ずるい!
「お買い物?」
お兄ちゃんとの出会いから、数日が経った。慣れないこっちの世界の生活に、お兄ちゃんの支えを得ながらなんとかこなしていく。
そんなお兄ちゃんも、昼間は忙しいらしい。学生、という勉強をする身分なのだそうだ。あたしの知っている勉強とは少し違うらしいけど、多くの人にとって大切なものなんだって。「大学でなにを勉強してるの? 神学? 法学? それとも天文学?」って聞いたら「……社会学」と少し困った顔をして言っていた。シャカイって何なんだろう。
そして今日、土曜日は休みなのだ。一日いっぱい、あたしと一緒にいてくれるのだそう。
テレビという、不思議な常に動き続ける絵を見ていたあたしは、お買い物という言葉に反応した。
「そうだ。いつまでも俺の服を着てるわけにもいかないだろ?」
確かに、いま着ている服はお兄ちゃんのものだ。とても着心地の良い服ではあるけれども、男性ものでとても大きいし、あまり服を持ってないお兄ちゃんが着る服もすぐになくなってしまうそうだ。
でもこの、パーカーっていうの気に入ったんだけどな。だめかな? って視線を送るも気づいてもらえない。
「ちょっと遠いが、デパートっていう……お店がある。そこに行けば何でも揃うから行こうと思うんだが、来てくれないか?」
お兄ちゃんは言葉を選びながらそう言った。二人で少し話してるときに、時々音しかわからない言葉が出てくるときがある。お兄ちゃんが言うには、あたしの世界に存在しない言葉だかららしい。
お城での生活では、あたしは自分から何かを買いにいくことはなかった。商人が品々を持ってきてくれて、どれがいいか悩んでいたのだ。お兄ちゃんはそれを聞いて「贅沢だな」って笑っていた。
「うん! えへへ、楽しみだな」
この世界のことを知るたびに、楽しいことがいっぱいあるんだなってわかる。もっともっと、見たいなって思える。
あまり甘えるのはよくないなと思いながらも、お兄ちゃんにすがってしまう。お兄ちゃんと一緒じゃないと外に出ちゃだめって言われてるからもあるけど。
少しして、お兄ちゃんも準備ができたようで、外に出た。あたしの服装は、青のパーカーにジーパンっていうズボンだ。どっちも大きいから、袖をまくってるけど動くのには問題はない。
前にコンビニって場所に買い物をしに行ったとき、見た事のないものばっかりだったあたしははしゃぎすぎて、お兄ちゃんに何度も止められてしまった。
今度こそ迷惑をかけないぞ! という決意をして、あたしはお兄ちゃんの後をついていった。
* * *
「お兄ちゃん、大きな車だね! すごい! これに乗るの!?」
ごめんなさい。さっそく守れませんでした。
目の前にあるのは、緑色をした大きな箱。それに車輪がいくつかついている。
あたしが今まで見た、この世界で馬車の代わりに使っているという車とはまた違う大きさだ。三倍や四倍はあるんじゃないかな。お兄ちゃんはどうやら、これに乗っていくつもりらしい。
「うわあ、広い」
中に入って、最初の一言。椅子と椅子の間隔が広く空いていて、贅沢な作りだ。
お兄ちゃんが勘定をして、あたしの背中を押す。奥の方が広い席になっていて、二人で座れる場所になっているようだ。あたしは駆けていって、窓側の席に座った。お兄ちゃんも、あたしの隣に座る。
「これはバスって言ってな……まあ、リーアの世界で言うとみんなで同じ馬車を使おうってことだ」
お兄ちゃんも、ちょっとずつあたしにものを教えるのが上手くなってきた。その例えはわかりやすい。
「乗り合い馬車みたいなのかな?」
「なんだ、それは」
「えっと、貴族じゃない人とかが都市の間を移動するときに使う馬車だよ。街中で走ってることはないけど」
「ふうん……」
あたしの言葉にお兄ちゃんは感心するように頷いてみせた。
走り始めたバス。窓から外を見た。いつもより高い位置から眺めるこの街は、まったく違うものに見える。
「ん?」
じっと、前から視線を感じる。そこには目元が髪で隠れるくらい伸ばした女の子がいた。一人で乗ってるみたいで、隣に誰もいない。
艶やかな黒髪がちょっと羨ましい、そんな女の子の視線が耐えられなくて、思わずお兄ちゃんの方を見た。お兄ちゃんはため息を吐く。
「……どうしたんだ?」
いつもより心なしか高くて、優しい雰囲気のある声。お兄ちゃんの口からそんな音が出てくるとは思いもしなかった。
女の子は「え」と口を開いて、モゴモゴと口を動かしてから、言った。
「おねえちゃん、キ、キレイだなって」
「え、ええ?」
あたしは思わず困惑の声を上げる。お兄ちゃんはそれを聞いて、続けて言った。
「話したいのか?」
こくりと、その女の子は頷いた。
首を傾げていると、お兄ちゃんはあたしの頭に手を乗せた。
「リーア、話してやれ」
「え、え、でも」
「大丈夫だ」
「……うん」
お兄ちゃんは、たぶんわかってるんだ。あたしがこの世界の人で、お兄ちゃんとしか話したがってないことを。他の誰かに触れることを、怖がっていることを知ってるんだ。
だって、恐いんだ。この世界の人は、あたしの当たり前が通じない。お兄ちゃんも、その一人だけど。
でも、それじゃいけないってこともわかってる。
「あたしはリーア。あなた、お名前は?」
「わ、わたし……サリャ」
「そっか、サリャちゃんだね」
くす、とお兄ちゃんは笑いをこらえている。
「ねえ、一人なの?」
「う、うん。ママに会いに行くの」
「ママ?」
「おびょうき、なんだって」
そっか、とあたしはサリャのお母さんに想いを馳せた。どんな人なんだろう。
「おにいちゃん」
「うん?」
「おねえちゃんとおにいちゃん、にてない」
それはそうだ。血は繋がってないんだし、生まれた国、世界まで違うんだから。
でもそれを言っても、きっとサリャには通じない。それがわかるから、あたしは黙ってしまった。
「おひめさまと、おうじさまの方がいい」
「は、はぁ?」
サリャの言葉にお兄ちゃんは素っ頓狂な声を上げる。あたしはそれも特別変だとは思わなかった。
それにしても、どうして身分を明かしていないのに、みんなあたしのことをお姫様と呼ぶのだろうか。不思議で仕方ない。いまはお兄ちゃんの服を着てるんだし、そうは見えないと思うんだけどな。
「そうだね。お兄ちゃんは王子様だ」
「おうじさまなの?」
「うん! ほら見てこの顔!」
「リーア、痛い」
あたしはお兄ちゃんの顔をくいっと引っ張った。
「おかおが、おうじさま。そっか」
「何かすごい不本意な評価を受けてる気がする」
「褒められてるんだよお兄ちゃん」
「ほ、ほめて……ないよ?」
「それはそれで傷つくぞ!?」
「サリャちゃんそこは褒めてあげて!?」
サリャはにへら、と笑った……気がする。髪の毛で表情がよくわからないけど、雰囲気からなんとなくわかった。ちょっと将来が恐い。
「ふたりとも、おもしろいね。き、きょうだい、だから?」
それは関係あるんだろうか、とも思ったけど、きっとあたしはお兄ちゃんをお兄ちゃんだと思わなかったら、こんなに話せてないだろう。
車内に、声が響いた。次に停まる場所を言っている。病院前だそうで、たぶんサリャの目的地だ。サリャがハッとして、何かのボタンを押した。
『次、停まります』
「うわっ!? びっくりした……」
どうやらこのバスを停めてもらうためのボタンらしい。ボタンを見れば灯りがついていて、あたしはどうしてかわからないけど、興奮した。
「お兄ちゃん! あたしも押したい!」
「……俺らが降りる停留所でな。俺が言うから、そのときに押せよ」
「やった! ありがとお兄ちゃん!」
大興奮のあたしを、お兄ちゃんは困ったような笑顔を浮かべて見てた。ああ、最初の目標はもはや見る影もない……。
バスが停まった。扉が大きな音を立てて開く。サリャはその小さな体をちょこちょこと動かして、扉へと向かう。
そしてくるりとこちらを向くと、小さく手を振った。
「ま、またね」
あたしは大きく頷いて、手を振った。
「うん! またね!」
サリャが降りていくのを見届ける。今度はいつ会えるのかはわからないけど、こうして形式ばった挨拶じゃない「またね」って言葉は、すごく気に入った。
「サリャ、可愛かったね」
あたしがお兄ちゃんに言うと、お兄ちゃんの顔が意地悪な笑みに変わった。初めて見る表情だった。
「たぶんだけど、あの子はサリャって名前じゃないぞ?」
「え?」
「たぶん、”さら”とか”さや”とかそういう名前なんだろうけど、きちんと言えないんだろうな」
そう言われると、確かにサリャというのはこの国の名前っぽくない。というか、
「わかってたの!?」
「……指摘するほどのことじゃないかなと思ってな」
「でも、黙ってた! ずるい! お兄ちゃん、ずるい!」
「ほら、ボタン押していいぞ」
「あ!」
あたしは席の隣にあるボタンを押した。また声が車内に響いた。にしし、と満足して笑う。面白いなあ、これ。またバスに乗せてもらったら押させてもらおう。
そう思ったけど、お兄ちゃんに上手く誤魔化されたとわかって、どうしてか負けた気持ちになった。
お兄ちゃんは、やっぱりずるい。