文化祭っていいね
お兄ちゃんの母校に、今日は行くという。電車に揺らされる。しっかりと握られた手には安心感があった。
この日本という国では、学校というものは一般的でいくつもあるものらしい。あたしがいた国の学校と言えば、神学者や天文学者、法学者を養成するところだ。でも日本では、「一般教育」というものが行われるそうだ。
「この国で暮らすための最低限の教育がされるんだ」
と、お兄ちゃんは言う。
「最低限って?」
「この国は民主主義って言って、みんながなんらかの方法で政治に関わってるんだ。そのときに、知っておくべきことがあるんだよ。自分のしていることとか、政治をする人が言っている言葉を理解したり、自分はどういう考えがあるかをしっかり組み立てるためにするためにね。自分が不利になることかどうかも自分で判断しなくちゃいけない。それを国語、数学、理科、社会っていう風な科目にして習うんだよ」
勉強というのは覚えていくだけではもったいないということ。どう使うかのほうが大事。
それはわかるな。あたしも自分の国の歴史の勉強をしていた。ただご先祖様の名前を覚えるだけじゃない。その王様たちがどう考えていたのかも習うし、ほかの国の事情だって知る必要もあった。お兄ちゃんが言っていた民主主義も昔はあって、どういう失敗をしてきてどう反省するかも勉強をした。
「何だか、大変だね」
「確かにな。いまはこういう風には考えられないし、覚えてテストしてっていうのが……」
「そうじゃなくて。国のみんながそれだけ考えられる人になったら、政治ってしにくくない?」
お兄ちゃんは驚いた顔になる。あまり理解できていないみたいだから、説明を付け加えた。
「お父様もいろいろ政治をするけど、ほかの貴族様に反対されたりして大変みたいだったし。あの人たちほどじゃなくても、民草の半分があたしやお兄ちゃんくらい勉強をする人だったら、いろんな考えの人が出てきて、政治しにくいと思う。もしこの国がその制度で上手く回ってるんだとしたら政治する人がよほど優秀なのか、制度は失敗していて考えてる人が少ないのかだよ」
なるほどな、とお兄ちゃんは笑った。「頭いいな」と言って頭を撫でてくる。あたしを何だと思ってるのさ!
「さっきも言ったけど、こんな風に考える人は少ない。学校っていうのは、小さな社会みたいなもんで、どう人間関係を築くかだとかの方が大事なんだ。そこでたくさんの失敗と成功をして、大人になってから失敗しないように、しても反省して考えられるように。そして自分について考える時間でもあるんだ。……一般教育と学校の在り方とか見方っていうのは、時代とともに変わるもんだ」
なるほど、とあたしは納得する。お兄ちゃんの考えはよくわからないけど、この世界はそうできてるんだって。
ちょっとだけ習ったこの世界の歴史。あたしが暮らしていたような国は、中世や近世と呼ばれる時代に相当する。ここは未来なんだ、と思うと、あたしが理解できない考え方を持っていても仕方ないことだと思う。
「それでお兄ちゃん、これからどこに行くんだっけ。お兄ちゃんが通ってた学校の」
「文化祭だ」
「なにそれ?」
聞き慣れない言葉。あたしの国にはなかったものだろう。お兄ちゃんは子供のように笑って言った。
「学校生活の中で、最高に馬鹿をするお祭りだ」
さっき勉強をするために行くと言った学校で、馬鹿なことをするらしい。
「どういうこと!?」
「行けばわかる。さ、降りるぞ」
お兄ちゃんに引っ張られて、電車を降りる。こんなに楽しそうなお兄ちゃんは、初めて見たかもしれない。
* * *
人、人、人。溢れんばかりの人が一同に会している。それも驚くことに、みんな同じくらいの子どもたちだ。テレビでドラマやニュースで学校というものを見たりしてたし、帰ってる途中の子たちも見たことあるけど、ここは全然違った。まるで人が草木のように溢れている。
制服の子たちばかりじゃなくて、色とりどりの服や、何かに扮したのだろうか仮装をしている人もいて、結構面白い。
「お兄ちゃん、すごい人だよ」
「離れないようにな」
お兄ちゃんが言うには、ここは中学校と高校というものが一緒になっているところらしくて、それだけに生徒もいっぱいいるらしい。しかも今日は外から遊びに来ている人も多く、輪をかけて人がいるらしい。
それでもやっぱり、あたしの容姿は目立ってしまうようだ。金髪に青い目といのは、この国ではとりわけ珍しいらしく、それが男の人と学校を歩いているのは滅多にないことなのだろう。
「ここの学校は、結構規模の大きい文化祭をしててな。他の学校より来る人は多いぞ」
「おお、そうなのか! すごいね!」
軍隊でもないとこれくらいの人は集まらないのではないか、と思うほどだ。日本という国でも、この年代の人を集めるのは大変なのだろう。
お兄ちゃんは通ってただけあって慣れているのか、あたしの手を引っ張ってするすると歩いていく。
校舎の中に入れば人ごみもいくらか和らぐ。立ち止まってほっと一息。お兄ちゃんはちょっと微笑んで、また歩き始めた。
「あっ、もしかして真城先輩じゃないですか?」
向かい側から歩いてくる女の子がお兄ちゃんにそう声をかけた。声はちょっと低いけど、長い髪の可愛らしい子だ。
「おう、久しぶりだな」
「久しぶりですね! えっとそちらは……」
その女の子はあたしを上から下まで見ると、突然一歩引いて両膝をつき、手を床に合わせ、頭を下げた。
美しいまでの土下座である。
「負けました」
「やった、勝ったよお兄ちゃん!」
「何の勝負をしてるんだお前ら」
お兄ちゃんが飽きれたようにそう言った。女の子は立ち上がってはにかむ。
「いやあ、この子、僕よりずっとお姫様感出てるじゃないですか。ってかもう姫って呼ばれるために生まれてきたようなもんじゃないですか」
「変なところで競うなよ」
そう言ってひとしきり笑うと、お兄ちゃんは咳払いをして、改めて女の子を紹介してくれた。
「紹介する。こいつは俺の部活の後輩で風鈴新だ。風鈴、この子はリーア。わけあってウチで暮らしてる」
「リーアです。よろしくね、アラタちゃん!」
あたしがそう呼ぶと、あっ、と言ってお兄ちゃんが訂正した。
「すまん、こいつのこれ、女装だから」
「え、女装?」
ということは、アラタちゃんじゃなくてアラタくんなの? え、男の子なのにこの可愛さはちょっと自信なくすというか……。
そういえば貴族の家によるけれども、跡取りの男の子を途中まで女の子として育てる風習がある。そういうものなのかな。あれ、でもここは日本? あれれ?
「なんで女装なんてしてるの?」
「混乱した挙げ句すげえ直球な質問したな」
「趣味だよ!」
「趣味になったのかよ」
前よりも変態が悪化してる、とお兄ちゃんは小さくつぶやく。
「それにしても驚きました。先輩が女の子と歩いてる……のはいつものことですね」
「うるせえ」
「女の子を連れてくる、ですね。初めてじゃないですか、誰かを連れてくるのは」
そうだろうことは、想像できなくもなかった。お兄ちゃんのことだから、用事を済ませたらすぐに帰っちゃうんだろうな。
「というかお兄ちゃんって何ですか。そういう趣味ですか。だから年下の女の子にしか好かれないんですよ」
「いいだろ。リーアが特別なんだよ」
ははあ、とアラタくんはニヤニヤと笑う。そういうのじゃねえよ、とお兄ちゃんがゲンコツを頭に落とした。特別、ってなんかいい響き。
「これから担任の先生のところに行ってくるからな、またな」
「え、あ、早いですねごめんなさい。この風鈴、このような形でしか誠意を……」
「その格好で土下座するのはやめろ。女の子を土下座させてると思われるだろ」
「あれ、僕の心配じゃないんですか?」
そんな会話がずっと続いていく。クラスがあるので、と言い残しアラタくんは去っていった。
お兄ちゃんは変わってないんだと思う。見てて、そう思った。でも、前よりずっと素直になったんじゃないかなって。
それが何だか微笑ましくて、あたしはお兄ちゃんの手を握る力をちょっとだけ強くした。
「何だよ」
「なんでもないよ」
へへ、って笑うと、お兄ちゃんは口だけで笑った。また照れ隠しだ。