告白
朝、学校へと向かっていたほのかは、歩きながら熱っぽい息を吐き出した。
ふと視線を上げると、校門で滝と鉢合わせる。
「あっ……。」
小さく聞こえた声の方向を振り向き、滝も同じく言葉を詰まらせた。
「お……おはよう……。」
「あぁ…………おはよ。」
2人は照れ臭そうに頬を染めながら、並んで校舎へと入っていく。いつものような、会話は無い。
滝が教室に入ると、先程の光景を見ていたのか、和樹が興味深げに近づいてきた。
「おっはよう滝!何?矢倉さんと並んで歩いて!まるで彼女みたいじゃん!」
羨ましい!とからかう和樹に、滝は「そうだけど」と平然と返した。
和樹は笑顔のまま固まる。
「…………え?」
「だから、彼女だけど。」
「……ん?」
「しつけぇな。何回同じ事言わせるんだ──。」
「いやいや待って。え?お前、桧山さんは?ずっと一緒にいたじゃん。」
少し苛立った滝に、和樹は額を押さえつつ片手の平を見せて制止する。
「ただの幼馴染みだ。それ以上の関係はねぇよ。」
出来ればそれ『以下』の関係になりたかった、と滝はごちるが、頭の中がこんがらがっている和樹に滝の台詞は聞こえていない。
「『ただの幼馴染み』って、あんな毎日一緒にいるもんだっけ?」
「さぁな。多分違うだろ。」
滝は素っ気なく返しながら席の中に教科書をしまう。
登校してきた吹雪は、そのやり取りを自分の席から黙って見ていた。
「付き合う、事になった?」
昼休み、向かい合わせで弁当を食べていた花は、ほのかの言葉を半ば片言のように繰り返した。
ほのかにいつもの笑顔はなく、頬を染めて俯いているだけだ。
「九条君と?」
分かりきった事なのに、花はつい確認してしまう。ほのかは小さく頷いた。
滝とほのかが付き合いだした事は、2組ではすっかり広まっている。花も、それはちらりと耳に入っていた。
「そっか。おめでとう。」
花は優しく微笑む。
だが、ほのかは小さく「ありがとう」と呟いただけで、続く言葉はなかった。
珍しく何も話さないほのかを、花は心配そうに見る。
「どうしたの?」
「…………うん……。」
何か引っかかっているのか、ほのかは生返事しかしない。
「……もしかして、桧山さんの事?」
言い当てられたらしく、ほのかはびくりと肩を跳ね上げる。
佳音の事は花も気にかけていた。だが、花は静かにため息をつく。
「仕方……ないんじゃないかな。九条君が選んだのはほのかなんだし。いくら幼馴染みで今まで一緒にいたからって、それが必ず恋愛に発展するわけじゃ──。」
「そうじゃないの。」
ほのかは花の台詞を遮る。
「やっぱり…………それも、あるけど……。」
「『そうじゃない』って?」
段々と声が小さくなっていったほのかに、花はたたみかける。尋ねない方が良いと分かってはいるが、どうしても好奇心に勝てなかった。
「…………うん……。」
ほのかは、先程よりも声音を落としてそれだけ言った。
一瞬ほのかの脳裏を、佳音の穏やかな笑みが過ぎる。
「何でもない……。」
それ以降、ほのかは口を開かず黙々と箸を進めた。
花の頭の中には疑問しか残らなかったが、もう少し時間が経ってからでも良いだろう、と花も追及する事はなかった。
一方、滝は目を輝かせた和樹に質問攻めに遭っていた。他のクラスメイト達も、好奇の目でこちらを見ている。
「なぁ、どっちから告白したんだ?てか、いつから好きになってたんだよ?」
「うるせぇ黙れ。」
いい加減うんざりしてきた滝は、片手で額を押さえ、ペットボトルを握り潰しそうになっていた。
いつも通り一緒に昼食を摂っていた吹雪は、紙パックのジュースを飲みながら、黙って2人のやり取りを見ている。
「吹雪、知ってたのか?」
「え?」
突然話を振られた吹雪は、ストローから口を離す。
「滝と矢倉さんが付き合ってた事!もしかして知ってたんじゃないのか!?」
和樹は、「水臭い」とでも言いたげに吹雪を見る。
「うーん……まぁ、知ってたよ。」
吹雪のはぐらかすような反応に、和樹は眉をひそめる。
「何だよ、その曖昧なリアクション。」
吹雪はいつも通りの飄々とした笑顔で「えー?だって」と続けた。
「言って良いのか良くないのか、分かんなかったし。」
吹雪は、面倒臭そうに頬杖をついている滝へ視線を移す。目が合った瞬間、滝の眉間にわずかに皺が寄った。久しく向けられる事のなかった、警戒している目だ。
(『もうその気はない』って、言ったのに。)
吹雪は再び、何事もなかったかのようにジュースを飲み出す。
滝とほのかが付き合う事になった。
数日前、吹雪にその事を話したのは佳音だった。
滅多に電話を寄越さない相手からの着信に、吹雪は物珍しげに表示されたフルネームを見つめてしまった。
「もしもし?」
『…………私だが……。』
「分かってるよ。ちゃんと名前出るから。」
おずおずと名乗り出す佳音に、吹雪はいつもの調子で苦笑する。
「どうしたの?珍しいね。」
吹雪は優しい声音で、用件を尋ねる。
『……今、話しても大丈夫か?』
「うん、大丈夫だよ。何か、いつもよりテンション低そうだから、個人的にはそっちの方が心配なんだけど。」
吹雪の台詞に『あー……』と佳音は言葉を濁す。
『大丈…………どうだろうな。』
「じゃなきゃ電話なんてかけてこないでしょ?」
吹雪は、ふふ、と笑う。
「で、何があったの?」
吹雪は再び用件を促す。
『……どうでも良い事かも知れないが……。』
「ん?」
数秒の間を置いて、佳音は絞り出すように言った。
『──滝と、矢倉さんが付き合う事になった。』
吹雪は表情を固める。
『さっき……矢倉さんから、連絡があって。……泣きながら、謝られた。』
吹雪は神妙な面持ちになり、「そう」とだけ呟いた。
『っすまない!こんな事で電話して!』
「良いよ、気にしなくて。それより、君は大丈夫?」
『は?』
佳音は素っ頓狂な声を出す。
「言い方悪いけど、佳音って、何かすぐ崩れそうだから。明日から学校来れる?ちゃんと生きてる?」
『失恋程度で死にそうだって言いたいのか!』
どいつもこいつも!と付け足していたため、誰かに先に言われたらしい。
「じゃあ、明日学校で。」
『っ……あぁ。』
いつもの調子に戻った佳音は、プツリと電話を切る。
吹雪は携帯の画面に指を滑らせ、どこかに電話をかけはじめた。
『もしもし?』
「あ、滝?今時間ある?」
『あるけど……どうした?』
吹雪からの電話を、滝は珍しがる。
佳音同様、吹雪が誰かに電話をかけるのも滅多にないのだ。
「ちょっと小耳に挟んだ事があって。──滝、ほのかちゃんと付き合う事になったの?」
『何で知ってんだ。』
滝の声音が一気に低まる。だが、吹雪はものともしない。
「いやー今しがた俺も聞いたんだよ。」
滝は情報の伝わる早さに『気持ち悪ぃ』と舌打ちをした。
『……まぁ、そうだな。』
「おめでとう。」
『どうも。……話はそれだけか?』
「いやーこういうのって、経緯とか知りたくならない?」
『女子か。お前、そういうのに興味あったか?』
「良いじゃん別に。ねぇ、どっちから告白したの?」
『どっちからって……。』
面倒臭そうに滝はため息をつく。
『どっちだ?』
「え?」
『いや、何か口ごもってたからこっちから言った、みたいな──。』
滝の話だと、昨日の放課後、滝はほのかに誘われ一緒にゲームセンターへ行ったらしい。好きなアニメのぬいぐるみが置いてあり、それが欲しいのだという。
滝の記憶が正しければ、今回ぬいぐるみになった漫画の敵キャラクターは、確かにウサギやクマ、2等身の人形など可愛い出で立ちだが、人類を滅亡させようとしたえげつない強さの持ち主だったはずだ。
(ぬいぐるみが、血飛沫浴びて肉弾戦やってた気がする。)
バスでほのかの隣に立ちながら、滝はぼんやりと思い出す。
ほのかはずっと携帯をいじっていたが、やがて「あった!」と弾んだ声で滝を見上げた。
「これ!このキャラクターが欲しいの!」
ほのかは滝へ画面を向ける。滝の記憶通りだった。
ほのかが欲しいと言っているぬいぐるみは、主人公の親友を殺した因縁深いキャラクターだ。
2等身で目が大きくて、犬の被り物らしき帽子は、垂れた耳が地面につきそうな程長い。確かに可愛いらしい人形だ。だが、眼が赤く、ギザギザの歯を見せてにっこりと笑っている所から狂気が滲み出ている。
「へぇ……良いな。」
「可愛いでしょ!」
見た目は清純な少女なのに、好みはアクション系というほのかのギャップに、滝は時々複雑な心境になる。
(まぁ、楽しそうだから良いか。)
尚も他の画像を見せて笑顔で説明しているほのかを、滝は微笑ましく思いながら相槌を打った。
大通りのゲームセンターに着き、クレーンゲームと格闘する事1時間近く──。
「ありがとう!滝君!」
クレーンゲームの前で、ほのかは目当てのぬいぐるみを抱きしめながら満面の笑みで礼を言った。
「どういたしまして。」
結局、ぬいぐるみを獲ったのは滝だった。
ほのかは「自力で獲る」と意気込み、滝の申し出も何度か断っていた。ほのかの入れ込みようを見た店員が、ぬいぐるみが落ちやすいように数回動かしてくれたのだが、小遣いが底をつきそうになり、最終的に滝に代わってもらった。
「わぁー可愛いっ!!」
袋に入れてもらったぬいぐるみを、ほのかはさらに強く抱きしめる。
(それはお前の方だろうが。)
思わず口から出そうになった台詞を、寸での所で堪えた。
「──用事はこれで済んだか?門限あるんだし、そろそろ帰んねぇとな。」
「えっ!!」
ほのかの焦ったような声音に、滝は首をかしげる。
「どうした?」
「い、いや…………あの…………っお姉ちゃんのお店に寄ってくんだけど、滝君もどう!?」
「何で、『思い切って秘密を暴露した』みたいな言い方なんだ。今更、赤くなって言う事じゃねぇだろ。」
大袈裟だな、と滝は軽く笑う。
「そうだな。じゃあ、行くか。」
滝の返答に、ほのかは赤面したまま「うん!」と大きく2・3度頷く。あまりのオーバーリアクションに、大丈夫だろうか、と滝は少し心配になった。
あと5分も歩けばcasinaに着く。
ゲームセンターを出てからずっと挙動不審なほのかを、滝は気にかけながら隣を歩いていた。
ふと、滝は何かに気づいたように立ち止まり空を見上げる。
「夕立か……。」
どうやら雨粒が落ちてきたらしく、滝はそう呟いた。
雨はすぐに降り出し、2人は近くのカラオケ店の前で雨宿りをする。
視線を感じて滝がほのかを見ると、ほのかは惚けたような表情で滝の髪に手を伸ばしていた。
滝がほのかに振り向いた事で、ほのかは硬直する。
「あっごめっ…………ただっその、髪質柔らかそうだな、て思って、ついっ……!変な意味じゃなくて……!」
「いや、分かってるって。」
顔から日が出そうな程真っ赤になっているほのかに、滝は「落ち着け」と冷静に言う。
ほのかは手を胸の前に下ろしたが、尚も惚けた表情で滝を見ていた。やがて、熱を帯びた声で「滝君」と呟く。
「あの…………私……私ね…………滝君が──。」
「好きだよ。」
「…………え?」
俯いて目を泳がせていたほのかは、滝の台詞に再び硬直する。
「俺は、矢倉が好きだ。」
窺うように視線を上げるほのかと目が合うと、滝は照れ臭そうに顔を背けた。
ほのかは、泣きながら嬉しそうに笑っていた。
滝の話を聞いた吹雪は、乾いた笑みを浮かべる。
「あー……さすが、はっきりしてるね。」
普通、そう簡単に口に出せない言葉であるはずなのだが、滝の性格を考えると、言えずに引っ張る方が嫌なのだろう。
「君のそういう所、羨ましいよ。」
『うるせぇ。』
照れ隠しなのか癪に障ったのか、滝は間髪入れずに悪態を吐く。
『……何か、タイミング逃すなって、圧力かけられてる気がして……。』
「え?」
『何でもねぇ。』
滝はため息をつく。
ほのかが胸に抱いたぬいぐるみが、狂気的な笑顔で滝を見つめ無邪気な圧力をかけている気がした。
そんな、らしくない事を滝が考えているなど、吹雪は夢にも思っていない。
「いや、本当に羨ましいと思ってるんだよ?──今は、もうそんな気ないんだけどさ。」
『何の話だ?』
吹雪の中でだけ繋がっている話に、滝の声は怪訝そうだ。あーごめんごめん、と吹雪は軽く謝る。
吹雪は懐かしそうに目を細めた。
「初恋の話かな──俺の。」
なんか、思った以上に長くなってしまった……。
それと、皆さんも、風邪などお気をつけください。