王立図書館へ、引きこもり宣言
とにかく本を読むことにしました。
その日から、俺は王立図書館に引きこもった。
そこは、俺が働いていた書店など比較にならない、まさに知の殿堂だった。天井まで届く本棚が迷宮のように連なり、革張りの古書が放つ独特の匂いが空間を満たしている。差し込む光に、無数の埃がキラキラと舞っている。その静寂は、まるで時間そのものが凍り付いているかのようだった。
俺は、水を得た魚のように本を読み漁った。寝食も忘れ、ひたすらにページをめくり続けた。
アストリア王国の建国史、大陸の地理と国家間の関係、魔法理論の基礎、魔物の種類とその生態。最初はファンタジー小説を読むような気分だったが、読み進めるうちに、それらが単なる空想の産物ではない、この世界を支配する厳然たる法則なのだと理解できてきた。
魔法は、大気中に満ちる「マナ」というエネルギーを、精神力で特定の現象に変換する技術だ。そこには、物理法則や化学式にも似た、極めて論理的な体系が存在した。魔物も、ただの化け物ではない。それぞれに固有の生態系と、必ず弱点と呼べるものが存在した。
知識が増えるほどに、恐怖は薄れていった。未知は恐怖の源だが、既知は対処可能な課題に変わる。俺はページをめくる手を止め、ふと顔を上げた。そうだ、これだ。この感覚だ。バラバラだった情報が繋がり、一つの巨大な絵を形作り、世界が理解できるものへと変わっていく。この感覚こそが、俺が本を読む、唯一にして最高の理由だった。
三日三晩、ほとんど眠らずに本を読み続けた俺は、一つの結論に達した。
再び、俺は王の前にいた。玉座には王と、その隣に宰相バルドル。今回は王国騎士団の団長だという、歴戦の猛者のような壮年の男も同席していた。
俺のやつれた姿を見て、王が心配そうに声をかける。
「勇者殿、少しは休まれたかな」
「ええ、おかげさまで。……王よ、単刀直入に言います。俺は、魔王討伐の任、お引き受けします」
その言葉に、玉座の間がぱっと明るくなった。王は顔を輝かせ、バルドルでさえも、わずかに口元を緩めた。
「おお、本当か!よくぞ決心してくれた!」
「ただし、条件があります」
俺は、広げさせた大陸地図を指さした。
「俺は、剣を取って前線には立ちません。聖なる力とやらも、残念ながら発現しそうにない」
「……では、どうするというのだ?」騎士団長が、訝しげな声で尋ねる。
「俺は、戦術と戦略を担当します。つまり、あんたたちの頭脳になる」
俺は、図書館で得た知識を元に、立て板に水とばかりに語り始めた。
「まず、現在の補給路は長すぎます。敵の斥候に狙われやすい。この街道沿いにある廃坑を利用して、中継基地を築くべきです。次に、敵の主力であるオーク族は、夜目が利かないという記述があった。ならば、決戦は夜間に仕掛けるべきです。松明で視界を奪い、さらに図書館の錬金術書にあった記述を応用すれば、安価な鉱物で強い刺激臭を持つ煙幕を大量に発生させられます。これを『発煙筒』として使えば、敵の混乱は必至でしょう」
「さらに、敵の飛行部隊ワイバーンですが、奴らの翼の構造上、急な旋回は不得手のはず。ならば、狭い谷間に誘い込み、騎士団の弓兵で集中攻撃を……」
俺の言葉に、最初は半信半疑だった騎士団長が、次第に目を見開いていく。王は呆気に取られ、バルドルは初めて、値踏みではない、純粋な興味と警戒の目で俺を見ていた。
俺が語っているのは、この世界の常識からすれば、突拍子もないことばかりだったのかもしれない。だが、それは全て、俺が本から得た知識――地理学、生物学、物理学、歴史上の戦術――に基づいた、論理的な推論だった。
一通り話し終えた俺は、王に向き直って、宣言した。
「俺の武器は、剣でも魔法でもない。この頭に詰め込んだ、知識です。俺に全軍の指揮権を預けてほしい。そうすれば、必ずや魔王を討ち取ってみせる」
冴えない書店員だった俺が、一つの世界の運命を左右する、途方もない大博打。
しばらくの沈黙の後、王アルフォンスは、玉座から立ち上がり、高らかに告げた。
「……よかろう! 勇者ケンタよ、そなたに我が軍の全権を委ねる! どうか、このアストリアを救ってくれ!」
こうして、俺の異世界での戦いは、全く予想外の形で幕を開けた。
それは、剣と魔法の英雄譚ではない。ただの読書好きが、知識だけを武器に、世界の理不尽に立ち向かう、ささやかな革命の始まりだった。
勇者ケンタ、爆誕!!!
明日も19時に
よろしくお願いしますm(_ _)m




