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 今日の天気予報は『曇りのち雨』。だが授業が終わった午後4時を過ぎても、曇ってはいるが雨が降りそうな気配はない。明るい灰色の雲が空を覆っている。

 ファミリーレストランの窓際の席から頬杖をついて外を見ている佳音に、ほのかは気まずそうに紅茶のティーカップをいじりながら問いかけた。

「……ねぇ、佳音ちゃん。『引っ越した』って本当なの?」

 佳音が頬杖から顔を上げ、ゆっくりとほのかへ顔を向ける。

「あぁ。……誰から聞いた?」

 佳音の返事は素っ気ないが、目では明らかにいぶかしんでいる。

「滝君から。何か……怒ってたよ?『急に引っ越すとかぬかした』って。」

 ほのかは悲しそうに目を伏せる。

「あれだけ一緒にいたのに、どうして何も言わないで勝手に決めちゃったの?」

 ほのかの視線と口調に力がこもる。佳音は未だに訝しんだような目で、それを受け止めた。

 しばらくの沈黙。その間、佳音は推し量るようにほのかを見たり、考えこんだりしている。ふと、佳音の唇が微かに動く。ほのかはそれが聞き取れず、「え?」と耳を傾けた。

「約束……できるか?滝の耳に、絶対入れないって。」

 佳音は不安げにテーブルに視線を落とした。ほのかは真剣な表情で頷く。それを見て佳音は、わずかに肩から力を抜いた。

「帰れる場所が、欲しかったんだ。気兼ねなく、帰れる場所が……。」

「え?佳音ちゃん、家に帰ってなかったの?」

「いや、一応帰ってはいたんだが──。」

 言い淀む佳音に、ほのかは首を傾げる。

「…………嫌になったんだ。いい加減。」

 自嘲的な笑みを浮かべ、佳音はそう呟く。

「女性と遊ぶ為に、娘の存在を消したいらしい。」

 佳音の口から出た台詞に、ほのかは絶句した。

「試しに『一人暮らししたい』なんて言ってみたら、あっさりOKが出てな。そのまま本当にする事になった。」

 私も驚いたよ、と佳音は声を押し殺して笑う。ほのかの家庭だったら間違いなく『高校を卒業してから』と言われるだろう。

「……邪魔だったんなら、早く言ってくれれば良かったのに。」

 今まで押し込めていたものを、言葉を選んで少しずつ吐き出している。そう言いたくなるぐらい静かな口調の佳音に、ほのかは佳音の苦悩と優しさを感じた。それを佳音は、滝に『別に』の一言で済ませたのだ。

「どうして、滝君に聞かれたくないの?」

 ほのかの質問に、佳音はきょとんとする。だが、すぐに「あぁ」と相槌を打った。

「私の父親と滝の父親、同じ会社にいるんだ。滝から直之さん──滝の父親に情報が伝われば、直之さんから私の父親にクレームが来る。」

 佳音は苦笑しながら「面倒くさいだろう?」と言う。

「直之さんは、私の父親に代わって私にも気を配ってくれている。これ以上心配はかけられないさ。」

 申し訳なさそうに言う佳音に、ほのかは「でも」と反論した。

「滝君には、話しても良いんじゃない?その『直之さん』に言わないように頼んで──。」

「万が一だ。」

 佳音はぴしゃりと遮る。

「どんな些細な事だろうと、これ以上あいつは巻き込まない。そう決めたんだ。」

 佳音の静かだが強い口調に、ほのかは押し黙る。

「あいつは、馬鹿みたいに真面目に直之さんからの頼まれ事をやってきた。もう私に関わらせないでやってくれ。」

 ほのかはいまいち佳音の言っている意味が分からないが、「頼む」と頭を下げる佳音に、これ以上何も言えなかった。



 ほのかは交差点で佳音と別れ、そのまま、信号が青に変わるのを待っていた。

(……やっぱり、言わなきゃ。)

 ほのかはくるりと右に方向転換し、信号が点滅する横断歩道を走り抜けた。走ってすぐに、佳音の後ろ姿を捉える。

「佳音ちゃんっ……!」

 ほのかは大声で佳音を呼ぶ。振り向いた佳音は目を丸くしていた。

「ごめんねっ!さっき……どうしても言えなかった事があってっ……!」

 ほのかは泣きそうな表情で、まっすぐ佳音を見る。

「──私っ滝君の事が好きなの!告白しても良いかな!?」

 言ってしまった。

 まるで滝と佳音が離れるのを待っていたようなタイミングだ。

 ほのかは、佳音がどういうリアクションをするのか、まるで想像つかず、緊張気味に佳音の次の言動を待った。

 だがそれも杞憂に終わる。

「…………どうぞ。」

 無表情でほのかの告白を聞いていた佳音の第一声はそれだった。

 ほのかは言葉の意味が理解できず「……え?」と聞き返す。

「だから、どうぞ。前にも言ったはずだが、私は滝の恋人じゃない。ただの幼馴染みだ。」

 あまりにもあっさりした返事に、ほのかは拍子抜けする。

「そもそも、私に許可を取る必要すら無いんだが。律儀だな。」

 佳音はふっと優しく笑うと、ほのかに向き直った。

「無愛想だが、あいつの事、よろしく頼む。」

 穏やかな笑みを浮かべ、まるで家族のような台詞を述べる佳音。その笑顔を見て、ほのかは理解した。

(全部、我慢してたんだ……。)

 普通に見ていればあまりにも完璧な笑顔で、悲しみを押し殺した笑いである事に気付く人はほとんどいないだろう。

「どうして……?」

 ほのかは思わず言葉を漏らす。佳音は頭の上に疑問符を浮かべがら、「あいつは」と呟いた。

「──まぁ、頑張れ。」

 佳音は珍しく明るい口調で言うと、くるり、とほのかに背を向け歩き出した。



 ぽたり、と雨粒が佳音の頬に落ちる。

 ぼんやりと歩いていた佳音は、雨粒が落ちてきた感触で現実へと引き戻された。

(もう、ここまで歩いてきてたか……。)

 佳音は立ち止まり、薄暗くなった住宅街を見回した。知らぬうちに、自宅近くまでかなり歩いてきていたようだ。

 再び歩みを進めながら、佳音は先程の事を考えた。

(『あいつは』──きっと、断らないだろう。)

 ほのかが滝に好意を抱いているのは、以前から気付いていた。そして滝の、ほのかを見る目が優しくなっていた事にも。

(来るべき時が来た。)

 佳音からすれば、そうとしか言いようがない。

 ぽつぽつと降り出した雨空を、佳音は仰ぎ見る。

 本当はこのまま雨に打たれて全て洗い流してしまいたいが、明日も学校がある為、制服を濡らす訳にはいかない。

 それなのに体は、まるで中心に鉛を入れられたみたいに重く、思うように歩みが進まない。

(このまま冷たくなって、心臓が止まってくれれば良いのに。)

 しとしとと雨に濡れながら、佳音は体を引きずるように歩く。

(このまま、ゆっくりと体温が下がって、ゆっくりと──。)

「まーた何やってんのあんたは!」

 後ろから、聞き覚えのある元気な声が聞こえた。佳音は、光の宿っていない目でゆっくりと振り返る。傘を差した夏希が、呆れた表情で立っていた。

「…………夏希。」

 覇気のない声で呟くと、眉間の皺が深くなる。

「とにかく、入りな。」

 夏希は自分の傘に佳音を入れようと佳音に近づく。

 すると、佳音はそれを無視するようにゆっくりと歩き出した。

「別にいいさ。どうせ濡れた。」

 それでも夏希は、佳音を傘に入れる。

「どうしたの?やさぐれちゃって。」

 夏希は尋ねるが、佳音は前方を見たまま答えない。

 夏希は肩を竦め、それっきり尋ねる事はなかった。

「…………じゃ。」

 佳音は、自分のアパートに入ろうと、ゆらりと夏希の傘から抜け出した。

 その瞬間、夏希に首根っこを掴まれる。

「にぇっ!」

「あんたが来るのはこっち!また風邪引くでしょ!!」

 夏希は、咳きこむ佳音をよそに、腰に手を当てて口調を強める。

「なんでっ…………そっち……?」

 未だに咳きこみながら佳音は問いかける。

 このまま付いて行けば、行き先は間違いなく高村家だろう。

「放っておくと、あんたどうせ濡れたままでいるんでしょ!?変な所で面倒くさがりだから!」

 佳音は、夏希の物言いに少し腹が立ったが、あながち間違ってもいない。

「うちに来てシャワー浴びな。で、温かい物飲んで布団にでもくるまってれば良いじゃん。」

「何故だ?」

 何も気付いていなさそうな佳音に、夏希は少し苛立ったように佳音を睨んだ。

「凹むのは勝手だけど、せめて体ぐらい暖めてからにしてよ?」

 佳音は目を丸くする。 

 夏希の言葉の意味が、佳音には理解出来なかった。

(『凹む』?何にだ?)

 夏希の『凹む』という発言に、佳音の頭は理由を見つけ出そうとフル稼働する。だが、ここ数日を振り返ってみても、そこまでショックを受けた記憶はなかった。

「『凹む』って、何にだ?」

 佳音は、聞いても仕方がない事をつい口にしてしまう。

 案の定、夏希からは「知るわけないじゃん」というきつい言葉が返ってきた。

 

 

佳音が穏やかに笑っていたのは、無自覚です。

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