お兄ちゃん?
大人たちの笑顔が気持ち悪い。
男の見定める目が気持ち悪い。
女の汚いやり取りが気持ち悪い!
あたしは心のうちでそう思うけど、絶対に口には出さない。そういうことをしてはいけない場なのだとわかっているから。
今日はあたしの誕生日。だから王宮では貴族たちが集まってパーティーが開かれている。流れる音楽に耳を傾け、振る舞われた料理に舌鼓を打つ。それだけでこの日を祝うために集まった人々。けれどもその顔には、野心が描かれている。
王に取り入ろうか。最近勢いのあるあの伯爵にでも声をかけようか。
そんな思惑が彼らの背後にあった。あたしを祝うなんて名目に過ぎない。
贈り物やお世辞の数々であたしのご機嫌をとってくる。それもあたしにとって苦痛だった。きちんと笑顔で、感謝の言葉を伝えないと。そういう教えもまた、あたしから体力と精力を奪っていく。
「これは、リーア姫。お美しくなられた」
そう声をかけてきたのは、隣国の国王。父王と母は少し離れたところで、王弟と何か話していて、助けてもらうことはできなさそうだった。失礼があってはならないと、いつもより緊張しながらも、顔を引き締め背筋を伸ばした。
「ありがとうございます。陛下も、まだまだ壮健のご様子。嬉しく思いますわ」
「いやいや、私も老いを感じてきた頃です。愚息も頼りがなくてな」
「そんなことは……そういえば、今日はおられませんね」
噂に聞く王子は、この王が評価したのとは変わってすこぶる良い。いや、自分の子を他人の前で素直に褒めることは避けられるだけだろう。
その王子の姿を、あたしは見たことがなかった。隣国との国交は長くはない。あたしが生まれてきたばかりのときは戦争をしていたのだから当然だ。でも一度も会ったことがないのは、何か変だなと思った。
「ああ、騎士団長の仕事故、後から来ると言っていたが、わかりませんな。姫、愚息に代わってお詫び申し上げる」
「いえ、何か事情があるならば良いのです。しかし、心配ですね」
「姫のようなお美しい方に心配されれば、あれも満足でしょうな」
「まあ、お上手ですね」
そう、あたしが嫌いなのはこういうやり取りだ。表面上で言葉が滑っていく。意味のない、探り合いのような応酬。
ぎこちない笑顔を浮かべる。それで隣国の王は満足したようだ。そして一歩近づいてきて、顔がすぐ側にまで来る。
「どうかな、我が国に今度いらしてみては? 貴国より人は少ないですが、自然は豊かですぞ」
この誘いは、乗ってはいけないもの。あたしの口から別の国の名前が出てくれば、それだけ親密にしたいという証拠として、取り上げられるのが目に見えている。だからあたしは、無難にやり過ごすことにした。
「素敵なお誘い、ありがとうございます。考えさせてもらいますわ」
「おお、なら良かった。姫は我が国の妹も同然。いつでも歓迎いたしますぞ」
そう言うと、隣国の王は離れ、別の場所へと向かった。あたしはふうと一息つくが、まだ油断できない。周りからの視線が気になる。みんなタイミングを伺っているのだ。話かけるタイミングを。どう話しを運んでやろうかと。
「姫、ご機嫌はいかがですか?」
その声を聞いて、少しホッとした自分が嫌になる。よりにもよってこいつの声で安心するなんて。確かに、ここに集まってる人よりかは安心するけれども。
「トーゴ」
幼なじみにして年上の騎士、トーゴ。今日も遠巻きに様子を見ていたのだろう。いつも感じる視線の中でも異質なものであるが、敵意はない。むしろこうして気にかけてくれるならば、この場に限り許してもいい。
「少し優れません」
「部屋を用意しております。こちらへ」
そう言って、手を差し出してくる。けれど、それを受け取るような気分ではなかった。受け取れば、また周りに何か言われる。あたしは無視をして、会場から出るため歩き出した。
その間に聞こえる、陰口の数々。本人たちは聞こえないと思って言っているのではない。聞こえるとわかって言っているのだ。それはあたしへの嫌がらせか、仲間の結束のためか、あるいは両方か。あたしにはどれも不快であることは変わりない。
耳を塞ぐわけにもいかない。そんな恥ずかしいことはできない。だから気丈に振る舞うしかないのだ。
「姫」
「言わないで」
あたしは用意された部屋に入る。客間の一室だ。無駄なまでに華美な部屋。
用意されたベッドに倒れ込む。化粧もドレスも崩れるだろう。それもお構い無しだった。
柔らかいベッドの弾みが、あたしを包み込む。良い香りが鼻をくすぐった。ラベンダーの香水が布団にかけられているのだ。
「トーゴ、ちょっと一人にして」
「しかし、リーア姫」
「トーゴ!」
あたしが少し大きな声を出して顔を上げると、トーゴは少し悲しげに瞳を揺らす。あたしはその表情に、胸をチクリと痛んだけれど、後悔しても遅い。
「……失礼しました。何かあればお呼びください」
そう言って、トーゴは扉から部屋を出た。きっと扉のすぐそこで待っているのだろう。寒いだろうに、あたしはそれを知っていながら彼をそこに放置することを選んでしまう。
何やってるんだろう……。
そんな自己嫌悪に飲み込まれる。何も解決にはならない、こんなことをしたって。
もう嫌だ。瞼が重い。ここには誰もいないのだから必要なんてないのに、その瞳を隠して、涙を流すまいと堪える。
完全に視界が闇に閉ざされたそのときだった。空気が変わった。温かい風が吹いている。鼻についたのは変な臭い。その変化は突然で、あたしには何がなんだかわからない。
身体が揺れる。その衝撃で意識は起きたけど、熱にうなされているように身体が重い。視界もぼやけてる。
そっと、柔らかい何かに置かれた。急に楽になる体。背中から何かが抜ける。あたしを誰かが運んだ? トーゴ? そう思って、近くにいるその人を知るためにがんばって目を開く。
そこにいたのは不愛想な顔の青年。メガネをかけていることまではかろうじてわかる。その青年が布を絞って、こちらに歩いてきた。
そして視線が合う。するとその男の人は、見るからにわかるぎこちない笑みを浮かべた。それでなんとなくわかる。この人は悪い人じゃないんだな。
「どなた……ですか?」
青年はその質問に、少し困った顔をして、答える。
「お兄ちゃん、かな?」
「…………」
お父様、お母様、トーゴ。どうやらあたしは、悪くはないけど変な人に捕まってしまったようです。
出演キャラクター:トーゴ