気付きたくない感情
「やってしまった……。」
佳音は布団の中で携帯の画面を見つめる。
滝からの電話を、再び無視してしまった。正確には、食事中だったので後でかけ直そうと思い、そのまま忘れてしまったのだ。
障子越しに、空が明るみはじめているのがわかる。
(さすがに朝5時に電話したらまずいな。今から歩いて帰ればいつもの登校時間に間に合うか。でも、これだけお世話になってて礼も言わずに帰るのは……。)
佳音は顎に手を当てる。
(『遅刻するから先に行ってて』ってSNSで連絡を入れといて、ちゃんと礼を言って、自宅に帰ろう。そのほうがバスもあるし。)
考えがまとまったところで、佳音はトイレに立つ。和室に戻る時、2階から降りてきたみつきと鉢合わせた。
「おはよう。大丈夫?」
みつきはまだ眠たげな目で笑った。
「おはようございます。もう大丈夫です。」
佳音も笑顔で返す。
「一応、熱測ってみましょうか。」
みつきはそう言ってトイレに向かう。
佳音は布団の上に正座して、体温計を脇に挟んだ。案外、音はすぐに鳴った。
みつきが和室に入ってきて、布団のそばで膝をつく。
「どうだった?」
「37度2分です。」
「微熱ね……。今日1日、うちで休んでいったら?」
佳音は急いで首を横に振る。
「いえ、申し訳ないです。」
「構わないわよ。無理して、ぶり返しても困るでしょ?」
佳音は押し黙る。
(もし学校に行ったとする。ぶり返したとしてもクラスは違うから帰りのHRまで滝にばれる心配はないだろう。だけどその後はどうだ?微熱だけど学校来たこと勘づかれたら何言われるか……。)
「意外と洞察力高いからなぁ……。」
思わず心の声がもれてしまった。みつきがキョトンとした表情で佳音を見ている。
「あ、すいません。こっちの話です。」
佳音は慌てて手を横に振る。
「じゃあ、すいません。お言葉に甘えて……。」
みつきは優しく笑う。
「少し、無理してるんじゃない?ちょくちょく家に遊びに来てるのに、未だに他人行儀な堅苦しさがあるもの。もう少し甘えても良いと思うわよ。」
今度は佳音がキョトンとする。そのあとに少し悲しそうに苦笑した。
「十分、甘えてますよ。」
みつきも同じように笑って、腰を上げる。
「お粥で良いかしら?今からご飯炊くから、大体1時間くらいかかっちゃうけど。」
「はい。」
「お腹空いたなら、果物とか昨日の残り物あるから持ってきましょうか?」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。」
和室を出て行くみつきを見送り、佳音は布団に潜り込んだ。
『すまん。今日は学校休む。』
SNSの文面にそれだけ打ち込み、滝へと送信する。
少しだけ綻んだ表情で携帯を枕元に置いた。
(『もう少し甘えても良い』か……。)
そんなこと言われたのは初めてだった。心にじんわりとした暖かさが広がる。
(ありがとうございます。)
佳音は心の中でもう1度礼を言うと、朝食までもう1眠りした。
「……は?」
6時過ぎに起床した滝は、朝1番に届いているメッセージを見て顔をしかめた。
「っお前、結局どこにいんだよ!」
荒げた声が室内に響き渡る。
つい出てしまった大声に、慌てて口を手で押さえた。
『他校の友人が空手をやっているらしいよ。』
ふと、昨夜の秀一郎の台詞を思い出す。
(もしかして、その友人の家か?だとすれば良いけど。……つーか、友人って、男?女?)
疑問と同時に、黒い靄がかかったような感覚を覚える。
(どっちでも良いか。今日は自由にできるってことだし。俺には関係ないし。)
滝は疑問を追い出すように乱暴に頭を振り、部屋を出た。
「おはよう、滝。珍しいね1人なんて。佳音は?」
校内の自販機でジュースを買っていると、幼馴染みで親友の白屋吹雪が声をかけてきた。佳音を探しているのか、辺りを見まわしている。
「おはよ。『今日は休む』ってよ。風邪引いたんじゃねぇの?」
(色白で細身な吹雪の方が病弱に見えるけどな。細いフレームの眼鏡が尚更……。)
そう思いはするものの、口に出したら剣道3段のこの男に一瞬で面を打たれかねない。
「なるほど。それで機嫌悪いんだ、滝。」
吹雪はからかうように笑って滝を指さす。つられて滝も自身を指さした。
「俺?」
「そう、君。いつもより少し口調きついもん。」
「きつくない。」
「きついよ。」
「きつくねぇっつの。何か奢ってやるからそれで納得しろ。」
「本当?やったー。じゃあ、そういうことにしておくよ。」
吹雪は輝いた目で「これ」とカフェラテを指さす。
小銭を入れながら、隣にいる吹雪の子供っぽさに表情が緩んだ。
(本当、素直な子供がそのまま大きくなったみたいだよな。こいつは。佳音みたいにいじけて何も言わないガキに明るさを少し分けてやりたいくらいだ。)
「ほらよ。」
「わーありがとう。」
滝は吹雪にカフェラテを手渡す。
教室までの道すがら、滝は吹雪にある疑問をぶつけた。
「なぁ、佳音が空手やってたのって、お前知ってたか?」
吹雪は小さく驚く。
「えっ知らなかったの?だいぶ前の話だよ。確か、中2の秋……ぐらい?」
「昨日知った……。」
吹雪は乾いた笑いをする。
(毎日一緒にいるのに、自分だけ知らないっていうのはねー。まぁ報告する義務があるわけじゃないけど。けど佳音も……。)
「んー、言い出し辛かったんじゃない?やっぱり女の子だから。」
滝は頭に疑問符を浮かべる。
「空手やるのに性別関係ねぇだろ。」
「そうだね-。」
吹雪は笑顔を貼り付けたまま棒読みで返す。
「ちなみに、さ…………。」
滝は口ごもる。吹雪は滝の滅多にない態度に目を見開いて次の言葉を待つ。
「佳音の通ってる道場の友達って、どんな奴か知ってる……か?」
滝は視線を落として、弱々しい声音で尋ねてくる(というより最後の方はほとんど聞きとれない)。
吹雪は「可愛い」と笑いたくなる衝動を抑えて「あぁ」と笑顔で相槌を打った。
「確か、高村さんって言ったかな。南高の子だって言ってたよ。」
若干声が震えた吹雪を、滝はじろりと見る。吹雪は「ごめん」と顔の前で片手を立てる。
「あー……そうか。」
滝は歯切れの悪い返事をする。吹雪は、自分のちょっとした意地の悪さを感じながら、尚もにやつく。
(『安心して。高村さんは女の子だから』って言った方が良いんだろうけど、やきもきしてる滝なんて中々見れないし、面白いから黙っとこう。)
「まぁ、大丈夫だよ。」
吹雪の台詞を聞いて、滝は眉をひそめる。
「何が?」
「それより、数学のプリント答え合わせさせて?」
「いや、だから大丈夫って……。」
「プリント!」
吹雪は駄々をこねたように少し声を張って、滝の言葉を遮る。
「わかったよ……。」
滝は呆れたように溜息をつき、教室のドアを開ける。
「おっはよー滝!プリント見せて!」
開けるなり友人の犬塚和樹が笑顔で駆け寄ってきた。待ってましたと言わんばかりに、手に持った数学のプリントとシャープペンシルを見せびらかしている。
(主人の帰りを待ってたラブラドールレトリバーみたい……。)
失礼とは思っているけれど、色白で背の高い(しかもアイドル並みに黒目が大きい)男子が元気よく小走りで寄ってくる様は、吹雪から見るとそれを彷彿とさせた。
「お前も答え合わせか?」
「いや、昨日持って帰るの忘れた。」
「馬鹿」
軽く舌を出す和樹に、滝は鋭い声音で呟く。
滝の珍しい悪態に和樹は目を丸くする。
(黒の短髪だから黒いラブかな、色白だから白いラブかな。)
まだそんなことを考えている吹雪を捕まえ、和樹は小声で問いかける。
「何かあった?あいつ。」
吹雪は和樹に苦笑し、「ちょっとね」と答える。
「今日1日あんな感じだと思うから。でも気にしないで。」
「いや気になるだろ。そういや、桧山さんて……。」
「ほら、プリント。」
滝は窓際の自分の席に鞄を置くとプリントを引っ張り出して、腕だけ和樹へ向けた。和樹は駆け寄って「サンキュー!」とプリントを受け取る。
「3時間目までには返してくれよ。」
「おう!」
和樹はそのまま自分の席へ戻ってプリントを写し始める。
吹雪は和樹が何を言おうとしたのか気になったが、今尋ねて集中力を削ぐのも悪い気がした。
(後でいいか。答え合わせも1時間目終わってから見せてもらおう。)
吹雪は最後列の真ん中の席から、滝の後ろ姿をちらりと見る。頬杖をついてぼんやりと外を見ていた。
無駄に天気が良い──。
佳音はバス停からマンションまでの道のりを空を睨みつけながら歩いていた。
遠慮なく照りつける午後の日差しに、気遣いというものを教えてやりたい。
(何なんだよ。私が体調悪いときは必ず晴れやがって……!)
佳音は空に嘲笑われているような気分になり、苛立たしげに溜息をつく。自分の住んでいるマンションが視界に入ったことで、目線を空から地面に落とした。
(1人暮らし、したいな……。)
佳音は歩きながら漠然と思う。昨日、夏希の背中越しに見た玄関風景と夏希の元気な「ただいま」を思い出す。
(私も1度でいいから夏希みたいに言ってみたい。それか、返事がなくてもいいから遠慮なくドアを開けれるところに住みたい。)
ふと、毎朝マンションのエントランスで待つ滝の姿を思い出した。視界のすみに入った、同じ位置に立つ人影に肩を跳ね上げる。
(なんだ、サラリーマンか……。)
30代くらいの男性が、携帯をいじっている。佳音はそれを毎朝の滝と重ね合わせる。
(そういや、あいつも待ってるとき携帯いじってるな。なにやってるんだろ。携帯ゲーム?SNS?)
子供のころから、滝がゲームをしているところを見たことがない。空手の稽古か、佳音と吹雪の道場に遊びに行くか。
試しに、友人と携帯ゲームをしている姿を想像してみる。ゲームをしていて、笑い合って……。そこまで想像して、佳音は頭を勢いよく横に振る。男性がびっくりした表情でこちらを見る。佳音は気まずそうに笑って、エレベーターに駆け込んだ。15階を押して、閉じるボタンを連打する。
(分かってるんだよ……。)
エレベーターのドアが閉まり、動き出す。それを確認してから、佳音は壁に寄りかかって天井を見上げた。
(あの笑顔が私に向けられないことは、ずっと前から分かってる。無口な女のお守りより、友達と遊んでた方が断然良いに決まってるからな。)
エレベーターのドアが開く。拒否反応で、歩くスピードが急激に落ちる。
(あいつ人気あるから、私がいなけれは今頃恋人とか出来て、部活とかやって……。)
『恋人』という言葉に佳音は足を止める。自分の想像したことに息が出来なくなって、目頭が熱くなる。
思い出したように歩を進めると、佳音はそろりと自宅に入る。もはや癖になってしまっている。玄関に靴は1足もない。
「そうだ、まだ昼だった。」
佳音は薄暗い玄関で、少しだけ声を大きくして「ただいま」と言ってみる。
返事はあるはずないが、なんとなくすがすがしい気分になった。
靴箱にたてかけたビニール傘を確認する。傘はまだあった。佳音はそれをもって足音もなく自室へ入る。
昨日と同じようにドアに背を預けて座り込むと、傘を両手で抱きしめ、安心したように目を瞑った。
「来週、世界史の小テストやるからね。あと最近、この辺りで露出狂が目撃されているから、皆気をつけてよ。」
担任の中西梢はおっとりとした、しかし心配そうな声で言った。
(時期だなぁ……。)
滝は頭の隅でぼんやりと思った。
日直の号令に合わせて全員立ち、軽く頭を下げる。
放課後になった途端元気になる奴らを視界の隅で捉えながら、ゆっくりと帰り支度をする。
「滝、これからどうする?」
リュックを背負った吹雪が斜め後ろから声をかけてきた。
「ん-、どうすっかな……。」
滝は背もたれに体重をかける。
滅多にない放課後の自由な時間だが、いざ聞かれると何をしたらいいのかわからない。
先程の梢の言葉を思い出す。
「来週小テストあるんなら……。」
「真面目すぎでしょ。というか、滝の頭なら勉強しなくてもいける気がする。」
茶化した笑いを浮かべる吹雪に、滝は「無理だ」と即答する。
「暇なら、どこか食べに行かない?あと、ちょっと買い物付き合ってよ。」
「おう。」
滝は椅子から腰を上げる。
(買い物か。そういや佳音って……。)
椅子から立ち上がったままの滝を、吹雪は不思議そうに見つめる。
「滝-?行かないの?」
はっと意識を現実に引き戻した滝は「悪い悪い」と吹雪の後をついていった。
「それにしても、またこの季節になったねぇ。」
大型ショッピングモールのカフェでアイスコーヒー(吹雪は期間限定のフラペチーノ)を飲んでいたら、向かい側に座る吹雪がおもむろに口を開いた。
「何の?」
滝は『似たような返しを今朝もした気がする』と、頭の隅でぼんやり思いながら吹雪を見る。
「露出狂。毎年恒例だよね。」
「あぁ。先生が言ってたやつか。毎年言われてるけど、見たことがないな。」
滝は「どうでもいいけど」と軽く笑う。ふと、先程吹雪が買った和小物の雑貨屋の袋に目をやる。が、すぐに視線を戻した。
「近くに女子高あるし、そっちに出ることが多いんじゃない?」
「あぁ、そうかもな。」
再び黒い靄がかかるような感覚に眉をひそめ、滝はぶっきらぼうに答えた。
吹雪は茶化したような笑みを浮かべている。
「何だ?」
「いや……。滝はさ──。」
「よっ。2人とも。珍しいじゃんこんなところで。」
カフェラテを持った和樹が吹雪の頭を後ろから小突いてきた。隣には同じくカフェラテを手にし、セーラー服を着た大人しそうな小柄の女性が立っている。
「あ、和樹、3時間ぶりー。可愛い子だね。彼女?」
吹雪は後ろを振り返り、明るい笑みを浮かべた。
(南高の制服……。)
滝もぼんやりと2人を見る。
和樹は照れたように「そう」と頷くと、彼女を見る。
「今日でちょうど4年なんだ。な、由香里。」
「うん。あ、細由香里です。初めまして。」
由香里は微笑みながら会釈をした。くせのない墨色の髪がさらりと前に流れる。
(何だ、何か思い出しそう…………………あ?)
滝は今朝、吹雪と会ったときの光景を思い出す。
「初めまして。白屋吹雪です。それで彼が、…………滝?おーい?」
朗らかに自己紹介をして滝を見ると、滝は由香里をまばたきもせず見つめている。
「…………あ、九条滝です。そういや吹雪、今朝の『大丈夫』がどういう意味かまだ聞いてねぇんだけど。」
滝は視線だけを吹雪に寄越す。
「あっそうだ和樹。俺も今朝和樹が何て言おうとしたのか聞いてなかったね!」
吹雪は慌てて質問を和樹にぶつける。
「質問してんの俺だろうが。」
「えっ俺何て言ったっけ……。あぁ、桧山さんて夏希んとこの道場に通ってんの?」
「そうなの?」
由香里は小さく驚く。
「知り合いなのか?」
滝は由香里に視線を戻す。
「同じクラスで、中学時代からの友達なんです。夏希のお父さんが空手の師範で、彼女も黒帯なんですよ。」
「彼女?」
滝は思わず聞き返す。
「しかも好戦的で、やってるのがフルコンタクト空手だもんな。桧山さん骨折れるんじゃねぇかって心配になるよ。」
和樹は乾いた笑いをする。
「あ……高村さんって、女?」
滝は間抜けな声を出す。
「そうだよ。知らなかったのかよ。お前、桧山さんといっつも一緒じゃん。」
「悪いな、一緒にいるからって全部知ってるわけじゃねぇんだよ。」
今朝と同じ、鋭い口調で言う滝に和樹は「すいません」と小さく謝った。
それを見て苦笑していた由香里は、不意に携帯を取り出す。画面を確認すると和樹を見上げた。
「ねぇ、そろそろ時間……。」
「あ、まじか。じゃあ、俺達行くわ。また明日な-。」
「明日土曜日だけどね。ばいばーい。」
「あっ間違えた。月曜日な!」
にこやかに指摘をして、吹雪は手を振った。滝もストローを咥えたまま手を振る。
「……で?」
「え?」
滝はドスのきいた声で吹雪に問いかける。
「なんとなく察しはついたけど、答え合わせしたい。今朝の『大丈夫』は、どういう意味だ?」
「えー……察しついてるんなら言わなくて良いじゃん。ただ、高村さんは女性だから取られる心配ないよって意味で言ったのであって……。」
滝は大きく舌打ちをする。
「前にも言ったが俺は、佳音のことは好きでもなんでもない。むしろ、あんな奴のお守りをしなきゃなんねぇんだから、鬱陶しいんだよ。」
滝の眉間には不愉快だと言わんばかりに、深い皺が寄せられている。ふいに左肘の傷が目に入る。
「…………あいつがいなけりゃ、こんな怪我もしなかったのに。」
腕まくりをした白いYシャツから、5㎝程の切り傷が見える。
「あの時はご愁傷様。」
吹雪は悲しそうに笑う。
「あの事件、確か中2の夏祭りだったよね。あ、佳音が空手始めたのその後だから、もしかしてそれがきっかけだったのかな。」
「知るか。そろそろ俺達も行こうぜ。」
「そうだね。」
段々と人が増えてきた館内を見て、2人は席を立つ。
(俺は佳音を友達としか見れないから、佳音が誰と付き合って──極端な話、誰と結婚して子供が産まれても──『おめでとう』って言ってあげたい。でも君は、口では『鬱陶しい』って言ってても佳音がいないだけでここまで不機嫌になるし、佳音の友達が男か女かわかんなかったらずっと気にしてるでしょ。)
空になったフラペチーノの容器を指で遊ばせながら吹雪はすれ違うカップルを眺める。
先程、夏希の性別を知った滝の反応を思い出す。
(あんなに安堵した表情して。もし男だったらどうするのさ。)
吹雪はゴミ箱に容器を捨て、雑貨屋の袋を自分の胸の高さまで持ち上げる。
「ねぇ、滝は佳音の誕生日に何かあげないの?」
滝は横目で吹雪を見る。
「なんでやらねぇといけねぇんだよ。……つーか、お前何買ったんだ?」
「気になる?」
吹雪はにやりと笑う。
「お前の趣味がおかしいから聞いてんだ。」
滝はげんなりとした表情で吹雪の持つ袋を見る。
「えー、メロンカレー美味しかったのに。あ、ちなみにこれは醤油だよ。甘めに作られてるから、バニラアイスにかけて食べるとみたらし団子みたいな味するんだって。」
「お前、あいつのこと実験台にしてないか?」
楽しそうに話す吹雪に、滝は深いため息をつく。
「失礼な。だいぶ前に俺も買ったよ。バニラアイスにかけて食べてみたけど、見事にアイスと醤油の味だった。」
「結果分かってて買ったのか。」
「他の人の意見も聞いてみたくて。」
吹雪はからからと笑う。
「……まぁ、良いんじゃねぇの。」
佳音もたまに変わったものを買ってくる。案外気に入るかもしれない。
気の抜けた笑いを返していると、左側のアクセサリーショップが目に入った。綺麗に着飾った店員と、流行のファッションに身を包んだ女子2人がいる。
(あいつは、着飾るのは柄じゃねぇな。ふらふらといなくなるから、アクセサリーより先に迷子札の方が必要か。何だっけ。あの首輪みたいなやつ……。)
「佳音って、なんかチョーカー似合いそうだよね。」
「あ、それだ。」
「何が?」
吹雪は疑問符を浮かべる。
「いや、多分お前と同じこと考えてた。」
「俺は、派手なものよりシックなものの方が佳音は似合いそうだなって思ったんだけど……。」
「あー、そうだな。その『チョーカー』が今出てこなくってさ。」
焦ったように笑う滝に、吹雪は気にとめていないような表情で「ふーん」と相槌をうった。
「きゃああああっ!!」
女性の甲高い悲鳴が響き渡る。
すっかりと夜の帳に包まれ、砂利の敷かれただだっ広い駐車場に女子高生と中年男性が密着していた。──否、男性が後ろから女子高生の胸を鷲摑んでいたのだ。
女子高生──矢倉ほのかは、男性の腕から抜け出そうと必死にもがく。
「やめてっ離してくださいっ!」
体を震わせ、泣きそうになりながら叫ぶ。
聞こえるのは、遠くを走る車の音、男性の荒い息、そして──。
「うっわ。本当にいるんだな。こういうの。」
真後ろから聞こえた声に、男性は勢いよく振り返ろうとする。滝は男性の腕をひねり上げ、そのまま地面に押さえつけた。
「わー格好いい。」
それを吹雪は拍手をしながら笑って見ている。
「お前がいきなり110番しだして『あいつ押さえてて』とか背中押すからだろ!こっちは状況わかってねぇっつーの!ナイフ持ってたらどうすんだよ!」
「ごめんごめん。でもきっと大丈夫だよ。その人は凶器持ってない。俺がそういう直感外さないの、知ってるでしょ。」
吹雪は自分のこめかみを指で軽く叩く。
ほのかは状況が理解出来てないようで、呆然と滝と男性を見下ろしている。
吹雪はほのかに近寄り、「大丈夫?」と声をかけた。
弾かれたように吹雪を見たほのかは、そのまま3人に背を向け走って行ってしまった。
パトカーが到着し、男性が逮捕され、警察官である吹雪の父親から説教されたのは、その数分後のことである。