第四章 赤ちゃん無双、はじめました
僕の名前は、土宮遠矢。0歳。
……そう、ゼロ歳である。赤ん坊だ。
いや、正確には「中身は前世持ちの成人男性、外見はぷにぷにの新生児」である。
いわゆる“転生もの”の主人公となった僕は今、病院のベッドでバブバブしている。
しかし、赤ん坊というのは悪くない。
泣いても笑っても、何をしても、周囲の人間は「えらいね〜」「天才だね〜」「かわいい〜〜」と絶賛してくれる。
大人社会では無言で書類を出しても褒められることはないし、ミスをしたら地獄の叱責タイムが始まるのに、こっちはちょっとヨダレ垂らすだけで拍手喝采である。
もう、こっちが本当の勝ち組なのでは?
朝は母のやさしい声で始まり、夜は父のどんくさい動きで終わる。
……いや本当に、あの人はどんくさい。転生してまだ数時間しか経ってないのに、既に何回つまずいてるんだ。こないだなんか、僕のオムツを替える時におしり拭きを逆に持ってべちょっと指に塗ってたからね。
それでも母はキャッキャと笑い、僕もつられて笑ってしまった。なんというか、幸せってこういうバカらしさの中にあるんだなあと実感する。
一番の楽しみは、やはり“授乳タイム”である。
最初は戸惑った。そりゃそうだ。自分の中身が成人男性ということもあり、「これは倫理的にどうなんだ」と、妙に冷静なツッコミが脳内をよぎった。
でもね……
あれはもう、幸福の極みである。
温かくて、やわらかくて、心まで包まれる感じがある。
しかも抱っこされながらだ。あの姿勢、赤ちゃん冥利に尽きる。理屈ではない、これは本能へのご褒美だ。正直、このまま年齢が止まってもいいと思ったくらいである。
あと、赤ちゃんには「無敵モード」という特権がある。
たとえば、夜中に大声で泣き叫ぶと、両親が寝ぼけながらも全力で対応してくれる。「ねんねしようね〜」と歌い、背中をぽんぽん叩き、最終的に全員寝不足で会社やら家事やらに向かっていく。
つまり、僕がただひとり「眠いな」と感じたことで、3人くらいが疲弊するのだ。恐るべし0歳児パワー。
もちろん、不自由もある。
首がすわっていないので、好きに動けないし、感情を伝える手段が泣くか笑うかの二択だ。
とくに地味に困るのが“おなら問題”。
これは体内で発生するにもかかわらず、発射音がとてつもなく大きくて、しかもおむつの中だから全方向音波が響く。
僕がブリッといくたびに、母は「はいはい元気ね〜」と微笑み、父は「……将来有望だな」とつぶやく。なんだその評価軸は。
それでも――そんな日々が愛おしい。
何もできないけど、すべてを許されている。
守られていて、抱きしめられて、必要とされている。
赤ん坊って、そういう特別な生き物なんだ。
前世では誰にも気づかれず、自分の価値に迷いながら毎日を過ごしていた。
けれど今は、「ただここにいるだけで、誰かを幸せにできている」。
それは想像以上に、救いだった。
だから今日も僕は、笑う。
くしゃっと目を細めて、声にならない声でケラケラ笑う。
すると、また誰かが笑い返してくれる。
それがどんなに小さなやりとりでも、世界が光に包まれる瞬間なのだ。
ああ、赤ん坊って、やっぱり最高かもしれない。
この世界では、赤ちゃんは常に主役であり、無敵の存在である。
そんなある日、僕は「風呂」という未知のイベントに挑むことになった。
母は慎重に僕の服を脱がせ、父はとなりでタオルやベビーソープをバタバタと準備していた。
が、案の定、父は盛大にやらかした。
「お湯温度……40度って書いてたよな……あれ……あっつっ!!」
自分で手を入れて自分で驚く父。いや、まず君が先に確認してるのは立派だけど、声に出すと不安になるからやめて。
結果、僕はぬるめの湯に安心してつかることができた。
母の腕の中でぷかぷか浮かび、耳の奥でお湯の音がごぼごぼ響く。
前世では湯船に沈むような疲労感しか味わってこなかったのに――今、この湯の中はまるで羊水のように穏やかだった。
風呂上がり、バスタオルでくるまれた僕は、頭にタオルを乗せられて「銭湯のおっちゃん」扱いを受けた。
母が「どうですか、赤ちゃんの湯加減は?」と言えば、父が「よく温まりました〜って顔してるな!」とテンション高め。
……ちょっと楽しかった自分が悔しい。
そして、ついに“お宮参り”の日がやってきた。
白いセレモニードレスを着せられ、両親にだっこされながら近所の神社へ向かう。
正直、服は暑い。照り返しも強い。虫もブンブン。だが、僕は耐えた。なぜなら今日は“我慢してえらいね”をもらえるビッグイベントだから。
祝詞を受ける間、父は終始ソワソワしていた。
「ここで泣かれたらどうしよう」「俺が抱っこしてる間に何か出たらどうしよう」
緊張で手汗がすごい。結果、抱っこされてる僕のほうが心配になるレベル。
案の定、神主さんが読み始めた瞬間、父がくしゃみしそうになって「ハッ……ふっ……」と奇声を発し、儀式が一瞬止まった。
神主さん、あれはたぶん祓いの力ではありません。すみません。
でも母は、すべてを笑って受け止めてくれた。帰り道、ベビーカーを押しながら「楽しい一日だったね」と言って、僕のほっぺをやさしく撫でてくれた。
気づけば、僕はこの家族が大好きになっていた。
おむつ替えを失敗して僕にクリティカルヒットを与える父も、夜中に眠い目をこすって授乳してくれる母も、全部含めて、“愛されている”という実感を与えてくれる人たちだった。
生まれ変わる前、「もう一度生きたい」と願った気持ちの中に、こんな日々の光景があったのかもしれない。
何かを為す人生もいい。でも、こうして誰かに守られ、誰かを笑わせる日々もまた、大きな意味を持っている。
そう、赤ちゃん無双は、ただの無敵モードじゃない。
“生き直す”というミッションの、最初の一歩なのだ。