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try-a gain  作者: 856
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#1 結成前夜

全十回くらいの規模で構成を考えている作品です。完結させるのは勿論の事、物語の醍醐味について実践的に学習すべく心がけたいと思っています。

 夕暮れの時間には決まって、辺りは足音一つも聞こえてこない無音と化した。

 窓に当たるものが何一つ取り付けられていないので、ここでは美しい夕日を拝むことも叶わない。

 景色も音もない。それは本当に辛いことだと実感する。

 ここには心を照らし出すような情景が一切存在しない。あるのは殺風景な石造りの床と壁、それに狭い空間を仕切るための、冷えきった鉄柵のみ。

 罪を犯した人間に与える仕打ちならば、この冷徹な空間にほんの少しの間だけ閉じ込められるだけでも、それだけで心を凍てつかせてしまうように思える。もう長いこと、単に地下の気温が低いだけではなく、自然と、胸の間を冷たい風が通り過ぎていく気がするのだ。

 そんな空間の中に、もう長いこと一人でいた。

「どうして私が……?」

 口を出た言葉は、何度心の中で呟いたかわからない。

 私は罪人ではない。

 私は使命を帯びてこの地に赴いてきたのだ。生まれの国ウーラインを代表し、和平の道を共に見つけるべく、交渉のためにやってきた特使だ。

 だが、いざ来てみれば、たった一日でこの有様である。

 たしかに交渉の席には着いた。相手側も相応の役職に就く人間で出迎えてきた。彼ら一人一人と挨拶を交わし、最初に私は両国間の主な課題を並べていった……そう、ここまでは順調だったと思える。

 この国は長年、他国に対し排他的な態度をとっていた。理由について諸説あることも私は念頭に入れていたし、それを払拭するための方法をあれこれ考えもしていた。あとは相手の話を誠実に受け止め、その上でお互いが納得のいく意見を考えていく。それですべては上手くいくと、思えば私は勝手に考えていたのだろう――

「――食事を持ってきたぞ」

 ぶっきらぼうな野太い声が、急に私の耳に飛び込んできて少し驚く。

 目元まで覆う、どう見ても戦闘用の鉄兜を身につけた看守だった。今しがた発した声も、脳裏に反芻してみれば、かなり若いようにも思える。この国の若者には、やはり兵役が課せられているようだ。

 鉄柵と床の小さな隙間から、四角いトレーに載せられたパンとスープが押し込まれた。見た目は普段の食事と遜色ないが、あまり香りがしないのはスープが冷めているからだろう。

「ありがとう。助かります」

 囚われの身が、こんなことを言う――とんだお人好しだと思われてもおかしくないが、それでも本心から感謝していた。

 看守の男は特に意に介する様子もなく、さっさと行ってしまった。

 人に見られていては気が散ると思って、早く行ってくれたのかもしれない。そんなことを考えながら、私は固い寝台の上にトレーを持って座った。顔を近づけてみると、わずかに小麦とコーンの香りが鼻腔に触れた。

 食事は孤独を紛らわせるには最も適していた。空腹を満たすには十分な量であるし、風味をしっかりと味わっていれば、その間は孤独を感じないで済む。

「いただきます」

 そっと手の平を合わせて目を閉じた私は、その動作をテーブルに集まった家族一同が倣う光景を思い出して、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。

 ――帰りたい。優しい父と母、元気な弟が待つウーラインの家に。

 ちょうどその時、看守が地下の各所に明かりを灯しはじめているようだった。鉄柵の向こうに長く続いた廊下が、少しずつ温かな火の光に包まれていく。それを見て私は、今日もまた夜が来たのだと知ることができた。

 晩餐を終えて、空になった容器を隙間の外に出しておいた私は、それから少しの間、家族が無事に夕食を迎えているだろうか心配になって、寝台の上で祈った。

 けれど、弟はまた遅くまで帰ってこないのでしょうね、と思い浮かべて、困った子だわね、と苦笑してしまった。

「あまり母さんと父さんに迷惑かけちゃいけませんよ、テオ」


●【ウーライン北東:ホーナー家前】


「戦争沙汰じゃないか!!」

 大凡、納得のいく話ではなかった。

 こればかりは思わず我慢ならないで、テオドールは柄にもなく怒鳴り声を上げていた。

 両親に反抗することはしょっちゅうだが、暴力を振るったり、大声で喚くことは自分自身に禁じていた。十一歳の時、学校で上級生と喧嘩になって、仲裁に入った姉に怪我を負わせた時から、それだけは絶対に破らなかった。命を賭けて誓うと心に決めたのだ。

「家の前でそんなことを軽々しく言うな!」

 父は厳しく制したが、その表情がとても苦しげなのを見れば、内心でどう思っているのかぐらいはわかる。

 それが、テオドールにとって悔しかった。

「テオ、あなた!」

 母が二人の間に割り込んで入った。

 冗談じゃない、と両親に言ってやりたいところだったが、その瞬間に母と姉の姿が重なったように見えてしまい、言葉は喉をつっかえた。

「……もう、私たちがどうこう言えることじゃないんですよ」

 振り絞るように声を漏らす様子が、母もまた、忍耐の限界に来ていることを伝てきた。

「あぁ、分かっているさ」

 言い返したのは父の方だった。ぐっと押し殺した声で、息子と同じように、怒りと悔しさをやり場もなく抱え込んでいた。しばらくして、父はうなだれて家の中へと入っていった。激論に夢中になってしまい、気がつけば家族全員が家の前に飛び出していた。

「テオも早く上がりなさい。今日は珍しく早めに帰ってきてくれたんだから、家で家族そろって夕ご飯にしましょう」

「……『家族そろって』ね」

 母には聞こえないよう、小さく呟いた。皮肉のつもりで言ったわけではない。むしろそれは自分自身に言って聞かせたかった。散々自分の都合で夜遅くまで家を空けて、久しぶりに早く戻ってきたと思ったら、この状況なのだから。

 ――俺はなんて情けない男なんだろう。

 何度となく心に突き刺さった言葉だ。それをまた体験することになるとは。

「テオ、来なさい。別にお前は悪くないんだ」

 玄関の中から父が言った。その言葉で、ようやく自分が許されたような気がして、テオドールは家の中へ歩んでいき始めた。夜風が少しきつく吹いていて、テオドールの髪をくしゃくしゃに煽り立てていった。


○【ホーナー家:ダイニングルーム】


 母は知らない間にテーブルクロスを白いものに変えていた。そのせいか食卓が以前より明るい雰囲気になったように感じる。

 姉は母のこうした面を色濃く受け継いだのかもしれない。よく目を凝らさないと気が付かないような、些細なことにも配慮を忘れない。

 その姉が、今日は食卓にいない。

 弟とは違って、姉のグレイスが食事の席についていないことは一度もなかった。今年の秋に急遽、政府からのスカウトが決定してからも、グレイスは半年間、夕食は必ず自宅でとるようにしていた。弟が帰っていようとなかろうと、彼女の方は毎日欠かさず家族と過ごすように心がけていたらしい。

「――シチューの味が変わったかな」

 父が首をかしげていた。見かねて母が気まずそうに答えた。

「グレイスの作るシチューって、すごく再現が難しいのよ。ほら、あの子って昔から甘党でしょ? 砂糖じゃなくて、いろんな調味料を足して甘みを作るのが本当に上手なの」

「僕はこっちの味が馴染み深いね」

 唐突にテオドールが口を開いたので、両親は驚いて彼の顔を見た。

「……母さんの料理ならよく覚えてるよ。姉さん、たしか僕が帰ってこなくなったから、家に誘おうと思って料理始めたんだったろ?」

 二人はそれを聞いて、じきに安堵の表情を浮かべた。テオドールの方は、次第にばつが悪くなって俯いてしまったのだが。

「えぇ。そうだったわ、たしか」

「そしたら、いつしか母さんよりも腕を上げてしまったのか」

 父が皮肉っぽく指摘した。

「子どもは物覚えが早いんですよ。もう私の年じゃ、敵いっこありません」

「比べたわけじゃないよ」

 ははは、と父の穏やかな笑い声が響いた。母はつられて同じように笑って見せたが、テオドールは依然として俯いたままだった。二人は顔を見合わせて、必要以上に思いつめた様子の息子の心中を察そうと努めた。もう彼の意識は昔のように単純なものではない。母だけはそのことを半ば本能的に察知できていた。

 テオは、行動に反して繊細な心の持ち主だった。自分の思ったことを、じっと心の中に押さえ込んでおく習性があるのだ。それは父も同じだった。父は社会に出てから、苦心の末にその性質を矯正したようだったが、年端も行かない子どもが容易にできることではない。

 思い悩んで、自力では答えを出せないまま、わだかまりを消したいという暴力的な衝動につい駆られてしまう。

 父が大人の世界に馴染んでいけば、それに対応するかのように息子も悩みを抱えていくようだった。

 年の離れた姉にしても、そんな気難しい弟の面倒を見てやろうという使命感が強く、そのことが逆に弟のプレッシャーになっていったことを家族が察するには、彼女があまりに出来すぎていた。

 ――きっと、それぞれの苦難を乗り越えることができた家族に、合わせる顔がないと思っているのだ。

 そのことを母のベルが知ったのは、テオが十一歳の頃、首元から血を流したグレイスを家に連れ帰ってきた時だ。二人とも蒼白な顔をして、意識が朦朧としていたグレイスより、脂汗を垂らして怯えた様子のテオの方がよほど深刻とすら思えた。

 その日以来、テオはよく家を留守にするようになった。

 そんな彼が、ようやく帰ってきてくれたことは素直に喜ぶべきことだった。夫もどうやらそれは受け入れられている。似たもの同士だからか、夫と息子は独特な感情を互いに持っているように感じる。血のつながり以上に、強い因縁が通い合う関係なのだ。家の女はそれを上手くわかることができず、かといって当事者たちに任せっぱなしにしておくこともできない。

 皆、困った者同士。でも、それが家族なのよね、とベルは思った。

 テオも、夫も、そして――きっと息災でいてくれると信じて――誰もが今はつらい時期なのだ。そのことをわかってくれているだろう、と、見ない間に一回り高い位置になった息子の顔を見て、考えた。

「さぁ、あまり話に耽っていても埒が明かないわ。冷めないうちに食べてくださいね。――あ、テオ。おかわりなら私がやってあげますよ」

「……うん」

 少しだけ上機嫌そうに聞こえた返事を聞いて、やっぱりまだ子どもだわ、と思い直した。


○【テオ:自室】


 ――姉が拘禁された。

 しかもそれは、この国でのことではない。

 《プロメスティカ》という地名だけなら記憶していた。ここから西側にあるクレーターの中に建設された要塞都市国家の名前だということは、今日の昼、やたら興奮した雰囲気の人だかりを作っていた商人から聞いて初めて知った。

 元はといえば、今日はその場所で大事な出来事があった。晴れて外交官になった姉が、和平の使者として赴くという大役を頂いていたのだ。そんな馬鹿な話があるか、とテオドールは最初耳を貸さなかったが、どうも冗談ではないらしいと気づいたのが、つい数時間前だった。それではあまりに遅すぎた。

 《プロメスティカ》は排他的な国家だと長年言われていた。周囲はクレーター跡を利用した巨大な外壁に覆われ、他国の者をまったく受け入れようとしない。その名前すら、国名なのかどうかも怪しい代物であった。

 文化が伝わってこないのだ。

 交易を許されたという商人もいまだほとんどいない。機会があったとしても、それはすべて外壁の外で行われるのだという。

 世代交代を果たして、若い人間を送り込めば応じてくれるのではないか、というウーライン政府のもくろみがあったかどうか知らないが、ともかく聞いた話では、姉は受け入れられた。……と思いきや、中に入ってから何か問題が起こったらしかった。

 問題に巻き込まれている人間の、仮にも実の弟ともあろう間柄の人間が、それを人伝を辿った範疇のことしか知らないのだ。自分を恨む以上に、意味がわからず、テオは憤慨した。

 今は二階の自室にいた。階下ではきっと両親も姉のことを話しているだろう。

 父も政府の役人だから、知らないはずはなかった。

 今夜の、父のひどく思いつめた顔は、どこかに駆けつけたいのを必死に抑えているみたいだと容易に読み取れた。家族には仕事の話をあまり隠さず、身近な人間として意見を聞きたい、とむしろ積極的に振ってくる父だ。それは鬱陶しいことこの上ない光景だが、今日、その話をしないということは、何かが不自然だった。

 母は母で、不穏な雰囲気を作るまいと張り切っていたようで、露骨だった。絶対になにかを知っている。

 これでは蚊帳の外だ。

 家族じゃないか。

 なぜ僕は知らないままだったんだ。

 ……そうだ。何より、誰より、自分自身が一番許しがたい。何も知らないままでいた償いはしなければならない。


○【ウーライン北東:ホーナー家前】


「へぇ……やっぱり高給取りの家はどこも雰囲気から違うね」

 北の方角に見える一軒の屋敷は、いかにもな、という具合に思えてくる。

 冷たい風が、そう呟いた人物の、後ろで一つにまとめた長いブロンドの髪をなびかせる。すっかり日の沈んだ夜闇の中でも、それはまるで内側から光を放つようにゆらゆらと宙を舞う。

 その視線は、挑発的だった。

「親と姉貴がそろって役人だったら、そりゃあ息子のほうは好き勝手できるでしょうに――」

「これから会いに行くというのに、その言い方はあんまりだぞ」

 背後から嗜めた男の声に、その人物は、はあ? と呆れ返った返事をした。

「だーって、実際あんなのプー太郎じゃん? 噂なら街でしょっちゅう聞くよ、『いけ好かない金持ちのボンボン』ってさ」

 今日だって、ここに至る道中わずかにその名を聞くことがあったのだから。

「さて、その心中や、どうでしょうな」

 別の男が会話に入った。先の男の声より、少しばかり浮ついた雰囲気にも思えなくないが、どことなく知的な響きがあった。暗闇にうっすらと浮かぶシルエットは、三人の中で最も高い。

「帰宅してそろそろ身内の間でも一悶着終わった時間のはず。呼び込むなら今が絶好のチャンス――そうでしょう?」

 その解説も、飄々とするあまり他人事じみて聞こえた。

「……どうだか」気に入らず、吐き捨てるように言う。様子がおかしい。

「フレア、お前どうした? さっきから彼を親の敵みたいにして」

 老成した男の声が尋ねた。温和だが、異論を許さない貫禄がある。そして諭すように努めると、まるで年配の教師が語りかけてくるように、かえって相手を睥睨してしまう雰囲気があった。

「……さては前にも会ったことがあるな」

「おぉっと、まさかの因縁の再会ってわけかな?」長身の男も軽快に混じったが、今度は知的さの欠片もない、悪乗りの囃し文句だった。

「お前は黙ってろ、ハドソン」便乗した長身の男にも容赦なく言い放った。へいへい、と潔く萎縮する。

 二人がかりに子ども扱いされたと思ってむっとしたのか、フレアと呼ばれたブロンドの髪が忌々しげに、ぶん、と震えた。二人の男を引き離して進むにつれて、徐々にその姿が屋敷の明かりに照らされていく。

 一瞬、険しく引き締まった横顔は、光の中に映る人影を垣間見て、じきにぎらぎらと熱を帯びていくようだった。

「――あたし、あいつに殴られたことがある」

 ひどく興奮した、紛れもない少女の声だった。

読者の方に想像させる、ということを念頭に入れてはいるのですが……それがなかなか難しいんですよね。

次回の投稿はなるべく年内中にしたいと思っています。感想、批判も受け付けていますので何なりと。

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