3.ムーンサルトプレス
殿下は私が一時の乱心から覚めたと思ったのだろう無防備に背中を見せた。
その隙を見逃す訳にはいかないじわじわと這い寄ると股間を軽く蹴り上げた。
膝をついた殿下の背後から満面の笑みを浮かべて私は立ち上がった。
股間を抑えてうずくまる殿下の背中にガシガシと蹴りを入れる。
視界の端に殿下の指示で動きを止めていた衛兵が駆け寄ってくるのが見えた
ここまでか…やりたい事をやったとは言いがたいが悪役の意地は見せた。
「手出しは無用!」
ホールに低くよく響く声が響いた。
背が高い190くらいあるんじゃないだろうか年齢を感じさせる白髪、60歳くらいの大男だった。
「し、将軍…」
そう言うと衛兵たちは困ったような顔をしながら足を止めた。
「王家の男が女にやられたままでいる筈がない!そのまま見ていろ、殿下が自らの手で裁きをその女に下す!」
チャールズの股間はそれほど強く蹴られたわけではない痛みは引いてきた、背中に暴行を受けながら考える余裕すらある。
彼は王子である私に侯爵令嬢である彼女がなぜ、自らの手で暴行を続けるのか考えていた。
背中が蹴られる、痛くないと言えば嘘になるが見た目ほど痛くもない攻撃だ。
以前、乗馬の際に股間を打ちつけた者が背後から腰を叩かれていたがちょうどその辺りを蹴ってくる。
いくら女といえど本気で危害を加えるつもりならばもう少しやりようがあるだろう。
何故将軍が衛兵を止めたのか? 何故彼女がこんな事をするのか?
蹴られながらも立ち上がった私は彼女を振り払った。
振り返った私の胸元に手刀を叩きつけてくる。拳ではなく手刀、急所ではなく胸元。
大きな音を立てるが見た目程のダメージは無い。
フレアが両手を拡げて手招きをしながら攻撃を誘っている。
拳でやり返しては負けた気がして誘われるように胸元に手刀を打ち返す。
彼女は踏ん張ってそれに耐える。
「頑張って下さい 殿下!」
「殿下 やっちゃえー!」
観衆から女子生徒の声が、これは私を応援する声か!
チャールズ・リーガル、第一位皇位継承者、幼い頃から聡明で優秀だった。
だが全てにおいて卒がなく生真面目ではあるが故におとなしくつまらないと言われていた。
若い頃、時に先頭で戦場を駆け巡ったとされ豪放磊落で知られた現国王に比べられるのも酷な話だが。
幼い頃はそうでもなかったが最近は出来て当たり前といった風潮で声援など受けたことはなかった。
そう言われていた彼に対して会場中の来賓が同級生が兵士があらゆるゲストが声援を送っていた。
(これは何というか…快感だ。)
会場中の声援に気をよくしていたチャールズの胸元に手刀が叩き込まれる。気を抜いていたので足元がよろける。
会場から学園の子女だけでなくゲストのご婦人からも悲鳴が上がる。私を本気で心配してくれている、真面目なだけでつまらない王子と言われた私を…
将軍は悩んでいた。
だが彼女は王国一の智謀として知られた宰相の娘だ、あの奇想天外の策を用いる男から何か言い含められこの行動を起こしているのではないだろうか?
今にも殿下と彼女の間に入り取り押さえに向かおうとする近衛の連中を静止し続ける。
ゲストで私が参加することは知っている筈だ、私がこう動くこともあの男は織り込み済みなのではないか?
フレアはふと我に返る…生まれ変わる前からトンパチ娘と言われてきたがとんでもない事をしてしまった。
悪役として舐められるわけにはいかないと暴走してしまったとはいえまさか殿下の急所を蹴り上げた挙句、チョップのやり取りをしている。
すぐに取り押さえられるかと思ったらあの老将軍止める所かなんか協力してくれてる…何を勘違いしてるんだろうか?
数度のチョップの応酬の末、肉体の差が表れてきた。
チャールズは細身ではあるが王族ながら軍隊の訓練にも参加して鍛えてきた。かたやフレアは生まれ変わる前のように鍛えた身体では無い。男女の体力差が徐々に現れて崩れ落ちる。
反撃が出来なくなりフレアは吹き飛ばされる様にテーブルにもたれかる。
力なくテーブルに沈み込むフレアに観衆から悪の令嬢を倒せと声が上がる。
「その魔女を倒してください殿下!」
カリーナも熱狂の中にあり声を上げた。
今日、この会場にエスコートしてきた相手の声援にチャールズはフレアに背を向けて手を振った。
それは大きな隙になる…
殿下も私につきあってくれている?
露骨なまでの隙だが私はフラフラになっている身体に鞭を打ち殿下の腰にしがみついた。
隙はわざと見せた、チャールズはフレアが何をするのか楽しみになっていた。
あろうことか彼女は彼を持ち上げようとしていた。
無理だ女の細腕で持ち上がる筈がない、振りほどくように身体を震わせた彼に彼女は小声で言った。
「顎を引いて」
まさかと思ったが身体に身体を寄せて乗せるようにして持ち上げられる。
ゆったりとした動きでそのまま後ろに叩きつけられた。
会場が悲鳴に包まれた。
まさか細腕で持ち上げられるとは思わなかった。投げ飛ばされるとは思わなかった。
呆然としていると
「チャールズ殿下 立って! 立ってー!」
「殿下負けないでー!」
悲鳴とも声援ともつかない声で会場は包まれる。
固い床の上だが事前の受け身のアドバイスもあり大したダメージは受けていない。だが悲鳴交じりの応援が心地よい立ちがる気にならない。
もそもそとフレアはテーブルの上に登り始めた。
ここまでしている彼女に淑女がはしたないとかおかしな事を思いながらその様子を倒れたまま見ている。
次は何を見せてくれるのか。
興味深げに見入っていると彼女は背中を向けたままジャンプをした。
空中で身体を縦に回す、ドレスの裾が蝶の羽のように舞い、弧を描く動きに美しいと感じてしまった。
落下してくる彼女と目が合う、仮にも婚約者であったフレアとまともに目を合わせたのは何年前だったろうか。
悲壮感を少し含んだ笑顔に目を奪われた私の胸に彼女は落ちてきた。
胸にドンとした衝撃があり床を挟まれた背中も少し痛んだ。
フレアは…もっと痛そうだった。
固い床に弧を描いた勢いそのままに膝を打ちつけたのだ、それをやる前から彼女は分かっていたのだろう。
あの悲壮感を含んだ表情はこういう事だった。
膝の痛みを堪えながら彼女は私の両足を抱えて押さえ込んだ。
会場は悲鳴に包まれていた。
私は床で痛打した膝の痛みを堪えながら片エビ固めで抑え込む。
「ワーン!」
フレアは勝手に3カウントのコールを始めた、この世界ではレフリーもいないし肩をつけて3カウントを取ることに意味はない自己満足だ。
王族相手にここまでやったのだ追放では済まないかもしれない例え処刑されるにしてもやることはやってやった。
「ツー!」
私の身体を丸めて押さえつけながらフレアは謎のカウントを始めた。
バタバタと身体を揺らして振り解こうとするが力がうまく入らない。
…決して彼女の豊満な胸に気を取られていたわけではない。
この行為にどんな意味があるか分からないが何となく良くないことになるような気がする。
「スリ…」
フレアがカウントを3つ数える直前に吹き飛ぶ。
将軍の指示を無視した騎士見習いの1人が彼女を横合いから思い切り蹴り飛ばしていた。




