第32話 堅物で拗らせなひと
「ロベルトッ! なぜお前がその小箱を持って」
「執務室に置かれたままになっておりました」
どうやらメリルに渡したつもりになっていたらしいが、渡してはおらず執務室に忘れてきたということだったらしい。
それでその箱がいったいなんだろいうのだろう。
メリルと二人で興味深く箱を見ていると、リオネルが無造作に箱を突き出した。
「ではこれは渡しておく」
「はい、ええと」
あまりの勢いに、若干近くにいたメリルが箱を受け取った。
よくわからないがドレス着付けの特別報酬だろうか。ただなんとなくもやっとした感情が湧く。
ロベルトが片手で頭を抱えてから、リオネルに小声でなにやら言い始めた。
「旦那様、もう少し気の利いた言葉をですねっ、それと相手が違います」
なにやらリオネルが叱られている。このやり取りはなんだろう。いまこの出掛けに必要なのだろうか。
ぼんやりそう思っていると、ぱかりと受け取った箱を僅かに開けたメリルが、さっとそれを閉じた。そうして勢いよくリオネルに突き返す。
「旦那様、やり直しですよ!」
いつになく厳しい口調で、主人であるリオネルをじろりと睨む。
そうしてエレオノーラをリオネルの目の前に出るようにそっと肩を押した。
「え? なんなのメリル」
「しぃーっ、奥様黙って、メリルはなにも見ていませんからっ」
リオネルは手の中で箱を僅かに動かすように持ってなにやら困っている。ちらりとロベルトを見て、それからメリルを見るが、どちらにも澄ました顔で無視された。
数拍置いて、リオネルがエレオノーラに向かって箱を差し出す。
「その、これは、そのドレスに合うと思って用意した」
いつもながら冷淡な佇まいは威圧を感じるが、リオネルなりに緊張を堪えているのだろう。受け取るとき僅かに箱越しに震えを感じた。
「はい、ありがとうございます」
受け取った箱を開けてみると、中には淡い色の宝石が嵌め込まれた首飾りが入っていた。
程よく上品なそれは、とても見事な細工がされている丁寧な造りである。
「これを、私に……」
宝飾品の類を全くもっていなかったわけではない。最低限必要なものくらいは揃えてもらっていたし、身に着けることもあった。
しかしこうやって面と向かってリオネルに贈ってもらうのは初めてのことだ。
もうそろそろ出掛けないと間に合わないのに。
それは分かっているが、首飾りを眺めたままいつまでも惚けてしまいそうだ。
「リオネル様が、着けてくださいませんか?」
目を輝かせて見上げながら頼むと、リオネルはなんだか厳しい表情になった。
百戦錬磨の優男なら、「着けてあげるからかしてごらん」くらい言うのだろう。
しかしエレオノーラの夫リオネルは、堅物な意地っ張り拗らせだ。
断られることを半分くらい覚悟して頼んだのだが、やはり無理そうな表情だ。
そう思って膨らみそうな頬を堪えていると、くすりと笑われた。
「かしてごらん」
優しく告げられ、どきり緊張しながら小箱を差し出す。
小箱から出した首飾りを持ったリオネルの手が、ふわりとエレオノーラに覆い被さった。彼のつけている香水だろうか、柑橘系らしい爽やかで心地の良い香りがほんのり舞う。
思えばこんなに距離が近いのは初めてかもしれない。
そのまま抱きしめられるのではないか。ついそう考えてしまい、エレオノーラの頬は紅潮し、心臓はばくばくと鼓動を繰り返す。
「できた、うん、とてもいい」
着けてもらったそれが、ドレスとも見事に合っていることに満足したのだろう。
リオネルは口角を引き上げ、嬉しそうに弧を描いたまなざしでエレオノーラを見ている。
「ありがとう、ございます」
こみ上げてくる嬉しさに緩みそうな頬をこらえ視線を下に向けると、今つけてもらったばかりの首飾りがきらりと光っていた。
夜会の催される屋敷に着き馬車から降りたエレオノーラは、いつもの通りリオネルの斜め後ろの位置から離れないように立った。
「ようこそお越しくださいました、ハルザート様」
「ああ、今夜は世話になるよ」
出迎えに朗らかな笑顔で声を掛けるリオネルはいつもの通りだった。いわゆる社交的な顔というやつだ。
今回は特に、飛竜を討伐した騎士というだけあって、声を掛けられる回数も多い。
彼を称える人、飛竜へ挑んだ時の話を聞きたがる人、これを機に親しく近付きたい人など様々だ。
エレオノーラはなるべく邪魔にならないように、にこやかな表情を維持したままリオネルの後ろに控えていた。だが彼を囲む人は多く、次第にそこから弾き出されていく。
ちらりとリオネルが心配するような視線を向けてくれたのは分かったが、彼を囲む人が多くてどうにもならない。
「仕方ないわ、リオネル様への挨拶が落ち着くまで、邪魔にならない場所にいよう」
メリルがコルセットを目一杯締めたので、とてもじゃないがなにかを口にする気にはなれなかった。
誰か顔見知りがいればいいのだが、それもいない。ハルザート家の夫人ではあるが、エレオノーラ自身が平民であるためそういう付き合いもあまりないのだ。
祝勝会ならば、他の騎士も来ているとは思うのだが、それもいまいち分からない。
「失礼します、お一人ですか?」
「え?」
声のほうを向くと青年が一人、すぐ目の前に立っていた。にこやかに笑みを浮かべているが、見覚えはない。
「いえ、一緒に来た家の者がいて、あちらで話をしています、私はここで待っているのです」
こういう場合どうやって説明したらいいのだろう。なにせ誰かに話し掛けられたことなど初めてだった。
夫人同士の茶会などとはまた別だし、規模の大きな夜会なので慣れていない。
「お父上かご兄弟でしょうか、その方が戻られるまで僕と話をしませんか?」
「いえ、あの、その」
大丈夫ですからお構いなく。そう言えばいいのに咄嗟に言葉が出てこない。
こういう相手にありがちだが、そういった困惑の感情はなかったことにされる。
「なにか飲み物でもどうでしょうか」
普段から人見知りということはないのだが、どうにもこの青年にはどこか苦手を感じる。
ぐいぐい来るその青年から離れるべきと感じたエレオノーラは、声を振り絞った。
「結構なので、失礼します」
「あっ、ちょ」
なんとかそう答えると、足早にその場を離れる。
しばらく歩き、青年から離れられたところで軽く息を吐く。ふと音楽が聞こえてきてエレオノーラは足を止めた。
広間の一角には楽器が持ち込まれ、音楽も奏でられている。演奏の邪魔にならない壁際に立ち、ぼんやりと華やかに賑わっている様子を眺めた。
優美な仕草で青年が女性をダンスに誘っているのが見える。女性のほうもまんざらではないようで、頬を染めて嬉しそうに応じていた。
「いいなあ」
思わずエレオノーラから声が零れた。
つい口に出してしまったことに気付き、慌てて周囲を見たが誰にも聞かれてはいなかったようだ。
エレオノーラなど元々こんな夜会など場違いなのだ。ダンスなど縁はないものだし、そもそも習ったこともないので踊れない。
だからこその憧れなのだ。
ぼうっとダンスを見ていると、踊っている女性と目が合ってしまった。
じろじろ見ていたと思われたかも。失礼な奴だと不快な感情を与えていたら申し訳ない。
慌ててその場から離れようと体の向きを変えると、その踊っていた女性がすたすたとこちらへ歩いてくるのが視界の端に見えた。
これは本格的に揉め事になってしまうかもしれない。
どうしようと慌てていると、女性はにこやかに声を掛けてくれた。
「良かったら私たちと一緒に踊りませんか?」
「え?」
目を瞬かせて女性を見ると、その後ろには一緒に踊っていた男性もやってきていた。
「とても踊りたそうにしていたでしょう」
「あの、じろじろ見ていたことを怒っているのではないのですか」
「とんでもない、こいつじゃ嫌なら私が相手になるわ。ね、どうですか」
エレオノーラは女性を見て、それからその斜め後ろの男性を見た。
親切で話し掛けてくれているとわかったから、本当のことを伝える。
「実は私、踊ったことはなくて、ただ綺麗だなって思って見ていただけなんです」
「ねえねえ聞いた? 綺麗だって、わー、はじめて言われた!」
「いや、貴女ではなくて音楽と踊りです」
軽快な会話に思わずエレオノーラに笑顔が浮かぶ。
女性はきっと普段からこんな様子なのだろう。男性もそんな雰囲気の彼女に付き合うことが満更ではないそんな二人に見える。




