第三部:賢者の実験
翌日、俺はゼオンに案内され、ヴァレリウス魔王から与えられた実験用の土地へと向かった。
そこは首都ガルン=ハダルの城壁の外に広がる、かつては豊かだったという広大な農地だった。だが、今、俺の目の前に広がっているのは死の世界そのものだった。枯れ果て黒く変色した作物の残骸が、まるで骸骨のように風に揺れている。大地は灰色のカビのようなものに覆われ、乾ききってひび割れていた。生命の匂いはどこにもしない。ただ腐敗した植物が放つ、甘くむせ返るような死の匂いだけが、あたりに立ち込めていた。
「……ひどいな」
「ああ。三ヶ月前までは、ここも緑豊かな畑だったのだ。それが今ではこの有様だ」
ゼオンの顔にも、深い痛みの色が浮かんでいた。
そして、その絶望的な土地で俺を待っていたのは、百名の魔族の兵士たちだった。彼らは俺に協力するためにヴァレリウスが派遣した者たち、ということだったが、その目に宿る光は明らかにそれとは異なっていた。
「……貴様が、ケンタか」
その中から一人の特に巨大な魔族が、一歩前に進み出た。その顔には深い傷跡があり、俺に対する隠そうともしない敵意と侮蔑が浮かんでいた。
「俺はカルグ。ガルナック一族の者だ。グロル将軍の命により、貴様のその馬鹿げた『実験』とやらを監視させてもらう」
やはり、そうか。彼らは協力者ではない。グロルの息のかかった監視役だ。俺が失敗するのを今か今かと待ち構えている敵意の塊。他の兵士たちも、皆、同じような目をしていた。
「……そうか。よろしく頼む、カルグ殿」
俺はその敵意を意にも介さず、ただ淡々と自分の仕事に取り掛かった。
俺は、まずこの死の大地を隅々まで歩き回った。枯れた作物を一本一本手に取り、その状態を羊皮紙に克明に記録していく。根にまとわりつく灰色のカビ。黄色く変色しねじれた葉。そして何よりこの土。
俺は畑のいくつかの地点から土を採取し、持参した簡易的な実験道具でその成分を分析し始めた。水に溶かしリトマス試験紙を浸す。試験紙は即座に強い赤色へと変わった。
「……やはりな。強酸性の土壌だ。これではどんな作物もまともには育たん」
俺の独り言を聞いていた魔族たちが訝しげな顔をする。
「何をブツブツ言っている、人間」
「……いや、病気の原因が分かった、と言っているんだ」
俺は彼らを集め説明を始めた。
「この病気は呪いじゃない。二つの原因がある。一つはこの土地に作物を腐らせる特殊な『カビ』が蔓延していること。もう一つはこの土地の土が酸性に強く傾きすぎていることだ。この二つの条件が重なったことで、これほどの壊滅的な被害が生まれたんだ」
俺のあまりにもこともなげな説明に、魔族たちはただ呆気に取られていた。
「……馬鹿な。カビだと? 土が酸っぱいだと? そんなもので我らが神聖なる大地が、ここまでやられるものか」
カルグが吐き捨てるように言った。
「信じるか信じないかは、あんたたちの自由だ。だが俺は、これからそれを証明する」
俺はこの広大な畑を、四つの区画に正確に分割させた。
そしてカルグたちに、それぞれの区画に立て札を立てるように命じた。
『A区画:無処置』
『B区画:殺菌処理のみ』
『C区画:土壌中和のみ』
『D区画:殺菌および、土壌中和』
「……何かのまじないか?」
「実験だよ。科学的な、な」
まず俺は、殺菌剤の作成に取り掛かった。この土地の火山地帯に、硫黄を多く含む特殊な植物が自生していることを、俺は書物で読んで知っていた。俺はその植物を大量に採取させた。そして、それを石臼で丁寧にすり潰し水に溶かす。
「いいか。これをB区画とD区画に満遍なく撒くんだ。この硫黄の成分が作物を腐らせるカビを殺してくれる」
次に土壌の中和剤。これもこの土地にあるもので代用できた。海岸近くに貝殻が堆積した白い崖がある。炭酸カルシウムの塊。つまり石灰石だ。俺はそれを大量に採取させ、巨大な石のローラーで粉々に粉砕させた。
「この白い粉を、C区画とD区画に満遍なく撒き、土とよく混ぜ合わせるんだ。これが酸性の土を中和し、作物が育ちやすい環境へと変えてくれる」
魔族たちは、俺の奇妙な指示に戸惑い、あるいは嘲笑しながらも、しぶしぶ作業に従った。彼らにとっては、それは全く意味の分からない重労働でしかなかっただろう。
俺も彼らに混じり、汗と泥にまみれながら作業を続けた。俺が領主風にふんぞり返って指示だけしている人間ではないと分からせる必要があった。
全ての下準備を終え、俺たちは四つの区画に新しく作物の種を植えた。
三週間。それが俺に与えられたタイムリミットだった。
最初の一週間が過ぎた。
変化はまだ見られない。カルグをはじめとするガルナック一族の者たちは、
「見ろ、やはり何も起きんではないか」
「人間の戯言に付き合わされるのは時間の無駄だ」
と、あからさまに敵意を示してきた。俺たちのキャンプの周りを夜な夜な威嚇するようにうろつき、こちらの精神を削ごうとしてくる。
だが、俺は動じなかった。
そして、十日が過ぎた頃、最初の変化が現れた。
「……芽だ」
誰かが、そう呟いた。
D区画の黒い土を押し上げるようにして、小さな小さな緑の双葉が顔を出していたのだ。一つ、二つではない。区画全体に無数の生命の息吹が芽生えていた。
やがて、C区画、B区画からも、ぽつりぽつりと芽が出始めた。
だが、無処置のA区画だけは、死んだように静まり返ったままだった。
「……おお……」
「本当だ……本当に、芽が……!」
それまで俺を嘲笑の目で見ていた魔族の兵士たちの顔から、その色が消えていた。彼らは信じられないものを見る目で、その小さな緑の芽を、ただ見つめていた。それは、彼らにとって数ヶ月ぶりに見る、希望の色だった。
カルグだけが、苦々しい顔でその光景を睨みつけていた。
二週間が過ぎた。
その差は、もはや誰の目にも明らかだった。
A区画は相変わらず死の大地のまま。B区画とC区画の作物は、かろうじて成長はしているものの、その育ちは遅く、葉の色もどこか不健康な黄色がかっている。だが、D区画の作物は違った。
力強い青々とした葉を天に向かって、ぐんぐん伸ばしている。それは病気など全く知らなかった頃のこの土地の豊かさそのものだった。
魔族の兵士たちの俺を見る目が完全に変わっていた。嘲笑は畏敬へ。敵意は信頼へと。
だが、グロル将軍が、このまま黙って俺の成功を見過ごすはずがなかった。
その夜だった。
俺たちのキャンプに松明を掲げた数十人の武装した魔族たちが押し寄せてきた。ガルナック一族の私兵たちだ。
「神聖なる大地を人間の小細工で汚す罪人め! 神罰に代わり、我らが天誅を下す!」
彼らは、D区画の青々とした畑を踏み荒らそうと殺到してきた。
だが、その前に立ちはだかる者たちがいた。
「―――この畑には、指一本、触れさせん!」
カルグだった。彼と、彼が率いる、百名の兵士たちが、鍬や鋤を武器の代わりに手に取り、ガルナック一族の前に壁となって立ちはだかっていた。
「カルグ! 貴様、グロル将軍を裏切るのか!」
「裏切る、だと? 馬鹿を言え! 俺は、俺たちの未来を守っているんだ! この畑こそが、俺たちの子供たちの未来なんだぞ!」
カルグの魂の叫び。それはこの数週間で彼が得た結論だった。
だが、相手は実戦経験豊富なグロルの私兵。農具で太刀打ちできる相手ではない。
乱闘が始まろうとしたその時。
両者の間に、巨大な影が舞い降りた。
ゼオンだった。
「―――それ以上、動くな。動けば、死ぬぞ」
彼の体から魔王だった頃の圧倒的な闘気が放たれる。その絶対的な力の前に、グロルの私兵たちは金縛りにあったように動けなくなった。
ゼオンは俺の方をちらりと見た。
「……すまん、ケンタ。少し遅れた」
「いや、ちょうどいいところだ、ゼオン」
俺は笑って答えた。
この騒動は、俺にとって一つの確信を与えてくれた。
俺の知恵は、大地を蘇らせるだけでなく、人の心さえも変えることができるのだ、と。
カルグとその部下たちの俺を見る信頼に満ちた目。それが、何よりの証拠だった。
明日は元旦ですが、19時に投稿予定です。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えくださいm(_ _)m




