プロローグ 冤罪
俺、城崎絢人は、ただの一般的な高校二年生である。
そう前置きしないと、今現在行われている『それ』に対して目眩がしそうになるからだ。
二度目となるが、俺の名前は城崎絢人、これまた二度目となるが平凡な高校二年生。通っている高校は家から徒歩十分程度の近場、成績は良くもなく悪くもない、これといった特技もない。親に掛ける負担を極力減らす為、近場の、それも公立高校に通っているのだ。
中学は親からの推薦もあって剣道部に入っていたが、中学二年の夏に退部。
理由はこれといって無い。ただ単に単純作業の繰り返しに飽き飽きしただけだ。
そう、俺はかなり怠惰で、それ以上に物事に対して執着しない人間。
世界が平穏で、周囲が平和、俺が平凡なら、例え誰某がどうなろうと関係ない。
なんて、思っていたのだ。
しかしだ、世界は中々に酷な事をしてくれた。
俺の通う学校で、いじめが横行していたのだ。
別に数十件単位で起きているわけではないが、いじめは量ではなく質だ。例えイジりに近い行為であっても、されてる側がイジメと感じればそれはイジメである。何十人で一人をイジめようが、一人二人で一人をイジめようが、結局それはイジメであり、謂わば不変の事実だ。
つまり、一見して大したこと無さそうな事件でも、渦中の人間からすれば大惨事。
かといって、俺はイジメを止める勇気もない。する勇気もないが。
だが、目の前で事件が発生していて、何もしないというのは中々に歯痒い。
俺は見かける度に先生へ逐一報告した。当然、報告したのが俺だとはバラさない約束で、だ。
先生は目の色を変えて毎回駆けていく。だが、経過はあまり宜しくないようである。
日を追っていく毎に、イジメられている当人は少しずつ痩せこけていった。
その生徒は、クラスの中で悪い意味で浮いていた。
友達も居らず、人とも話さず、前髪で顔を隠して、とにかく自分自身を見せなかった。
だからこそ、野蛮な連中にターゲティングされたのだろう。
斯く言う俺は、スクールカースト中堅的立ち位置のグループに混ざっていた。
勿論、平凡を好む俺は、上位カーストに食い入ろうなんて思惑はない。
俺は自分に出来る最善を尽くした、いや、それは少し違うか。
これは偽善だ。俺のやっていることは、見て見ぬ振りの他力本願に過ぎない。
一歩を踏み出せない、踏み出さない。近寄らず、離れない。
全くもってくだらない生き方だ、と俺は心底自分を馬鹿にした。
だから、あの時あんな事をしてしまい、結果俺はこの場に居るのだろうか。
そんな回想を打ち砕くように、カンカン、と鋭く木槌を叩きつける音が、響いた。
そう、ここは『法廷』、そして俺は容疑者。
罪状は『森山幸仁の殺害』、森山幸仁とは、イジメを受けていた生徒だ。
だが、勘違いはしないで頂きたい。俺は彼を殺していないし、殺す理由もない。
冤罪、イジメを行っていた当人達に、俺はハメられてしまったのだ。
「此度の事件において、容疑者である城崎絢人は、被害者である森山幸仁を殺害。その後、四肢を切断し、山中へ隠蔽。加えて、殺害現場を覗いた同じ学校の生徒に危害を与え、脅迫した」
法廷なんてとこに入るのは、人生に一度あるかないかだ。
まさか、起訴される側で入ってしまうとは、全くもって予想外だった。
尚も裁判官は言葉を続けた。
「これらの事件を統計して、容疑者である城崎絢人には、精神に異常な疾患があると判断出来る」
それは俺じゃない。今法廷の中に居て、この場に立つ俺をニヤニヤと見ているヤツらだ。
森山を殺害し、バラバラにした挙句、自分達が怪我を負って、被害者に成りすます。
「……違う」
「では、容疑者城崎絢人、これだけの証拠がありながら、何処に弁明の余地があるのか」
そう言って出されたのは、ベットリと血のついた俺の普段着。
また、凶器と思しきサバイバルナイフ。そのナイフに付着していた俺の指紋。
確かに科学的な証拠は出揃っているが、俺には唯一無くてはならないモノが欠けていた。
殺害する動機、理由である。
「……何度も言うが、俺じゃない。確かに証拠は出てしまっている、だがそれは、ハメられたんだ。今法廷の後ろでヘラヘラと笑っている、怪我を負って被害者の皮を被った殺人鬼にな!」
「それは有り得ない」
振り返ってヤツらを指さした俺に、冷徹な検察官の声が響く。
俺を庇護する立場にある弁護士は、苦悶の表情を浮かべており、役に立ちそうにはない。
検察官は、重そうな資料を片手に持ち、ペラペラと捲ってこう語った。
「事件時、被害者である森山幸仁と出会っていたのは城崎絢人ただ一人だ。彼らは第一発見者で、城崎絢人が森山幸仁を殺害する所を目撃している。その後逃走するが、通報されて捕まった。その場には君と森山幸仁の靴跡や指紋が沢山残っていた、これでもまだ彼らが犯人だと言うつもりか」
「俺はその場に呼ばれたんだ。ヤツらが珍しく俺の事をわざわざ迎えに来てまで呼び出した、そして俺はその惨状に放り出され、その後通報された。勿論疚しい事ななんて無かった、だけど、ヤツらの一人に蹴り飛ばされて服に血がベットリついた状態で話しても、誰も信じないだろう」
「君から押収した服、先程証拠として挙げられたモノだが、蹴り飛ばした際に着くはずの下足跡は全くもって残っていなかった。とうとうボロが出たな」
検察官は勝ち誇ったような表情で、ふん、と軽く俺を鼻で笑った。
違う、ヤツは無地の白いソックスで俺を蹴ったんだ。足跡なんて付くわけもない。
その上、俺は派手に転んだせいで背中まで血が付着した。
こんな状態で、俺を蹴り飛ばした証拠を立証するのはまず不可能。
「(……くそったれが)」
打開策はない。甘んじて結果を受け入れる他、手立てはないだろう。
本来なら暴れてでも意見を通したいところだが、それは逆効果だ。
ふと、森山が殺害される前日に、最初で最後に森山と会話した事を思い出した。
『城崎君、だったかな』
『そんな君は森山君だろ』
『そう、僕の名前知ってたんだ。意外だなぁ、僕イジメられてるから、逆に目立ってるのかな』
『……ここだけの秘密だが、俺はヤツらの行動を逐一先生に報告している。ヤツらにターゲティングされている君の事を知らない方がおかしい』
『え……?』
その時の森山の表情は、嘘だ、信じられない、と言った感じだった。
だが、それは驚愕ではない。まるで、知りたくなかった事実を認められたような、そんな表情。
言わないで欲しかった、そう言いたげな、悲しい表情。
『イジメに耐えている森山君は、すごいと俺は思う。別に褒められた事じゃないけど、そうやって耐える事が出来る人って、やっぱり後々有利かも知れないな』
『あ、城崎君…』
『悪いな、こんな事しか出来なくて。こうやって、裏方から何かする事しか、できなくて』
これ以上話していたら、ヤツらにバレるのではないか。
そんな恐怖感に支配されて、足早に俺はその場を去った。
だが、多分、それはもう既に遅かったのだ。
森山幸仁と、事件前日に城崎絢人が話す。
これは、ヤツらが書き上げた、俺に罪を着せる為のシナリオ。
森山を暴力で脅し、先生へ報告する偽善者を捕まえる為の、醜い罠。
「(そう知ってて、いや、そうなるかもって思いながらも、俺は話しかけた)」
何だかんだ言いながら、結局俺は『人間』だったんだろうな。
言い逃れも出来ない、冤罪は立証されて、俺は薄暗い監獄行き。
そう思っていた時だった。
カンカン!
鋭く木槌が叩かれ、俺も含めて法廷内の全員が裁判官に注目の眼差しを向ける。
「容疑者城崎絢人は……有罪である! また! 此度の事件における人格的な部分の異常性、加えて平気でクラスメイトを手にかけ、剰え脅した友人を罪人に仕立てあげようとしたサイコパスとしての資質を含めて、重刑である『異世界流刑』を言い渡す!!」
その時、俺は感情が消えた。
『異世界流刑』とは、死刑と同じ位置に存在する重刑である。日本で死刑は行われないので、最も重い刑罰は無期懲役だが、『異世界流刑』はそれとほぼ同義だ。全く違う世界へと葬られ、そこで無残に時の流れに晒されて骨となっていく、ただそれだけ。
刑罰に関しての明細が無い為、色々な噂が飛び交っている。
殺人鬼同士を殺し合わせる為の言い訳や、罪人を始末するという意味の隠語、といった感じだ。
俺は振り向かなかったが、それでも分かった。
ヤツらは今俺を見て笑っているだろう。森山を手にかけ、平然としているヤツらの事だ。
全くもって計画が破綻した。平和平穏平凡のスリーワードが俺のモットーなんだが。
俺は最後の抵抗として、法廷を仕切っている木柵を飛び越えた。
勿論、予想外の行動にその場の誰もが呆気に取られた。
俺は。
「この……殺人鬼がァァァ!!」
ヤツらに飛びかかり、全員の顔面を殴った。
歯が折れたかも知れない、頬骨が折れたかも知れない。けど、関係あるものか。
アイツは死んだ。殺されて、挙句犯人が目の前に居る中、捕まえられずにいるんだ。
別に森山と俺は仲良くはない。話したのは一回だけだし、クラスメイト程度の関係。
それでも、腹が立つものは、しょうがないじゃねえか。
「森山が何したってんだよ! アイツがお前らに危害を加えたってのかよ!」
「と、取り押さえろ!!」
検察官は上擦った声で近くに居た黒服の男達に指示を飛ばした。
直後、俺は腕を取り押さえられ、そのまま引っ張られる。
「ざっ……けんな! 離せ!! 何ヘラヘラしてやがんだよ! くそったれがァァ!」
叫んだ。心の底から叫んださ。もう、俺が行き着く先は知っていたから。
もう俺は日の目を浴びる事はない。俗に言う娑婆に出ること、はないのだ。
だったら、せめてもアイツらに一矢報いてやるのが、死んだ森山への礼儀じゃないだろうか。
暴言を吐いて、暴力を振るって、これじゃまるでヤツらと変わらない。
それでも、俺は正しい。無抵抗な森山を無残に殺したアイツらを、殴る権利はあるはずだ。
「こ……のッ!!」
「くッ! 犯罪者風情が、調子に乗るな!」
ガッ、と俺は首筋に手刀を入れられた。
漫画なんかでよくある光景だが、これは実際思いの外人体に有効なようだ。
「がはッ…!」
肺から空気がごっそりと抜け落ちて、俺の意識が朦朧としていく。
立ち上がったヤツらの一人は、傷だらけになりながらも、こっちを見て笑っていた。
「(く……そが…!)」
長く続く最果てまでの混沌、その真っ暗な闇を落ちていくように。
俺は瞼を閉じて、静かにその場で意識を失ったのだった。