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死後の審判  作者: 真冬
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第六章 冬、光が消えた日

雪が降り始めていた。街の灯りが白い粒に反射して、にじむように広がっていた。

その午後、僕は期末テストの最終日を終えて、図書室で好きな随筆集を読んでいた。

クラスでは進路の話が日増しに色濃くなり、浮かれたり焦ったりする空気が交錯していた。そんな中で僕はひとり静かに本を読み、いつものように新聞のレイアウトを考え、帰り道に何を書こうかと考えていた。

……その日までは。

下校途中、担任に呼び止められた。

その表情はどこか引きつっていて、僕の知らない教師の顔だった。

「……遠矢くん、お父さんとお母さんが、事故に遭われたそうだ。病院に……」

その瞬間、世界の音がすっと遠のいた。

教室のざわめきも、時計の針の音も、すべてが薄れていく。

胸の奥がぞわりと冷えたかと思うと、次にはもう、身体が勝手に立ち上がっていた。

「今どこですか……病院は……どこですか」

言葉になっていたかはわからない。何かを叫んでいた気がする。

カバンを持つことすら忘れ、ただ足を動かした。

先生がついてくる。何人かの視線がこちらを追う。でも見えない。

駅まで走った。電車は、なかなか来なかった。

ホームで立っているあいだ、手が震えていた。スマホの通知画面を何度も見る。

まだ、何も届いていない。けれどそれが、どこかで“決定的な知らせ”を遅らせているような気がして、画面を何度も更新した。

電車が来る。ドアが開く。乗り込む。

呼吸が浅くなる。景色が、流れすぎて見えない。

けれど、ただ一つだけ――“行かなきゃ”という焦燥だけが、心を支配していた。

病院に着くと、知らない大人たちがたくさんいた。

制服の警察官、うつむく医師、口を開かない誰か。

どの顔も見覚えがないのに、どこか“同じニュース”を共有している空気があった。

僕の足元を何度も同じ冷気が通り抜けていく。

ただの空調じゃない。これは、現実という名の無音だ。

誰もが、何かを言いかけて――けれど、誰も言い切らない。

カーテンの向こう側。

白い布の上に、父と母が並んでいた。

目を閉じて、微動だにしなかった。

口を開こうとしても、声が出なかった。

言いたいことも、呼びかけも、何も浮かばなかった。

ただ、足音すら吸い込まれるような静寂のなかで、

“失う”という実感だけが、ゆっくりと胸を蝕んでいった。

医師が言った。

「トラックの……運転手が、眠っていたんです。赤信号の交差点に……突っ込んでしまって……」

その声は、なぜか遠く聞こえた。

空気の膜を一枚隔てたような、まるで水の底に沈んでいくみたいに、言葉の意味だけが遅れて胸に沈みこんでくる。

涙は、出なかった。

泣くという動作そのものを思い出せないほど、頭の中が真っ白になっていた。

「手は尽くしましたが……」と医師は続けた。

「搬送された時点で、すでに心肺は停止していました。……つい先ほど、正式に息を引き取られました」

何も、考えられなかった。

カーテンの向こう、真っ白なシーツの下で眠る父と母が、現実だなんて、信じられるはずがなかった。

そこに、警官の声が重なった。

「加害者は……トラック運転手で、飲酒が確認されました。……すでに身柄は確保しています。しっかりと、責任は追及します」

声が震えていた。たぶん、彼も父や母と歳が変わらないくらいだったのかもしれない。

だけど、その震えが、僕の心に届くことはなかった。

ふと、後ろから看護師同士のささやきが耳に入ってきた。

「あんなに若いのに……両親、いっぺんに……」

「災難よね……ほんとに……」

“災難”。

その言葉だけが、胸の奥で違和感として残った。

でも、その違和感に反応できるほど、僕にはもう余裕がなかった。

視界は揺れていた。重力のある涙ひとつ、まだ流せていないのに、心だけが沈んでいた。

時間が止まったような病院の廊下の、その中心に。

僕はひとり、立ち尽くしていた。

何かがおかしかった。

ついさっきまで日常は続いていたはずだ。

昨日、父は部屋で靴下を逆に履いていて、母に笑われていたはずだ。

「遠矢、制服のボタンつけ直したよ」と母が言い、「お、ありがとー助かる」と父が笑っていた。

味噌汁の湯気、洗濯機の音、鍵の閉まる音、呼吸、笑い声――

全部、そこにあったはずなのに。

一夜明けて、それは一枚の紙のように破られてしまった。

葬儀の間、僕は何度も目を伏せた。

列席者の「まだ若かったのにね……」「不幸すぎるよ……」という声が、心を削っていく。

僕は、何も言えなかった。何も言いたくなかった。

家に戻ると、両親の匂いがした。

椅子の背にかけられた上着、冷蔵庫に貼られた買い物リスト、読みかけの文庫本。

死というものは、こんなふうに“途中”を残したまま、すべてを奪っていくのだと知った。

夜、ひとりで布団にくるまりながら、何度も問うた。

なぜ、なのか。

なぜ、僕からまた家族を奪うのか。

前世で何も残せなかった悔しさを抱えて、もう一度生きる機会をもらった。

今度は、ちゃんと愛されていた。ちゃんと家族を好きになれた。

それなのに――なぜ、またこんな形で失わなくてはいけないのか。

神も審判も、誰も答えてはくれなかった。

翌朝、食卓にひとりで座った。湯気のないご飯。空っぽの椅子が二つ。

箸を持つ手が震えた。口に運ぼうとして、うまくいかなかった。

中学三年生、冬。

外は雪が積もっていた。

僕の世界に、音がなくなった日だった。


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