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脳神経外科医真田理久―昼は大学病院の勤務医、夜は裏社会の科学技術者!スマホの中の電脳妹を現実世界に復活させるため、美女傭兵とともに世界を敵に回して活躍する!―  作者: ト音ソプラ
第1章 零下の取引と加湿器

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第1話 医者と傭兵とアバター

「お客様、申し訳ありませんが、もう一度よろしいでしょうか?」


 新千歳空港からほど近いレンタカーショップのカウンターで、店員の若い女性が引きつった笑顔を浮かべていた。


 無理もないことだった。彼女の目の前に立ちはだかっているのは、この場には不釣り合いな圧倒的な存在感を放つゲルマン系の女性――理久リクの護衛であるエマだからだ。


 20代半ばのエマは彫りの深い美貌で、輝くような金髪をポニーテールに束ねている。


 何より目を引くのはその肉体だ。身長は高く、厚手のジャケットの上からでも分かるほど豊かな胸と、女性らしい丸みを帯びた大きなお尻。一見すればグラマラスな美女だが、その実態は隙のない鋼のような筋肉の鎧で覆われている。


 彼女はカウンターに手をついて、その美しい上腕二頭筋が盛り上げ、店員を無言で威圧する。そして無表情のまま、カウンターに身を乗り出してさきほど言った言葉を繰り返した。


「ですから、対戦車ミサイルおよび生物化学兵器による汚染に対応した、車両免責補償のフルオプションを要求しています。なければ、タイヤがランフラット仕様の車両を用意してください」


「は、はあ……えっと、当店では『安心パック』で、こすり傷やへこみには対応しておりますが……対戦車ミサイルは……約款に記載が……」


 店員が助けを求めるように、後ろに控えていた理久をチラチラと見てくる。


 理久も限界だった。


 慣れない北海道という地、店内で晒される羞恥心、そしてこれから向かう先への緊張で、理久の胃にはすでに小さな穴が開き始めていた。


 理久はエマの肩を掴み、強引に後ろへ引いた。


 理久の身長は日本人男性の平均的な高さだが、長身のエマと並ぶとどうしても少し見上げる形になる。


「す、すみません! こいつ、ちょっとミリタリーオタクをこじらせてまして……! 普通の『安心パック』でいいです! 一番普通のやつで!」


「あ、はい! かしこまりました! では手続きを進めますね!」


 店員が逃げるようにバックヤードへ走っていくのを見届け、理久は深いため息をついた。


「エマ、頼むからやめてくれ。ここは戦場じゃない。北海道だ。観光客向けのレンタカー屋で『対戦車ミサイル』なんて単語を出さないでくれ」


 エマは不服そうに、整った眉をひそめて理久を見返した。


「理久先生。これは貴方の安全を確保するためのリスク管理です。我々の取引相手は『ヴォルク』。ロシア系マフィアですよ? 彼らがロケットランチャーを持っていない保証がどこにありますか?」


「ないよ! ないけれども! ヴィッツやフィットに防弾ガラスはついてないんだよ!」


 理久は頭を抱えた。

 理久は20代後半の、黒髪短髪に黒縁メガネをかけた青年だ。


 黒いロングコートの下に見える体躯は一見細身で、いかにも文化系といった風貌だが、その実、日々の密かなトレーニングによって無駄なく引き締まっている。表の「医師」としての激務と、裏の「仲介者」としての危険な任務、その両方を生き抜くために鍛え上げられた実用的な筋肉だ。


 普段は大学病院の診察室で患者と向き合い、診察や治療をしている。裏での仕事だってメールや通話での取り引きが中心で外に出ることは少ない。


 それがなぜ、有給休暇を使ってまで真冬の北海道に来て、マフィアと対峙する準備をしているのか。


 全ては彼のコートのポケットに入っているスマートフォン――そこに宿る『彼女』のためだ。


 ブブッ、とポケットが震えた。


 タイミングを見計らったかのように、スマホのスピーカーから、聞き慣れた、けれど少し電子加工された少女の声が響く。


『リク兄、エマの言うことも一理あるよ。今の店員さんの心拍数、通常時の1.5倍だったから、もし彼女がマフィアのスパイだったら嘘発見器に引っかかってるレベルだね』


 理久は慌ててスマホを取り出し、画面を覗き込む。


 画面にはナースキャップを被り、猫耳を生やした2頭身の少女のアバターが表示されていた。


 アバターの元となっているのは、理久の妹、莉紗リサだ。


 本来の彼女は20代前半の、小柄で胸もお尻も慎ましい、実年齢よりもかなり幼く見える可愛らしい容姿をしている。


 が、画面の中のアバターは、本人の趣味により、今日はあざといほどの「猫耳ナース」コスプレ姿である。


「莉紗、勝手に店員のバイタルをスキャンするな。プライバシーの侵害だ」


『プライバシーよりセキュリティでしょ。こっちはリク兄が生きて帰ってきてくれないと、サーバーの電気代が払えなくて消滅しちゃうんだから』


 莉紗は3年前の事故で植物状態となった。それ以後、理久の自宅にある特殊な生命維持装置の中で眠り続けている。


 脳神経外科医である理久は、莉紗の脳と外部演算装置を直結させることで、その意識だけをデジタル世界に退避させることに成功させた。


 いまでは莉紗は、スマホを通じて外界と繋がり、生身の肉体でいた頃よりも自由に生きている。


 だが、これはあくまで延命措置に過ぎない。植物状態となった肉体はそんなに長く持たない。5年程度持てば良い方だ。つまり、残された時間はあと2年――時間的猶予は少ない。出来だけ早く、回復させなくてはいけない。


 莉紗を本当の意味で「生きた人間」に戻すためには、デジタル化した意識を再び物理的な「器」――新しい脳と体――に定着させる技術が必要だった。


 そのための鍵となるパーツ。『量子神経接続ユニット』


 それを今夜、この北海道の港で裏取引されることになっていた。


「消滅なんてさせないさ。そのために俺は医者の倫理ギリギリ……いや、完全にアウトな橋を渡ってるんだからな」


 理久は小声でスマホに囁く。


 理久の医者としての高給も、裏の仕事で稼いだ報酬も、すべて莉紗の維持費と今回の取引資金に消えている。


『うん、期待してるよ、リク兄。……あ、店員さんが戻ってきた。すごい顔でこっち見てる』


 莉紗の言葉通り、車の鍵を持った店員が、不審者を見る目――いや、「関わってはいけないヤバい客」を見る目で戻ってきた。


「お、お待たせいたしました……。お車、軽ハイトワゴンになります……」


「ありがとうございます。……ほら、行くぞエマ」


 理久は鍵を受け取ると、逃げるように店を出た。


 自動ドアが開いた瞬間、頬を切り裂くような冷気が襲ってくる。外は東京から来た理久の感覚からすると猛吹雪だった。北海道ではごくありふれた天気なのかもしれないが。


「先生」


 雪の中で、エマが真面目な顔で理久を呼び止めた。


 彼女は薄手のジャケット一枚なのに、寒さを感じている様子すらない。その鍛え上げられた肉体は、寒冷地仕様なのだろうか。


 エマは理久が高額な報酬で雇っているプロの傭兵だ。戦闘スキルは超一流だが、思考回路が常に「戦場基準」で固定されているのが玉に瑕だった。


「なんだよ、エマ。もうミサイルの話はなしだぞ」


「いえ。車両確認です。タイヤの溝、ブレーキパッドの摩耗、そして車体の下にプラスチック爆弾が仕掛けられていないかチェックします」


 言うが早いか、エマは雪の積もった地面に這いつくばり、軽ハイトワゴンの底面を懐中電灯で照らし始めた。その動きには一切の無駄がないが、対象はあくまでレンタルされた軽自動車である。


「……好きにしろ。でも、3分で終わらせてくれ。凍死する」


 理久はかじかむ手でコートの前を合わせ、白い息を吐いた。


 これから向かうのは零下の港。相手は凶悪なマフィア。そして頼れる味方は常識の通じないナイスバディな傭兵と、スマホの中にしかいない幼い見た目の妹。


「……胃薬、持ってくればよかったな」


 理久の呟きにスマホの中の莉紗が『ドンマイ』と軽い調子で返した。

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