剣試の日
春の訪れとともに、村に「剣試」の季節がやってきた。
それは年に一度、訓練生が剣技を披露する公式の行事であり、成人に向けた第一の試練でもあった。
剣試の日。訓練場の周囲には、普段は顔を見せない長老や村役たちが陣取り、周囲の村からも見物人が集まる。勝者は名を得、家の誉れとなる。
ルークは、出場名簿の最下段にその名を見つけた。どこの道場にも所属していない異例の参加。誰もが驚いたが、笑った者の方が多かった。
「鈍剣が見せ物になる気か」
「いや、転ばずに立ててるだけで奇跡かもな」
だがルークは静かに剣を携え、整えた衣をまとって列に加わった。ラグスは傍らの草陰に潜み、何も言わず見つめていた。
試合は三対三の模擬戦形式。防具をつけ、木剣で打ち合い、判定は長老の判断に委ねられる。
各道場の成績上位者のみがあらかじめ三名班を組むことが許される。それ以外のものについては、村の重鎮たちが班編成を行うしきたりとなっていた。
第一戦。ルークの班は、剣技も体格も対照的な少年二人と組まされていた。
一人はケリー。ルークほどではないが背も低く、筋力にも劣る剣士見習いだった。素質はあると周囲には言われていたが、結果が伴わず伸び悩んでいた。観察力は鋭く、型の習得には忠実だったが、迷いや躊躇が動きを鈍らせることが多かった。
もう一人はベッグ。体が参加者の中でも大きく、力強い打ち込みを得意とする。しかしその反面、機敏性に欠け、俊敏な相手には苦戦する傾向があった。守勢に回れば頼もしいが、先手を取るのは苦手だった。彼らはルークの姿を見るなり、微妙な表情を浮かべた。
「……なんであいつがここに?」
「足引っ張らなきゃいいけどな」
その言葉は聞こえていないふりをしたが、耳にしっかりと残った。
相対する相手班は、村長の息子であるアーブと取巻き。取り巻きは長身で細身のイース、もう一人は身長は低いものの筋肉質で力自慢のウィップ。三人の腕前はそこそこであるが、村長の意向か事前に仲間どうしで班が組まれていた。開始早々、周囲に目配せし、即座にルークを狙って動き出す。
「まずは一人落とすぞ。例の鈍剣からだ」
それは“実力者”たちが、最も油断しているはずの標的に向けた集中攻撃だった。
開始の合図とともに動き出したルークは、正面の敵の足の運びと視線を一瞬で捉え、あえて視線を逸らして逆方向に動いた。
「斬りに来る」と思わせ、引かせ、間合いを外す。
ルークの剣は軽く速く、致命打にはならない。だが、確実に“読ませない”一太刀を刻んでいった。
村長の息子が突進してきた瞬間、ルークは半歩だけ横へ。木剣の腹を脇腹に当て、すぐさま後方へ退いた。相手は空を斬り、体勢を崩す。
ウィップが斜めから迫る。ルークは踏み込みの深さと肩の開きから次の動きを読み、真正面に踏み出すと同時に左へ跳ねた。敵の一撃は空振りとなり、同時にルークの剣が相手の肩に触れた。
長身で細身のイース――おそらく隊の中でも最も慎重で、冷静な構えを保つ少年が、後退しながら機を伺っていた。
その様子を横目で見ながら、ルークはあえて隙を見せ、誘いをかけた。相手が踏み込んだ瞬間、ルークは斜め後方へ身を引き、回転を利用して剣を相手の腕に僅かに当てる。
三人で一人を狙った集中攻撃であったが、ルークはそれをすべた躱した。有効打にならないものの、三人へ剣を当てる見事な反撃であった。
ラグスが呟く。「奴ら、焦り始めてる」
遠巻きに見ていた観客の中から、どよめきが起こった。剣の腕前を重要視しているこの村では、剣の動きや体捌きの巧拙は一目で分かる。目の肥えた者たちの目に、ルークの動きは確かな“剣”として映ったのだ。
「今、三人とも……」「見たか? あの動き……」「あれが鈍剣だと?」
ルークの班の仲間も、いつの間にか無言で彼の背中を見ていた。開始前に浮かべていた不満や軽蔑の表情は消え、驚愕と尊敬の入り混じった眼差しがそこにあった。
そのとき、ルークが躱した村長の息子が再び向かってこようとした瞬間だった。背後からケリーが飛び出し、相手の足元を狙って打ち込み後、腹への一撃を繰り出し有効打となった。
さらにベッグがイースの前へ回り込み、脇腹へ強烈な打撃を行い、防具をつけていたものの倒れこんだまま、しばらく動けないほどであった。
ルークに刺激を受けた仲間たちが、初めて“自ら考えて動いた”瞬間だった。
大きく動揺したウィップへ、ルークが相手の死角から接近し、胸へ鋭い一打を打ち込んだ。
最後の一人が有効打を受けた瞬間、長老が笛を吹く。
観客の中に、思わず拍手をする者もいた。開始前に浮かべていた不満や軽蔑の表情は消え、驚愕と尊敬の入り混じった眼差しがそこにあった。
「ルーク、ごめん俺たちはお前のことを勘違いしていた」
とケリーは申し訳なさそうな表情でルークに話しかけた。
ルークが返事をする前に、ベックが間髪入れずに
「凄いなお前、どこの流派なんだ、あんなの初めてみたぞ!」
と興奮気味にルークに近づいてきた。
「二人ともさっきはありがとう。うまく連携できたのは二人のおかげだよ」
「で、どうなんだ、どこの流派なんだ」
「我流だよ」
「あれが我流かよ、スゲーなお前」
「お前じゃなくて、ルークだよ、よろしくベック」
「おう、ルーク、次も暴れてやろうぜ!」
「ちょっと俺にもしゃべらせろよ、このデカブツ!」
「次は初戦のようにはいかないと思うぜ」
第二戦。対戦相手は俊敏さに優れたアノア三兄弟だった。動きの速さで翻弄することを得意とし、開始の合図と同時に激しい踏み込みを見せた。
だが、ルークは焦らなかった。彼らの動きは確かに速い。だがその分、単調だった。踏み出す足はいつも右。剣の振りも深く、癖が露骨に出ていた。
ルークは観察の中でそれを見抜いていた。まず一人目――最も足の速い少年の剣筋を見切ると、左へ踏み出して肩をかわし、足払い気味に木剣の腹で膝裏を叩いた。相手は体勢を崩して膝をつく。
二人目が連携するように背後から迫る。ルークはそれを予期していたかのように腰を落とし、逆足で斜めに跳ねて体をひねる。
木剣が背をかすめた直後、彼の剣が逆手で振り上げられ、相手の腕を叩きつけた。三人目はケリーとベックが対応していたが、ケリーの打ち込みをかわすのを見越したルークが突きを放ち見事有効打。そして長老の笛が響く。
ルークはこの一戦を、仲間の力を借りずに単独で制した。
観客席からは驚きの声が漏れた。ケリーが呆然と呟く。
「……今の動き、読んでたのか……?」
ベッグも唸るように言った。
「あれだけ速いの相手に、あんな戦い方があるとはな、やっぱりスゲーな」
「この調子なら次もいけそうだぜ」
第三戦は、剣試の優勝候補筆頭と目される、有名道場の次世代を担う少年たち三人組が相手だった。スピード、体捌き、剣筋の鋭さ、どれを取っても申し分のない強者揃い。構えに無駄がなく、動きに隙も少ない。
彼らはすでに第一戦、第二戦でルーク班の動きを観察していた。そして判断したのだ――この班の要はルーク。ゆえに、まず最も遅く反応が鈍いベッグを排除し、数的優位を維持しながらルークの負担を増す方針に。
開始早々、三人は示し合わせたようにベッグに狙いを定めた。
必死に応戦するベッグだったが、三人の流れるような連携の前にあっけなく打ち倒された。
次に標的となったのはケリー。敵三人の動きの速さと駆け引きの巧みさで押し込まれ、彼の構えが崩れたその瞬間、ルークが飛び込んだ。
これまでの試合で見せなかった思い切った踏み込みにより相手に近づいたルークは、敵三人の間隙を突いて若手ナンバーワンの剣速を持つコッドの胴へ打ち込みを成功させる。
敵はまさかの一名脱落で動揺が見られたが、一瞬で体勢を立て直した。この時点で残るは二対二。
戦場は二つに割れた。ルークは剛剣を振るうルダンと、ケリーは若手最強と謳われる技巧派テオと一対一の勝負をすることになる。
ルダンの剣は重く速く、直線的な力強さを持っていた。ルークは受け止めることを諦め、すべてを“避ける”ことに専念した。
その回避は、ただの逃げではない。視線を逸らし、動きをずらし、攻撃の直前に身体を傾けることで力を逃がす。数合の交錯の末、ルークは隙を突いて脇腹を打ち、勝負を制した。
一方のケリーは、相手の隙のない構えと打ち込みに追い詰められていく。彼もまた、自らの剣の限界と可能性に触れながら、成長を感じていたものの、テオの流れるような剣筋に抗う術はなかった。
最後は、ケリーの渾身の一撃を打ち込んだものの、見事に剣をいなされ地面に落ちた。この時点でケリーは失格となった。
最後勝負はルークとテオの一騎打ちとなった。
試合の空気が張り詰める。互いに読み合い、誘い、動きの中で幾度も剣が交錯した。ルークは攻めの呼吸を掴み、次第にテオを追い詰めていく。
僅かではあるが、ルークがテオの体制を徐々に崩していった。テオのフェイントからの連撃を木剣で受けながら、ようやく大きな隙ができたのをルークは見逃さなかった。
ラグスの教え通り、相手にこちらの動きを悟られないよう鋭いカウンターの一撃を放つ。相手の胴を捉えた瞬間、ルークの使い古された木剣が、乾いた音を立てて折れた。
決着の刹那、長老が笛を吹く。ルークが放った一撃は有効打とみなされず、武器の破損による戦闘不能と見なされ、判定はテオ班の勝利となった。
静寂のあと、観客席からため息と拍手が同時に湧いた。
その日、ルークの名前は、初めて真剣に語られるものとなった。全体の中で最も印象に残る剣を見せた。
技でも力でもなく、“工夫”と“観察”の剣。後に、それを模倣する者たちが出てくるまでに、そう時間はかからなかった。
ラグスは試合会場をあとにして、ただ一言。「ようやく、村があいつを見たか」
ルークの剣は、ようやく“誰かの目に映る剣”になったのだった。
だがそれはまだ、戦いの序章に過ぎなかった――。