しほ
「ねぇ、桧山さん……。」
直弥と話した時よりもわずかに低いトーンのしほに、佳音は怖気を感じつつ「はい……?」と返事をする。
「もう……黒沢君の隣にいるの、やめてもらえませんか……?」
「は……?」
「黒沢君が、あなたみたいな人を彼女にするわけない……。前の彼女は、女の子らしくて可愛かった……。」
でも、としほは佳音の格好を冷たい目で見る。
私の方が相応しい、と目で語っている。
「そ……そうですか……。」
佳音は視線を落としながら、内心『いや』と反論する。
(そもそも、あなたに諦めてもらう為に『女除け』として付き合い始めたからな……。)
しほが諦める様子は、全く見受けられない。
むしろ、佳音を格下だと見定め、敵視している。
「あなたの事は、全部知ってるから……。」
ゾッとする台詞を言い残し、しほはくるりと背を向けて行ってしまった。
数日後。
直弥の家の防音室で、佳音はどことなく沈んだ気分でピアノを弾いていた。
ショパンの『ノクターン第20番ハ短調』を弾き終わり、佳音は一つため息をつく。
(何で、こんなに暗い気持ちになるんだ……。)
しほと会った日から、ずっとだ。
『あなたみたいな人を彼女にするわけない……。』
(そんな事、言われてもな……。)
「私だって……一緒にいたい……。」
佳音は自分が零した台詞に、思わず口元を押さえる。
タイミング良く、コンコン、とドアを叩く音がして、佳音は思わず「はい」とやや高めに返事をした。
「佳音、そろそろ休憩しない?」
「ぁ……分かった……ありがとう。」
少し慌てている佳音に直弥は小首をかしげ、直弥はリビングへと戻って行った。
「なぁ……黒──直弥。」
直弥は可笑しそうに笑って、「よく頑張りました」と佳音の頭を撫でた。そのまま、佳音の斜め横のソファに腰を下ろす。佳音は紅茶を手に、気持ち良さそうに目を細める。
「あの『宮沼さん』って人と、何かあったのか……?」
直弥はぴたりて撫でる手を止め、わずかに眉間に皺を寄せる。
直弥は「……ちょっと待ってて」と、テーブルの上の携帯に手を伸ばした。
佳音に、携帯の画像を見せる。
画像は、友人達と旅行した時のものや、学校の行事で友人と映っているもの、以前の彼女とのものを何枚か見せられた。
どれも画像自体に違和感はない。
だが、最後に見た彼女とのツーショットで、女性の笑顔が引き攣っているのは何故だろう。
「宮沼とは、前のバイト先で一緒だったんだけど、忘年会の時に1人でいたから声をかけたんだよ。」
半年ほど前に働いていたパスタ屋で、直弥は接客スタッフ、しほは研修が終わりたての調理スタッフだった。
バイトは慣れたか?大変じゃないか?と聞いても、しほは曖昧に「はい……まぁ……」と笑うだけだった。
大学が同じという事を店長から聞いていた為、話を振ったが会話は続かず、妙な気まずさのまま他のスタッフに呼ばれてそちらへ行った──。
直弥の話を聞きながら、佳音は隅から隅まで彼女との遊園地の画像を見る。
「そしたら…………惚れられたみたいで……。」
「はぁ……。」
佳音は直弥に視線を移す。
この間の様子を見ると、しほには『諦める』という考えはないのだろう。
「1回、告白されたんだよ。でも、当時彼女がいて断ったんだ。」
「まぁ、彼女がいるならな……。」
当然だろう、と佳音は再び画像に視線を戻すが、どこが変なのかやはり分からない。
「すまない……どこが……?」
佳音は直弥に画像を見せ、直弥は苦々しい表情で写真の左上を拡大した。
指差された所を見て、佳音は小さく悲鳴を上げた。
しほが小さく写真に写り込み、遠く離れた所から直弥を見つめていた。
「ここにも映ってる。ここと……これも……。」
改めて画像を見たら、全てそうだった。
学校の行事なら偶然かも知れないが、友人や以前の彼女と遊びに行った時のものに映り込むなんて事が、あるのだろうか。
「『大学が同じだ』って言っちゃったから、だいぶ離れた所から見てる事もたまにあるんだよ……。偶然かも知れないけどさ……。」
ふと見れば、いる。
ただ、見ているだけで危害は加えないから、『思い込み』と言われればそれまでだ。
バイト先でしほに、自分達を見ていたかそれとなく聞いてみたが、当然の如く『気のせいでは?』と返された。
元は穏やかだった彼女に、その事を伝えれば「どうして、もっと強く言ってくれないの?」「私が確認する!」と、掴みかかりそうな勢いでしほの元に行こうとした。
最終的に「気づいたらいるしほに耐えきれない」「あなたの事は好きなんだけど、ずっと見られているのが怖い」と、別れを切り出されたという。
直弥も、今は別のカフェでバイトをしている。
「だから……男みたいな私が……。」
「うん……。本当に、申し訳ないと思ってる。でも、今は──。」
直弥は真剣な目で佳音を見る。
佳音はその視線に耐えきれず、顔を背けた。
「あの時……どうして声をかけたんだ?」
「え?」
突然話を変えられて、直弥は素っ頓狂な声を出す。
「ずっと、聞きたかったんだ。私じゃなくても、男っぽい女の子は大学にもいるだろう……。何故、通りで出会った私だったんだ?」
直弥と出会ったのは、今年の3月中旬。夜の大通りを1人で歩いている時だった。
文字通り、泣いて帰っていた。
向かい側から、直弥も1人で歩いてきていたが、涙で視界が滲み、どのような表情をしていたのかは分からない。
すれ違った瞬間、焦ったように「遊びに行きませんかっ?」と声をかけられた。
(何で?)
それが正直な感想だった。
首を横に振ろうとしたが、あの時は全てがどうでも良かった。
(こんな格好……。『女』だとは思ってないだろう……。)
「…………いいですよ。」
佳音は、ポツリと呟いた。
「──パーカーにジーンズに短髪で、『男』だとは思わなかったのか?」
佳音は訝しげに尋ねる。
「いや。……なーんか直感で『女の子』だと思った。」
直弥はあっけらかんと言う。
佳音が男装をしているのは、自分の意思だ。
だが、『女』だと見抜かれれば悲しくなるし、『女らしくない』と性別を否定されても悲しくなる。
佳音は複雑な気持ちで「そうか……」と呟いた。
「だけど、あの時……何で泣いてたんだっけ?」
「あぁ、あれは──。」
居酒屋の外で、酔って通行人に掴みかかっているサラリーマンを取り押さえた。
大通りから外れた路地なので道も狭く、佳音も他の人も通れなくなっていた。成り行きでそうするしかなかった。
「ありがとうございます……。」
怖ず怖ずと、小さく礼を言う通行人に「いえ」と優しく言ったら、サラリーマンが「お前女かぁ!?」と喚きだした。
「『女』てのは、もっと可愛げがあってな?キラキラしててな?こんな暴力振るう奴は女じゃねぇよ!暴力女!暴力女ー!」
酔った勢いで大笑いしながら「女じゃない」と言い続けるサラリーマンに、佳音は必死に涙を堪えた。
「ちなみに、暴力は振るっていない。ただ、掴みかかっていた手を背中に押さえただけだ。刑事ドラマでよく見る、逃げた容疑者を取り押さえるアレだ。」
佳音は言葉に力を込める。
自分はやりたい放題やっておいて、反撃されれば被害者面する。
(こんな面倒事に、もう関わらないはずだったのにな……。)
サラリーマンの同僚が店の中に彼を引っ張り込んだので、佳音はそのまま1人で大通りを歩いた。
直弥に声をかけられたのは、その後だ。
「『女じゃない』は酷くね……?」
直弥は、怒ったようにわずかに声を荒げる。
佳音は、諦めたような笑みで「まぁ、この見た目だしな」と左手で服をつまむ。
直弥は突然、その手を掴んだ。
佳音が驚いて直弥を見ると、直弥は熱と悲しみの混じったような目で、佳音を見つめていた。
佳音は、再び目を逸らす。
「佳音は、可愛い女の子だよ。」
「……ぁ、ありがとう……ございます……。」
直弥は、佳音の左手を掴んでいた手を、顎へと移す。
「……ぇ……?」
佳音は恥じらいながら、直弥に視線を戻す。
そのまま、軽く口付けをされた。
佳音は、顔を真っ赤にして涙目になる。
その反応に、直弥は「ふふっ」と優しく笑って頭を撫で、今度はしっかりと口付けをした。
根拠のない「見下し」をする人って、いますよね……。




