表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死後の審判  作者: 真冬
3/11

第三章 始まりの光

目が覚めると、真っ白な天井が見えた。

いや、視界がぼやけていて、それが“天井”だと認識するまでに、数秒の時間がかかった。光が柔らかすぎて、輪郭が溶けていた。まるで、夢の続きにいるようだった。

身体が重い。というより、自分の体が自分のものではない感覚。指先に力が入らない。声も出ない。視線を右に向けようとするだけで、信じられないほどの労力を使う。

(……なに、これ……?)

かすかに聞こえる機械音。柔らかな衣擦れの音。遠くで誰かが話す声。それらすべてがどこか“こもって”聞こえた。体の内側で、自分という存在だけが微かに震えていた。

しばらくして気づいた。自分は、ガラスの柵のついたベビーベッドの中にいた。小さな布に包まれ、ほとんど動けない。

(まさか……)

私は、赤ん坊になっていた。

現実とは思えなかった。だが、まばたきをするたびに涙が滲み、喉の奥が小さく鳴るたびに自分が“生きている”のをはっきりと感じた。

本当に、転生してしまったのだ。

マンガやアニメの中でしか見たことがないような現象が、自分の身に起きているという事実に、頭の芯がぼんやりしてくる。でも、これは確かに現実だった。赤ん坊としての五感を通して、この世界は確かに私を受け入れていた。

そのとき、視界の隅に、誰かが座っているのが見えた。

白いブラウスに細身のカーディガン。柔らかそうな頬と、形の整った唇。長い髪をゆるく結った女性が、こちらを見下ろして、微笑んでいた。

とても優しく、どこか懐かしい。けれど、間違いなく初めて見る顔だった。

――ああ、この人が……“お母さん”なんだ。

そう思った瞬間、胸の奥からじわりと何かがこみ上げてきた。

その女性――母は、両手で私を包み込むように抱き上げた。腕はあたたかく、頬に触れる彼女の肌は、涙がにじむほど心地よかった。

「……遠矢。ようこそ、うちの子になってくれて、ありがとうね」

彼女の声は、ふんわりとした風のように耳に届いた。

その瞬間、涙が溢れた。赤ん坊の体は感情を隠すことができない。泣こうと思ったわけではないのに、堰を切ったように小さな嗚咽が漏れた。

愛を知らなかったわけではない。けれど、こんなにも自然に、ただ存在しているだけで注がれる“愛情”を、私は忘れていた。

あの審判の間の記憶が、ふと脳裏をよぎる。

――忘れるな。この出来事を口にすれば、心臓発作で死ぬ。次は、修行場だ。

私は小さく、心の中で頷いた。

だからこそ、今この腕の中のぬくもりを、何より大切にしようと思った。

これは、新たな物語の始まりだった。

柔らかな抱擁の中、私は眠ったり目を開けたりを繰り返していた。生まれて間もない体は、自分の意思とは関係なく眠りに吸い込まれ、ふとした瞬間に目を覚ます。

光がぼんやり揺れ、知らない音と匂いと手ざわりが次々に押し寄せてくる。けれどそのすべてが、やわらかく、ぬるく、そして心地よかった。

しばらくして、廊下のほうから足音が聞こえた。早足で――いや、走っているような足音だった。

バン、と扉が開いた。

その瞬間、「あっ」と思う間もなく、入ってきた男が足をもつらせて、見事に床に倒れ込んだ。病室の白い床に、スーツ姿の男が大の字で突っ伏している。

母が「ちょっと!だいじょうぶ!?」と笑いながら駆け寄った。

男は何事もなかったかのように顔を上げ、こちらに向かって満面の笑みを浮かべていた。

……どんくさい。

思わず、そう思ってしまった。赤ん坊の頭でそんな感想を抱いてしまうなんて、と思う一方で、彼の笑顔はまぶしく、まるで太陽のようだった。歯が全部見えるほどの笑顔。額にはうっすら汗がにじみ、ネクタイは曲がり、靴の先には小さな擦り傷ができている。だけど、その人の目は、まっすぐこちらを見ていた。

「会いたかったんだよ、遠矢」

男は私を覗き込みながら、目尻に小さな皺を寄せて言った。

その表情を見た瞬間、私はすぐに理解した。

――ああ、この人が、父親なんだ。

母はそんな彼の姿を見て、大笑いしていた。腹を押さえて、涙をにじませるほどに。

そんなふたりの笑い声に包まれながら、私は初めて、この新しい“家族”というものを感じ取っていた。

自分を見て、こんなにも笑ってくれる人がいる。待っていてくれた人がいる。

私は、確かにここに生まれ落ちたのだと、心のどこかでそっと思った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ