすれば、病院の近くだっけ?」

「そうなのか?でも、家とは逆方向だから滅多に行くことないな。」

「でもいつか行ってみたいよね-。」

「あぁ。」

 あの店のあの料理が美味しい、あの近辺にこんな喫茶店があるらしい。バス停まで歩きながらそんな話をしていた。

「でも佳音はまず、1日3食ちゃんと食べようか。昼食ジュースだけで済まさないように。」

「……はい。」

 やって来るバスを見ながら、佳音は「頑張ります」と乾いた笑いをする。

 さすがに吹雪まで怒らせたくはない。というより、今度倒れたら冗談抜きで入院コースになりかねない。勉強が遅れるのも嫌だし、直之さんに気を遣われかねないし、何より……。

(もう、あんな言葉を聞きたくない。)



「……お前、最近怠けすぎじゃね?」

 滝は呆れたように頬杖をつき、後ろの席でプリントを写す和樹を見る。

「あー……悪い。」

 どこかぼんやりとしていて歯切れの悪い和樹の返事に、滝は頭の上に疑問符を浮かべた。

「?……飲み物買ってくる。何が良い?」

「奢ってくれんの?」

「120円くらい別に良いさ。」

 以前、佳音にも同じ台詞を言ったような気がすると、財布を持ちながら思う。

 立ち上がった時ふと、外の景色が目に入る。他の生徒に混ざって校門へ向かう佳音と吹雪が、歩きながら楽しそうに笑っている。

 滝はそれを見て無意識に、奥歯をゆっくりと噛みしめた。

「んじゃ、コーラ。……おーい?」

「えっ……あ?」

 2人に気を取られていた滝は、気怠げな目で見る和樹へ慌てて視線を移す。

「コーラ、よろしく。」

「お、おう。」

 やましいことでもあったようにそそくさと教室を後にする滝を、和樹はつまらなそうに見送った。足音も聞こえなくなったことを確認すると、立ち上がって外を見る。

(へぇー……。)

 佳音と吹雪は、ちょうど校門を曲がったところだった。

(桧山さんが笑ってるところなんて、初めて見た。)

 和樹は椅子に座ると、再びシャーペンを動かす。

 だけど1人になると、金曜日の事を思い出してしまう。自分のベッドの上で乱れる由香里の髪、肢体、喘ぎ声──。

(やべぇ……。)

 和樹はペンを置き、赤面しながら口元を押さえる。机の上に両肘をつくと熱い息を吐き出しながら両手で額を覆った。気を取り直そうとペンを持つが、やはり集中出来ない。再び両手で顔を覆い、そのまま数分──。

「……さっさとやれっ!!!」

 怒号と共に冷たいものが後頭部を直撃する。力加減をしてくれたのか、額を机に盛大にぶつけることはなかった。

「痛ったぁー……。」

 和樹は涙目で後頭部をさする。机の端にコーラが小さく音を立てて置かれた。

「あ……ありがと-。」

 和樹は先程コーラで頭を殴った張本人・滝を見た。

「どういたしまして。終わったか?終わってねぇよな。」

 和樹の前の席に腰を下ろしながらとげを含んで言う滝に、和樹は口を尖らせる。

「ごめん、今やる。でもさ、これでプリント終わってたらお前の行動酷すぎじゃね?」

「大丈夫。お前が俯いてる間にチラ見したから。右半分全く写してなかったな。」

 滝は尚も言葉にとげを含んで缶のプルタブを上げる。右上の解答欄にペンを走らせ始めていた和樹はぎくりと肩を跳ね上げた。

 ふと和樹は、珍しそうに滝を見る。

「意外だな。お前がそういうの飲むなんて。」

 缶に口をつけようとしていた滝は横目で和樹を見る、次いで、手にしているイチゴミルクに視線を戻した。

「……まぁな、甘いの嫌いじゃねぇし。」

「へぇー。」

 和樹は納得したように返事をすると、黙々とプリントを書き写した。

「よし。ありがとう、助かった。あ…………今更だけど、もしかして、何か予定あった?」

 申し訳なさそうに言う和樹を、滝は呆れたように見る。

「本当に今更だな。別に良いけどよ。」

 滝はふと、考えるように空中へ視線を彷徨わせる。

「和樹、あのさ──。」



 翌朝、眉をひそめて歩いてくる佳音を見て、携帯を見ていた滝も同じように眉をひそめる。

「どうした?」

 佳音は我に返ったように顔を上げると、「あぁ」と呟いた。

「昨日、吹雪から醤油を貰ったんだが。」

「はぁ。」

「『バニラアイスに醤油をかけて、食べた感想を聞かせてくれ』と言われたんだ。けど、見事にアイスと醤油の味しかしなくて。」

「はぁ。」

「申し訳ないけど、途中でアイス捨てたんだ。」

「へぇー。」

「感想、何て答えれば良いのか……。」

「素直に『アイスと醤油の味だった』で良いんじゃね?」

「『みたらし団子の味するらしいから』って言われて渡されたんだぞ?」

「だって、あいつも前に試したらしくて『見事にアイスと醤油の味だった』って言ってたし。」

「っ……結果分かってたのにやったのか。」

 佳音は吹雪の飄々とした顔を頭に浮かべながら、「あいつらしい」と呆れた。

「ドンマイ。とりあえず、行くか。」

「あぁ。…………言い忘れた、おはよう。」

「あ、あぁ……おす。」

 2人はいつも通り歩き出す。だが不意に、滝がドアの前で歩みを止めた。珍しく忘れ物でもしたのだろうかと、後ろにいた佳音も歩みを止める。

「佳音。」

 滝は体を半身後ろにずらすと、佳音を手招きする。佳音はことりと首をかしげると、ゆっくりと滝に近づいた。

「何だ?」

「………………いや、何でもない。」

 滝は何か言おうとして口を薄く開けたが、急に背を向け、ポケットに手を突っ込んだまま再び歩き出してしまう。

「……はぁ。」

 佳音はつい、気の抜けた返事をする。

(『誕生日おめでとう』って、言ってくれるのかと思った……。)

 佳音は淡い期待をため息と共に静かに吐き出すと、滝の後をついていく。

(良いんだ、昨日吹雪に祝ってもらった。高望みなんかしたらばちが当たる。)

 そう自分に言い聞かせ、佳音は歩きながら登校中のいつも通りの風景、いつも通りの男の後ろ姿を眺める。

「あっ滝君、佳音ちゃん、おはよう!」

 校門付近で2人を見つけたほのかが、笑顔で駆け寄ってきた。

「おす、矢倉。」

「あ……おはよう。」

 聞き慣れない『ちゃん』呼びに、佳音はこそばゆさを覚える。

「あっねぇ滝君聞いて!この前試し読みしたあの漫画、続きがあまりにも気になって、昨日買っちゃったんだ!なんかすごいよ!展開早くて!主人公が1巻の中盤あたりで自警団と怪物の戦いに飛び入り参加するんだけど、そこで主人公も知らなかった自分の能力に気づいて……。」

「ちょっと待て。落ち着け。」

 滝は、隣で目を輝かせて語るほのかを手で制する。佳音はそんな2人を何とはなしに後ろから眺めていた。滝は歩きながら完全にほのかと話し込んでしまい、佳音が徐々に歩くスピードを落とし、2人から距離を置いていることに気づかない。

  2人が下駄箱で靴を履き替えようとしたとき、佳音は昇降口の段差を上がるところだった。

「何でそんなに遅いんだよ?」

 いつも歩くスピードこれぐらいだったか?と滝は疑問符を浮かべ佳音を見る。心配そうに「具合悪いの?」と見つめるほのかに、佳音はゆっくりと首を横に振った。

「すまない、元々歩くのが遅いんだ。それに、ちょっと考え事してた。」

 佳音は心配させた事を申し訳なく思う反面、放っておいてもらいたいという拒絶感で2人の顔も見ずに靴を履き替えた。

 その後も、滝とほのかは話(恐らくアニメや漫画だろう)をしたまま、佳音はそんな2人の後ろについていったまま、各々の教室へ入っていく。

(やっと落ち着いた……。)

 佳音は自分の席について息を吐き出す。教科書を机の中に仕舞い込んでから、頬杖をついてぼんやりと青空を眺めた。だが、不意に昇降口での2人を思い出す。

 どうして先に行かない!1人にしてくれ!

 珍しくそう怒鳴りそうになった。2人がまるで恋人同士に見えてしまい、惨めさや敗北感、そして納得してしまった自分に憤りを感じたのだ。

(あれで怒鳴ったら、理不尽極まりないな。)

 佳音は空を眺めたまま自嘲する。自分にも『憤り』という感情があったことに内心驚いた。

(そういうの、流してきたつもりだったんだけどな。)

 雲の流れていくスピードが緩み、ついにはほとんど動かなくなる。雲の流れと今の心情がリンクしているような気がして、佳音は憤りを流そうと必死になる。

(仕方ないじゃないか、『私にそんな笑顔を向けない』なんて思っても、『取らないで』なんて思っても。あいつは私のものじゃない。なのに散々縛り付けといて、これ以上我が儘を言うのか?馬鹿だろ。嫌われてるんだから、笑顔なんて向けられなくて当然なんだよ。私がいなければ、あれが普通なんだ。餓鬼じゃないんだ、我が儘を言ってこれ以上困らせるな。望むな、諦めろ、諦めろ……。)

 心の中に塊となって居座る黒い感情を消そうと、佳音は眉間に皺を寄せ、祈るように指を組む。それを遠巻きに見たクラスメイトは「身内に危篤の人がいるんじゃない?」とか「何かの結果待ちだろ」と小声で話している。

 やがて黒い塊のような感情が溶けて、体の中に染み込んでいく。塊が心の中から消えた感覚に、佳音は細く息を吐き出し、指から力を抜いた。まるで機能を停止したロボットのように、今、佳音の中には何も無い。

「席ついてー。HR始めます。」

 教室へ入ってきた担任の仙田千賀子せんだちかこは生真面目な表情で教壇に立つ。千賀子が来たことで眠たげな目に光が戻り、クラスメイトと共に立ち上がって挨拶をする。

 自分でも『感情がリセットされたのではないか』と言いたくなるほど、佳音の中に先ほどの黒い感情は無くなっていた。

 

 


  

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