2/6
第一話 「深淵」
雨が降っていた。
それは、とても芸術的でかつ、凄惨たる光景だった。
彼は、傘を持っていなかった。
だが、雨宿りはしなかった。
目的に一直線だったからだ。
彼は、涙を流していた。
虚ろな目が下を向いていた。
それはまるで深淵のようだった。
同時に、芸術のようでもあった。
雨が止んだ頃、彼はバーの椅子に座っていた。
カウンターを挟んだ向こう側に、マスターらしき男が立っていた。
注文も聞かずに、ただただ立っていた。
「マスター、ジン・トニックを一つ頼む。」
少しの静寂を破ったのは、先ほどまで涙を流していたとは思えないほど、冷静な声だった。
少し経つと、カウンターに酒が置かれる。
それとほぼ同時に、彼は酒に手を伸ばして、口元に運ぶ。
喉仏が上下したあと、表情を変えないまま、彼は酒を置く。
少し経つと、彼は鋭い歯を見せてほくそ笑んだ。
どうやら、夜は始まったばかりのようだ。