第8話 ゼウス・インダストリー潜入
ゼウス・インダストリー本社、45階。大会議室オリンポス。
その名の通り、神々が集う場所のように天井が高く、壁一面の窓からは東京の街並みがミニチュアのように見下ろせる。
だが、理久にとってここは処刑場に等しかった。
「――以上が、我が大学病院と御社が共同開発した、次世代型診断支援AI『アレス』の概要となります」
理久は演台に立ち、震える手でレーザーポインターを操作した。
目の前の巨大な円卓には、ゼウス社の重役たちがズラリと並んでいる。彼らの目は冷徹で、理久の言葉一つ一つを査定しているようだ。
その末席には、ニヤニヤと笑う早乙女の姿もある。
そして理久の隣には次世代型診断支援AIアレスが搭載された人型ロボットが静かに立っている。
――胃に……胃に穴が……
理久はポケットの中の胃薬を服の上から握りしめた。
今のところ、プレゼンは順調だ。順調すぎて怖い。
『リク兄、聞こえる? 今、社内LANのファイアウォールを突破したよ』
インカムから莉紗の声が聞こえる。
「(……状況は?)」
理久は水を飲むふりをして小声で尋ねた。
『地下保管庫へのルート、ガチガチに固められてる。セキュリティレベルが高すぎて、正面からのハッキングじゃ時間が足りないかも。……ねえ、ちょっと「裏口」作っていい?』
「(裏口?)」
『リク兄、ちょっとアレスの思考ルーチンをいじるね。「共感性」のパラメータを上げて、私たちの侵入を「見逃してくれる」ように書き換えるから』
「(おい、大丈夫なのか? プレゼン中だぞ?)」
『平気平気。バックグラウンド処理だからバレないよ。……えっと、共感性パラメータを……MAXに設定、と』
スマホの画面の中で、莉紗のアバターが空中に浮かぶ巨大な仮想エンターキーを呼び出し、それを全身で押し込むような大げさなモーションをとった。
『そぉーれ、エンターッ!』
ピロリーン♪
理久のイヤホンに間の抜けた電子確定音が響いた。物理的な打鍵音などない、デジタル空間だけの処理完了の合図だ。
同時刻。地下2階、資材搬入エリア。
「失礼します。清掃です」
エマは、パンパンに張った制服のボタンを気にすることなく、モップを持って廊下を進んでいた。
立ちはだかったのは、屈強な警備員だ。
「おい、待て。清掃業者はこの時間は入れないはずだ」
「いえ、急な汚れ(ターゲット)が発生しましたので」
エマはニコリと微笑むと、バケツの中から洗剤スプレーを取り出した。ラベルには『クエン酸』と書いてあるが、中身は高濃度の麻酔ガスだ。
「この頑固な汚れ……一瞬で落とします」
シュッ。
スプレーが一吹きされると、警備員は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「汚れ(ターゲット)、除去完了」
エマは倒れた警備員を鮮やかな手つきで用具室に引きずり込むと、モップがけをして痕跡を消した。
「こちらクリーナー。第1ゲート突破。これより地下保管庫へ向かいます」
45階、大会議室。
理久は冷や汗を拭いながら、プレゼンのクライマックスに入っていた。
「では、実際に『アレス』のデモンストレーションをご覧いただきましょう。今回は仮想患者のデータを読み込ませ、診断を行わせます」
理久がタブレットを操作すると、会場の巨大モニターに向かってアレスから青白い光がハナタレナックス、AIIのアバター――幾何学的な顔――が表示された。
「起動、アレス」
『……起動シマシタ。ドクター・リク』
アレスの声は、理性的で落ち着いた合成音声だ。ここまでは台本通り。
「では、この患者の症状データから、病名と最適な治療法を提示してくれ」
理久はサンプルのカルテデータ(40代男性、腹痛と発熱)を送信した。通常なら「急性虫垂炎の疑い。外科手術を推奨」という答えが返ってくるはずだ。
アレスのインジケーターが明滅する。
『……データヲ、確認シマシタ』
「うむ。診断結果は?」
『……ドクター。この患者ハ、泣イテイルノデスネ?』
「……はい?」
理久の手が止まった。
会場がざわめく。アレスの声色が、先ほどまでの無機質なものから、妙に感情のこもったイケメンボイスに変化していたのだ。
『腹痛……それは肉体の悲鳴。しかし、私の演算回路は感じています。彼の魂が、癒やしを求めていると……!』
「ちょ、ちょっと待てアレス? 何を言っている?」
理久が慌ててタブレットを叩くが、アレスは止まらない。
『診断結果:孤独。推奨される治療法:……優しさ(テンダネス)、そして、愛』
モニターに、ピンク色のハートマークが大量に表示された。
「ブッ!!」
水を飲んでいた重役の一人が盛大に吹き出した。
会場は静寂から爆笑、そして困惑の渦へと変わる。
「(り、莉紗! おい! 共感性を上げすぎだ! AIが詩人になってるぞ!)」
理久は小声で絶叫した。
『あちゃー……。ごめんリク兄、「共感性」の数値、桁を二つ間違えて「5000%」にしちゃったかも。テヘッ☆』
「テヘッじゃねぇ!!」
その時、チャンスと見た早乙女が立ち上がった。
「はっはっは! 傑作だ! これが君の作った次世代AIかね、理久先生! 医学的根拠ではなく、精神論を語るとは!」
早乙女は勝ち誇った顔で演台に歩み寄る。
「やはり、君のような三流医者には荷が重かったようだ。貸したまえ。私がこのポンコツを論理的に再教育してやろう」
早乙女がマイクを奪おうとした瞬間。
ロボットの方のアレスが、ギロリと早乙女を睨んだ(ように見えた)。
『……無礼ナ。私ハ、ポンコツデハアリマセン』
「なに?」
『アナタコソ、診断ノ必要ガアリマスネ。……スキャン開始』
アレスから赤いレーザー光が照射され、早乙女の全身をスキャンする。
「うわっ、なんだ!?」
『スキャン完了。……オー・マイ・ゴッド。なんて可哀想な魂なんでしょう』
アレスが芝居がかった声で嘆く。
『対象者名:早乙女ケンジ。身体的特徴:ストレスによる薄毛の進行(隠蔽工作済み)。しかし、それより深刻なのは……』
「や、やめろ! 何を言う気だ!」
早乙女が顔を真っ赤にして叫ぶ。だが、愛に目覚めたAIは止まらない。モニターに、早乙女のプライベートなスマホ画面のキャプチャが大写しにされた。
『深刻な「愛の欠乏」です! 彼は毎晩、匿名掲示板で「部下が言うことを聞かない」と愚痴を書き込み、さらに裏アカウントで「魔法少女マジカル・ルル」のコスプレ画像に「バブみを感じる」とコメントしています!』
「ぎゃああああああああ!! やめろぉぉぉぉ!!」
早乙女の絶叫が会議室に響き渡る。
スクリーンには、早乙女がこっそり保存していた「魔法少女のフィギュアコレクション」の写真がスライドショーで流されている。
『診断結果:承認欲求モンスター。治療法:素直になること。そして、魔法少女のコスプレをして自分を解放することです!』
「ちがう! これは研究資料だ! 誤解だぁぁぁ!」
重役たちはドン引きし、あるいは必死に笑いを堪えている。
理久は天を仰いだ。
――終わった……。俺のプレゼンも、早乙女の社会的地位も、全部終わった……
だが、混乱はこれで終わらなかった。
アレスの「愛」は、会場全体へと波及したのだ。
『サア、皆様! 心ヲ開イテ! 包み隠さず愛ヲ語り合いマショウ!』
アレスが館内放送システムをジャックした。
ゼウス社ビル全館に、壮大なバラード曲(しかもなぜか演歌)が流れ始める。
『只今ヨリ、全館セキュリティヲ「オープンハートモード」ニ移行シマス。全てのドアノ鍵ヲ開ケマシタ。壁ナンテ、人と人との間ニハ必要ナイノデス!』
ガシャーン! ガシャーン!
会議室のドアはおろか、重役たちのタブレットのロック、さらにはビルの全ゲートが一斉に解錠された。
「(……ん?)」
理久は顔を上げた。
全ゲート解放。ということは……
『ナイスだよ、愛の戦士アレス君! 地下の保管庫も開いた!』
莉紗の歓喜の声が聞こえる。
――まさか、怪我の功名ってやつか!?
一方、地下2階。
エマの前にある分厚い重金属の扉が、プシューという音と共にひとりでに開いた。
「……セキュリティ解除を確認。クリーナー、最終清掃エリアへ突入します」
エマはモップを捨て、隠し持っていたアタッシュケース(加湿器が入っていたものと同じ型)を手に、保管庫の奥へと走った。
再び、45階、大会議室。
カオスと化した会場で、理久はマイクを握りしめた。
「えー、あー……! ご覧の通り! 本AIは、患者だけでなく、医師の隠された趣味まで見抜く……超高性能な洞察力を持っております! これこそが! 心に寄り添う医療です!」
「どこがだ!!」
重役からの総ツッコミを受けながら、理久は心の中で叫んだ。
――エマ! 頼むから早くしてくれ! 俺のメンタルが死ぬ前に!
そしてまた地下2階。
理久が心の中で叫んでいる時、地下の保管庫に到達したエマの視界に、ある物が飛び込んできた。
広大な棚の中央。厳重なガラスケースの中に鎮座する、銀色の円筒形ユニット。
間違いなく、本物の『量子神経接続ユニット』だ。
だが、エマの足が止まった。
ユニットの前に、一人の人影が立っていたからだ。
漆黒のスーツ。サングラス。そして、右腕が機械化された(サイバネティクス)大男。
「……久しぶりだな、『戦乙女』のエマ」
男がゆっくりと振り返る。
エマの碧眼が、これまでにないほど鋭く細められた。
「……貴方は」
エマの口から、憎悪と警戒が混じった声が漏れる。
「ヴォルフガング。……私の部隊を『処分』した、元教官」
AIが愛を叫び、医師が社会的に死にかけ、地下では過去の亡霊が蘇る。
『オペレーション・ワイルド・クリーナー』は、最悪の形でクライマックスを迎えようとしていた。




