第6話 朝はおはようから
「なあ、ロベルト」
「なんでしょうか、旦那様」
もしかしてなにか違和感に気が付いたのかもしれない。声を掛けられたのはロベルトなのだが、エレオノーラも落ち着かない心で様子を窺う。
するとリオネルは、食後に出された茶を眺めながら尋ねた。
「俺と彼女の茶だが、違うものが出ているのはどうしてだ?」
なんだそのことか。ロベルトの表情にも明らかにそう浮かぶ。
「おく、……エレオノーラ様のお茶は、眠りに効果のあると言われているハーブティーをお出ししております」
そのハーブティーは、エレオノーラが好んでいるもので、決まって食後に飲んでいる。いつものことなので、なにも言わずとも出てくるものだ。
ちなみに朝も別の目覚めに良いものを飲んでいて、その二種類を出してもらうのが定番であり楽しみだ。
ただこの場は、先ほど出して欲しいと伝えられたとばかりにロベルトが答える。
するとリオネルは、どこか不満そうに目を細めて茶を飲んだ。
「……いつの間に茶の好みを把握するほど、彼女と親しくなったんだ」
「お客様の好みを把握するのも努めですので、それに王都の女性には人気のあるハーブティーなのです」
「そうやって機嫌を取っても駄目だからな、俺が……」
なにかを言いかけたところで、リオネルは口を惹き結ぶ。
どうしたのだろう。しばらく待っていたが、続く言葉はない。
「どうされたんですか?」
「……なんでもない」
そういって視線を逸らすと、ちらりとエレオノーラへと向き目が合った。
なんだかとても興味深そうに見られている。
「ロベルト、その茶を次から俺にも」
「承知しかねます」
「なっ!」
同じハーブティーを自分にも出して欲しい。そう伝えようとしたらしいが、言い終える前に言葉が返される。
不機嫌そうに睨むリオネルに向かって、ロベルトはしれっと説明した。
「旦那様のお口にこちらは合わないと、私は心得ております、ならば尚更にです」
「はっきり言うな」
「ええ、なにしろ貴重な茶葉を無駄に出来ませんので」
かつては主人より少し年上なだけであった執事は、いまや親子といっても不自然ないくらいになっている。
今までとは違う関係になってしまった。それでもロベルトは彼なりの距離の近さを取っている。
そのことがなんだか温かくて、エレオノーラは思わず笑みを浮かべた。
「ほら見ろ、お前のせいで彼女に笑われた」
「ふふふ、リオネル様ったら」
まるで少年のような言い方に、思わず微笑ましさを感じる。
ただそれと同時に、なんだか心が締め付けられるような心地があることには、やはり気が付かない振りをしよう。
そう思いながら、エレオノーラは茶を飲む仕草をすることで引き結んだ口元を隠した。
***
翌朝、エレオノーラは眠気を堪えながら食堂に向かっていた。
実は朝にめっぽう弱く、いつもならゆっくりと準備をして食事する。リオネルと合わないようにする分だけ余計に寝られることを有り難いとさえ思う日だってあるのだ。しかし今日からはそうもいかない。
「……はよう、ございます」
「おはよう、エレオノーラ」
ぼんやりと見えた人影に向かって挨拶をすると、くすりと笑う気配がした。
慌てて目を開き、前を見る。ちょうど廊下の向こうに立っているリオネルが、とてもにこやかに笑顔を浮かべていた。
さすがのエレオノーラも一瞬で目が覚めた。慌てて姿勢を正して挨拶する。
「も、申し訳ありません、おはようございます」
「いや、朝から君の可愛らしい姿を見られた、俺としては得をしたという気持ちだ」
とても機嫌良く言われ、エレオノーラは恥ずかしさに隠れたくなる。
「さあ、朝食にしようか」
「は、はい」
扱いは客人だとは言え、一緒に食事をする必要はない。しかしリオネルはごく当たり前に、一緒の食事の場を用意させた。
(本来なら、こういうのが当たり前だったのかしら)
おはようという挨拶から朝が始まり、食事も一緒にする。たわいのない会話をして、それから予定を伝え合う。
ぼんやりと食べながら、つい考えてしまう。
すると先に食事を終えたリオネルが、どこか楽しそうにこちらを見ていることに気がついた。
目を瞬かせながら口の中のものを慌てて飲み込む。
「なんでしょうか」
「いや、君は朝が得意ではないと、ロベルトから聞いた」
ゆっくりと茶を飲みながら、リオネルはこちらを眺めている。朝からしっかりと目覚めている彼は、どこか楽しそうだ。
「その時は、まだ俺も知らぬことを何故お前がと少し悔しくも感じたのだが、いざ朝になり眠そうな姿を見ていると、とても可愛らしいからついね」
「えっ、あの……」
ついどうしたというのだろう。それに二度も可愛いと言われた気がする。
リオネルは一体どうしてしまったのだろうか。しっかり目覚めていると思っていたが、まだ寝ぼけているのかもしれない。
「もしや昨夜は、よく眠れませんでしたか?」
「もちろん眠ったさ、問題ないよ」
そうはいっても、彼は大きな問題を抱えているのだが。
「なにか体調がおかしいと感じたら、すぐに知らせてください」
「わかった、ありがとう」
エレオノーラが滞在するというのは、後付けの理由ではある。だが、今のリオネルはなにが起きるかわからない。
それなのに、リオネル当人は楽しそうに笑っているだけで気にしている様子は見えないのだ。
ロベルトがやって来てリオネルに声を掛けた。
「旦那様、デリック殿が迎えに来ております」
「もう来たのか、待たせておいてくれ」
「初日から遅れると、心象が悪くなります。お立場もありますので、どうかすぐに準備をなさってください」
一日で若くなった主人にすっかり馴染んでしまったらしいロベルトは、容赦のない口振りで急かす。
リオネルは渋々という動きで立ち上がると、準備に向かった。
確かにもうそろそろ準備をしないと間に合わない時間である。
「私もそろそろ準備をしないと」
「奥様、少しよろしいでしょうか」
立ち上がりかけたエレオノーラに、ロベルトがそう呼びながら近付いてくる。
呼びかたを変えたと言うことは、夫人という立場のエレオノーラに話したいことがあるのだろう。
「なにかあったのかしら?」
「アノルド夫人が、お見舞いをとおっしゃっておりました、こちらとしてもまだ混乱しているのでと、お断りしたいのですが……」
アノルド夫人、そう言われて思わずエレオノーラの眉が寄る。彼女は悪い人ではないが、お茶会と噂話が好きな女性として有名だ。若返る前のリオネルは、最低限の付き合いはしていたがそれ以上は関わらないようにしていたくらいだ。
エレオノーラもあまり得意な人ではない。
「今回の件をどこからか聞きつけてきたのかしら」
「おそらくそうでしょう」
ロベルトも渋い表情を混じらせて頷く。出来ればリオネルに報告せずに済ませたい。かつての彼ならともかく、今の若いリオネルにはアノルド夫人の相手は荷が重すぎる。
そう思ったから、ロベルトも食事が済んでからエレオノーラにそっと報告したのだろう。
「なにかそれとなく断りの理由を付けられるかしら、私からも手紙を書くわ」
今の状況は、リオネルが不在になっているようなものだ。余計な騒ぎは起きて欲しくない。
噂になっても問題なさそうなことを含ませて、手紙を出せばしばらくは誤魔化せる。それとなく矛先も、リオネルからエレオノーラに変えさせよう。
ロベルトは視線だけでそこまでの思惑を汲み取ってくれて頷く。
「ではそのように、手紙に添える夫人が好みそうな贈り物を見繕っておきましょう」
「そうね、お願いするわ」
「承知いたしました、エレオノーラ様」
ロベルトは頷いたところで、急に視線を動かした。
呼びかたが変わったことはすぐに気が付いたので、そっと彼の視線を追う。
「っ!」
開いている食堂の扉に寄りかかるようにして、リオネルが立っていた。
どこから聞いていたのだろう。すでにでも出られるように支度をした姿で、腕を組んでいる。
不機嫌そうにすっと細められた眼差しは、かつて冷ややかだった夫リオネルを彷彿とさせた。