再び
「はぁ……。」
射撃の練習を終えた直弥は、ロッカーで熱い吐息を漏らした。同じく練習を終えて隣で着替えていた滝は、横目で直弥を見る。
「どうしたよ、ため息ついて。」
だがその眼差しにはわずかに、敵を見るような鋭さが籠もっていた。
直弥はそれに気づかず、締まりなく笑う。
「何でもない。」
滝は視線を前に戻すと、何事もなかったかのように「……そういえば」と話題を変えた。
「あれから、『女除けの彼女』とどうなったんだ?」
「へ?『女除け』?」
「自分で言ってたじゃねぇか。」
滝は苛立たしげに眉をひそめる。
「ぁ……あー、うん。あの子ね……。」
歯切れの悪い返事をして、直弥は再びぼんやりとする。
「どうした?」
「いや………。思った以上に……良い女で……。」
直弥は頬を赤らめ、手で口元を覆う。
それを見た滝は、思考が黒い靄で覆われる感覚に、ゆっくりと奥歯をかみしめた。
「へぇ……。」
照れ臭そうに笑う直弥に、滝は表面上つまらなそうに相槌を打つ。
あいつはやめとけ。
あんな無愛想な奴のどこが良いんだ?
前の彼女、もっと可愛かっただろ。
滝の心からは、佳音に対する貶ししか出てこなかった。
ふと、直弥は表情を曇らせる。
「なんで──男みたいな格好してるんだろ……。」
ぽつりと呟いた直弥の言葉に、滝は胸がズキリと痛んだ。
「さぁな……。」
(そんなの、こっちが聞きてぇよ……。)
思い出すのは、高校2年生のあの日。
朝のチャイムが鳴る廊下を、突然髪を切った佳音が走り去って行く姿だ。
何を「守れなかった」のか、滝には未だに分からない。
(どうすれば良かったんだ……?)
滝の後悔をよそに、直弥はゆったりと惚気続けた。
「──ん?」
佳音は自宅の郵便ポストを見て、首を傾げる。
真っ白い手紙が、届いていたのだ。
佳音は訝しげに手紙を手に取り、差出人を確認する。だが、名前は書いていなかった。
(誰からだ……?)
自宅へ戻った佳音は座椅子に座り、手紙の封を切る。手紙の字を見た瞬間、佳音は一気に血の気が引いた。
手から力が抜け、手紙がテーブルに落ちる。
『桧山佳音さん。お久しぶりです。
また男を変えたんですね。
白屋君には飽きたんですか?
家に行くほど親しかったのに。
家に行って何をしていたんです?
彼の下で気持ち良く喘いでいたんですか?
僕を裏切ってまで、そんなに他の男と親しくした
いんですね。
桧山さん。
あなたのせいで、僕も高校を退学になりました。
あなたが僕を殴ったのに。
僕は何も悪くないのに。
嘘を吐いていたのは、あなたなのに。
許さない。
許さない。
許さない──。』
「…………上原……さん……?」
見覚えのある恨みの籠もった筆圧に、佳音は震えた声で呟く。
住所がバレている。直弥の事も知られている。その事に佳音は戦慄した。
佳音は吐き気がこみ上げ、洗面所へと駆け込む。
嘔吐きが収まると、佳音はその場にへたり込んだ。
(何で、また……?)
突然崩れたささやかな平穏に、佳音は声を押し殺して泣き出した。
翌日。
しとしとと降る雨音を聞きながら、直弥は対面キッチンから、ソファに座る佳音を心配そうに見た。
佳音は、眉間に皺を寄せ目の下にクマが出来ている。格好は、いつも通りの男装だ。
直弥はアイスコーヒーを2つ持ち、1つを佳音の前にコトリと置く。佳音は小さく頭を下げた。
「どうした……?」
「別に。」
突っぱねるように言う佳音を、直弥は斜め横に座り、尚も心配そうに見つめる。
「顔ひどいぞ……?」
「元々だ。」
「ご機嫌斜めだな……。」
直弥は椅子から立ち上がり、箱菓子を持ってきた。マドレーヌを、佳音に差し出す。
「…………すまない……。」
「いいえー。」
佳音はマドレーヌを力無く受け取る。直弥はコーヒーを飲み始めたが、佳音は未だに光の宿っていない目でマドレーヌを持ったままだ。
(本当に大丈夫か──。)
ふと、佳音の薄く開いた唇や白い首筋に目がいった。
不謹慎だが、この静かな雨音を聞きながら、愁いを帯びた佳音に素肌を重ね、自分で満たし、頬を染めさせたいと、どうしようもなく思ってしまった。
じっと見つめる直弥に、佳音は居心地が悪そうに眉間の皺をさらに深くする。
「何だ──。」
言い終わらないうちに、直弥の腕が伸びてきて佳音の髪をさらりと撫でる。
佳音は目を見開き、直弥を凝視する。
「ゴミでも付いていたか?」
「えっ?」
そうきたか。
思わずそうツッコミたくなったが、直弥はぎりぎりその言葉を飲み込む。
「いやいや。この間触った時、触り心地良かったからさー。」
微笑んで言う直弥に、佳音は「……ありがとうございます」と照れながら小さく頭を下げる。
それにふわりと笑った直弥は、今度は佳音の頭をポンポンと撫でた。
佳音は、驚いたように頬を赤らめる。頭を撫でられるのがやはり気持ち良いのか、わずかに目を細めた。
だが、佳音はすぐに暗い表情に戻る。
「…………頼みが……あるんだ……。」
佳音はぽつりと呟く。
直弥は優しい笑みのまま「ん?」と聞き返す。
「……別れてくれ…………私と……。」
直弥から、途端に笑顔が消えた。
「何で?」
「……。」
真剣に尋ねる直弥に、佳音は俯き、口を引き結ぶ。
「お断りします。」
「は?」
佳音は驚いて直弥を見る。
「そんな思いつめた顔して『別れてくれ』って言われても、佳音が死ぬ未来しか想像つかないんだけど。」
「誰が死ぬか。」
「──どうした?」
直弥は頭を撫でながら、もう1度優しく尋ねる。佳音の目から、涙がこぼれた。
「…………昨日……差出人の書いていない手紙が、ポストに入ってて……。」
「うん。」
「……高校の時、しつこく手紙を寄越してきた奴と、字がよく似ているんだ……。もしかしたら、住所調べ上げて……。」
「ストーカーって事?」
「いや……。高校では、尾行されたりはしてないし……。」
「でも、住所教えてないのに手紙が来たんだろ?その時点でアウトじゃね?」
佳音は、堰を切ったように泣き出した。直弥は佳音の隣に移動し、「怖かったなー」と安心させるように頭を撫でた。
「今日はすまなかった。ありがとう……。」
玄関で靴を履いた佳音は、力無く笑った。
「本当に、帰るのか……?」
直弥は心配そうに佳音を見る。
「あぁ──大丈夫だ。お邪魔しました。」
穏やかに笑って、玄関を出ようと背を向けた佳音を、直弥は咄嗟に靴下のまま玄関に降りて後ろから抱きしめる。
このままだと、佳音が消えてしまうような気がしてならなかったのだ。
佳音は、何が起きたのか理解が出来なかったのか、数秒経ってから顔を真っ赤にする。
「っ何で……何をしているっ!?」
佳音は、直弥の腕を引き剥がそうと必死になる。
「うちに……来ないか?どうせ両親は海外にいる事が多いし、空いてる部屋あるし。防音室もあるし。」
条件良くね?と、直弥は抱きしめる腕に力を込める。
「でもっ黒沢さんにまで被害が出たら──!」
「大丈夫だって。あと、その『黒沢さん』っていうのもやめて。『直弥』で良いから。」
「でもっ私は──。」
「『惚れた女を守りたい』と思うのは、当然じゃない?」
その言葉に、佳音の動きが止まる。
「──いや。それはない。」
真顔で否定する佳音に「本人が言ってるんですけど!?」と直弥がツッコむ。
「私に、惚れる要素は何一つない。見えていたら幻覚だ。黒沢さんには、もっと可愛らしくて女性らしい人の方が──。」
「キスしたら、信じてくれる?」
「は?」
「ただ──俺が止められる自信が無い。」
直弥本人も、今までこんな真剣な声で囁いた事は無かった。佳音の息を呑む音が聞こえる。
「……引き止めてごめんね。」
直弥は、いつもの調子で明るく言うと佳音から離れ、悲しそうに笑った。
「また、いつでも来てよ。」
だが、佳音はその場から動かない。直弥は首を傾げる。
「どうした?」
佳音はゆっくりと振り返り、上目遣いで覗うように直弥を見た。
その目を見た瞬間、直弥は思わず呼吸を忘れる。
「…………お邪魔しました……。」
佳音はドアノブに手を掛け、ゆっくりと玄関を出て行く。
「……うん……。」
「…………ありがとう。」
5年越しの、しつこい奴が現れました。
吹雪の家から、後をつけていたのも彼です。




