おつかいに行きたい!
テレビというのは、いろんなものを映すらしい。遠くで起こっている出来事、過去に起こっていた出来事、そして面白おかしく作られた茶番や劇を動く絵として記録し、それを多くの人の元に届けるのだという。そういうことをするための技術は、あたしは想像もできなかった。お兄ちゃんに聞くけど、曖昧に笑うだけだった。
お兄ちゃんは言った。「説明してもいいけど、これを理解するには前提とする知識が多すぎるんだ。完璧に理解するんじゃなくて、そういうものだって思うのにもな」よくはわからないけど、そういうことらしい。この国のほとんどの人は、テレビというものを「そういうもの」だと思って生きているとお兄ちゃんは言ってた。
あたしはいま、そのテレビの番組を見ている。お兄ちゃんは興味がないみたいで、ずっと本を読んでいた。この世界には紙があふれていて、多くの人が自由に使っているというのだから、それはあたしの想像をはるかに超えている。
あたしには見るものすべてが目新しくて、目の前に流れるその番組もまた、あたしの興味をそそった。
小さい子どもをおつかいに行かせる番組。それはその子を初めて、親の同伴なしでおつかいに出すという趣旨らしい。子どもの成長する様子というのを描いていて、それが感動を誘った。短い時間なのに、一本の物語を読んだかのようにあたしは泣いていた。ティッシュで何度も涙を拭く。
何よりもよかったのは、子どもを出迎える瞬間だ。子どもが「ただいま」と言って、お母さんが「おかえり」と出迎える。たったそれだけなのに、もう涙が止まらなかった。
ちらり、とお兄ちゃんを見る。ずっと本を読んでる。視線を感じたのか、顔を上げてあたしを見ると、ずいぶんと上手くなった微笑みを浮かべて、また本に視線を落とした。
あたしはお兄ちゃんのお世話になりっぱなしだって、自覚している。このままではよくないとも、思ってる。あの小さい子たちを見ていて、ようやくあたしの中に小さな勇気が生まれた。
「お兄ちゃん」
「どうした?」
振り向いたお兄ちゃんは笑顔だった。お兄ちゃんは、やっぱり笑うことが多くなったと思う。あたしと会ったばかりのときは不器用な笑顔ばかり浮かべていたのだから。
この笑顔が、もっとたくさんになればいいと願って、あたしは言った。
「あたし、一人でおつかい行きたい!」
お兄ちゃんの笑顔が曇った。なんでだ。
* * *
「本当に大丈夫か?」
「もう、心配しすぎだよ」
お兄ちゃんは玄関まで来て、あたしに声をかけた。その表情は心配の色に染まっている。
確かにあたしは、お城からほとんど出たことはないし、出かけても避暑地にみんなで馬車で行くだとかだった。
でもいまのあたしは違う。こっちの世界に来て、お兄ちゃんと一緒にたくさん外の世界を見てきた。もちろん、ここはあたしがいた世界よりもずっと安全な世界。でも、見てきて感じたことは嘘ではないし、確かに前に進めているのだ。
だからそれをお兄ちゃんに見せたい。
「じゃがいもと、にんじんと、玉ねぎ、あと……ふ、フクジンヅケ? だね。行ってきます!」
お兄ちゃんが作ると言う夕食の献立に沿って、買い物をしてくる。よく一緒に行くスーパーだ。何も問題はない。
アパートを出て右に行って、最初の信号を……えーと、左、かな。で、しばらく歩いて……何番目だったっけ。えっと……。
……。
…………。
…………………。
あ、これ、絶対に迷ってる。
「どどどどどどうしよう!?」
困ったことになった。見覚えがあるようで、ないような道。この景色。いい加減な記憶で歩いてきたのがいけなかったのかな。
お兄ちゃんに連絡もできないし、ここらへんで知ってる人もいないし、いても会えるかもわからない。いや、まずここがどこだかもわからないのにこの辺りに住んでいる人がわかるわけでもないし、あたしを知ってる人が多いわけでもない。
「にゃあ、迷子かにゃあ」
ふと、声が聞こえた。猫……ではなく、猫の真似をする人の声。
そっちを見ると、あたしと同い年くらいの女の子がしゃがんでいるのが見えた。その前には小さな猫がいる。
「にゃあ、可愛いなあお前さん」
また女の子が猫に声をかける。猫もそれに応えてにゃあと言った。
「す、すごい」
あたしのつぶやきが聞こえたのか、女の子はあたしの方を見て、驚いていた。
「ねえ。猫と話せるの? すごいね!」
「い、いや、これはそういうのじゃなくて!」
女の子は狼狽してしまっていた。猫がまたにゃあと鳴いた。女の子の顔が真っ赤になる。
見たところ、制服というものを着ているその女の子は、お兄ちゃんが言ってた高校生……勉強する身分の子なのだろうとわかった。
「ねえねえ、その猫さんとお友達なの?」
「だ、だからぁ〜! この外人なんなの!」
むむ、あたしは外人という言葉が嫌いなのだ。訂正してもらわなければ。
「あたしはリーア! 外人じゃないよ。ちょっと訳あって、ここらへんに住んでるんだけど」
「え、あ、私は小平芽衣って言うんだけど。って、なんで私まで名乗ってるの!?」
「なるほど、メイちゃんね!」
なんだか言いやすい名前だ。あたしの国の発音に近いのかな。
「ええと、別に猫の言葉がわかってるわけじゃなくてね? ちょっと猫がいたから、ついというか、話しかけて……」
「そうなの? 残念……」
「わかりますぅ、わかって話してましたぁ。無茶振りしないでぇ!」
あ、この子、面白い子に違いない。あたしの勘にピンときた。
猫はあたしたちの会話を聞いてるのか聞いてないのかわからないけど、じっとこっちを見上げたまま動かなかった。
「猫、いいよね。なんか、このふわふわだけど、キリッとした感じがさ」
メイちゃんはそう言うと、また猫の前に座り込んだ。
あたしもそう思う。猫のみたいな強さというのが好きだ。それに可愛いし。モフモフだし。
猫がまた鳴いた。メイちゃんの手にすり寄って、頭を擦っている。
「ねね、ちょっといい?」
「え、なに? いまのはたぶん、『そうだろう、ふふん』って意味で鳴いたんだと思うけど」
「猫の言葉じゃなくて」
「またやらかしたあああああっ!」
叫んで頭を抱えるメイちゃん。なんかちょっとだけ心配になってきた。
「お、落ち着いて」
「で! なにかなお姫様!」
「ま、またお姫様……あのね、道に迷っちゃったんだけど」
「なんだ、迷子なの。どこ行きたいの?」
メイちゃんに行きたいスーパーの名前と、どのあたりから来たのかを説明する。メイちゃんはため息を吐いた。
「え、ちょっと、くるくる回るつもりなの? えっと、ここからはね……」
スーパーまでの道を教えてもらう。それを覚えて、ぺこりと頭を下げてお別れをする。
少し歩いて、この道を……。
「ごめん、わかんない」
「もういい。案内するから」
そう言ってメイちゃんは、あたしの前を歩く。スーパーまで丁寧に案内してくれるらしい。
ついて行こうとするけど度々いなくなるあたしを、メイちゃんは色々文句を言いながらも連れて行ってくれた。
「あなたがお世話になってる人は大変ね」
「え、えへへ。がんばります……」
お兄ちゃん、あたしは目標を達成できそうにありません。
* * *
「で、そちらは?」
「あ、あはは」
結局あたしは、メイちゃんに連れられてお兄ちゃんの部屋にまで来た。帰り道でも道を外れていくあたしを見ていて、あたしのあやふやな記憶を元にここまで連れてきたのだ。
玄関で佇むあたしたち。あたしはメイちゃんをお兄ちゃんに紹介する。お兄ちゃんは、メイちゃんに軽く頭を下げた。
「悪いな。大変だったろう?」
「むう、お兄ちゃんひどいなあ」
「ええ、大変でした……」
「メイちゃんまで!?」
あたしはいよいよ居た堪れなくなった。しゅんと落ち込むと、まあまあとメイちゃんがなだめてきた。
「ま、今度から一緒に行こう。またね」
手をひらひらと振って、メイちゃんは帰って行った。一緒に、という言葉がとても心強いものに聞こえた。
その背中を見送って、あたしは改めてお兄ちゃんに頭を下げた。
「ごめんなさい。一人じゃ行けませんでした」
迷惑をかけないように、少しでも役に立てるように。そう思ったのに、結局誰かのお世話になってしまった。さっきはああ言ったけど、あたしの不甲斐なさと申し訳なさは大きくなる。
「大丈夫だ」
でも、お兄ちゃんは。それを許してしまう人だから。頭にポンと、手が乗せられる。
「できることをしてくれればいい。買い物は、俺も一緒に行ってほしいからな」
こう言ってくれるとわかってて言っちゃうあたしも卑怯なのかな。そして、喜んじゃうあたしも。でも、この甘さが大好きなのだ。