初陣の剣
春の終わり、村の議会に一つの使いが届いた。隣村・サンマールの長からの急報だった。
「穀物と畜牛が盗賊団に三度奪われた。見張りに出ていた男も行方不明だ。……どうか、助けてほしい」
サンマール村は、この地域の食糧と革の供給を担う村。彼らが崩れれば、ルークたちの村にも飢えが忍び寄る。
村の戦士団が召集された。老いた剣士、壮年の戦士、腕に覚えのある者たち――
その一団の末席に、ルーク、ケリー、ベックの三人が名を連ねていた。
戦士として名を連ねながらも、三人は日々の生活も大切にしていた。
ベックは、傭兵団に所属する一方で、家業である鍛冶屋の仕事も手伝っていた。
力強い腕と火の扱いに長けた彼は、村で使われる鎧の補修や簡易な剣の鍛造にも関わっていた。
「剣の重みは、鉄を叩いて初めてわかるもんだ」
そう言って、彼は仲間の武具の調整も進んで引き受けていた。
一方のケリーは、ルークに剣では敵わないことを自覚していた。だからこそ、傭兵団に加わりながらも、村の狩猟隊の手伝いに志願し、山に入って弓の修練を重ねていた。
「狙って当てるだけじゃ意味がない。どう動くか、どう止めるか。獣で学べば、人間にも通じる」
彼の弓は、着実に“狩人の目”を宿し始めていた。
「本当に行くのか、ルーク?」
ケリーの問いに、ルークはうなずいた。
「俺たちは“試し”を終えた。でも“剣”が人に届く時は、いつも本番だ」
「怖くねえのかよ」
とベックが聞く。
「怖いさ。だから剣を握るんだ」
ルークの返答に、二人はそれ以上言葉を続けなかった。
その夜、黒犬は丘の端でルークを待っていた。
「……行くのか」
「ええ」
「人を斬るとき、剣の重みが変わる。骨と筋、命の熱、そして“後悔”が、刀身にまとわりつく」
「覚悟してます」
黒犬――ラグスはそれには答えず、低く言った。
「“人を斬る”のではない。“人に斬り込まされる”のだ。初めて知るだろう、“命を持つ者の痛み”を」
数日後、ルークたちは先遣隊と共にサンマールへ入った。
山裾の村には、不安と怯えが満ちていた。牛舎の柵は壊され、血の跡が土に染み、家畜の骨が野に転がっていた。
「盗賊団と言ってもただの野伏ではない。軍を離れた脱走兵崩れが混ざってるらしい。鍛えられた剣士もいる」
年配の剣士・ボラールが言った。顔に十字の傷を持つ彼は、少年たちの前に腰を下ろし、真っ直ぐな目で言葉を続けた。
「人を斬る覚悟はあるか?」
ルークは頷いた。
ケリーとベックもそれに倣ったが、声は震えていた。
「いいか。剣は“殺す”道具だ。だが“殺すこと”が剣の目的ではない。“止める”ために斬れ。“終わらせる”ために突け。それを忘れるな」
ボラールの言葉は、短く、深かった。
夜、森を抜けた先に火の灯りが見えた。盗賊たちは、奪った物資を囲って焚き火のそばに集っていた。
「十人強か。ルークたちは後衛で待機。俺たちが突入して、混乱が起きたら動け」
ボラールの指示に、ルークは頷いた。
だが、戦いは予想よりも早く崩れた。
一人の盗賊が斥候として森に入ってきたのだ。後衛に潜んでいたルークたちと鉢合わせた。
「クソッ!」
斧を振り上げた盗賊がベックに襲いかかる。咄嗟に盾を掲げるが、刃は横へ流れた。
ルークは即座に踏み出し、盗賊の太腿を切り裂いた。
鈍い叫びと、温かい血の感触が手の中の剣に伝わる。
“これが……人を斬るということか”
心が軋むのを感じながら、ルークは次の敵に剣を構える。
戦は、激しく、そして唐突に終わった。
盗賊たちは散り、数名は捕らえられた。だが、ルークたちにも代償はあった。
ナリス――ベックとしょっちゅう小競り合いしていた、口の悪い少年が、胸に槍を受けて倒れたのだ。
「ナリス……! おい、起きろよ……!」
ベックが泣きながら揺すっても、彼はもう目を開けなかった。
ケリーは震えながら、ナリスの手を握った。
「さっきまで、あんなに……」
ルークは何も言えず、ただ空を見上げた。星がひとつ、瞬きもせずそこにあった。
夜が明けた丘で、ルークは再びラグスの前にいた。
「……斬りました」
「そうか」
「重かったです。痛かった。怖かった……そして、失いました」
ラグスは黙っていた。
しばらくして、黒犬は地面に伏せながら低く言った。
「剣とは、“記憶”だ。お前が斬った命も、失った命も、その刃に刻め」
「……忘れません」
「忘れるな。忘れたとき、その剣はただの殺戮者の牙になる」
ラグスの声は、その夜の風よりも冷たく、だが確かに、温かさを帯びていた。
そしてルークは、初めて剣を地に突き立て、目を閉じて祈った。
これは、“戦いの始まり”にすぎなかった。だがその日――
ルークは剣士となった。
剣を握るとは、命を背負うことだと知った少年の背中に、もう迷いはなかった。