第30話 手紙と記憶
リオネルは明らかに予想外です、といった様子でロベルトを見た。
「なにを言っている、別に今日開催されるわけじゃない」
「ええ、ですから奥様のお衣装の手配が必要です」
「それも含めていつもの通り任せると言っている」
いつも淡々と返事して従うロベルトが、今回に限っては絶妙に言い返している。もしかして協力を頼んだせいだろうか。
二人の間に割っても入れず、内心ではロベルトを応援しながらやり取りを聞く。
「それに旦那様には、奥様と服飾店へお出掛けになるというお約束もあったかと。午後はお戻りになるのなら時間はあるかと思いますが」
「それは俺が知らなかった時に勘違いして言ったことだろう」
勘違いとはなんのことだろう? そもそもそんな約束エレオノーラだって覚えがない。
エレオノーラの話をしているようだが、いまいち辻褄が合わない気がした。
二人の言い争いになってしまうかと少し冷や冷やしながら様子を見る。
しかしロベルトは、にっこり笑顔を浮かべて急転換するように話を収めた。
「承知いたしました。では衣装のほうは計らっておきます」
一体何なんだったのだろうか、と思えるくらい鮮やかに引き下がる。
リオネルも戸惑ったように答えた。
「ああ、そうしてくれ」
それからリオネルは足早に食堂から出て行き、騎士団へと向かってしまった。
エレオノーラも慌てて茶を飲んで見送りに出たが、見送りの言葉は掛けられずだ。駆けていく馬の後姿を見ただけに終わった。
あの調子では昼に戻ってくるとはいったが、夕刻近い時間になる気がする。
「やっぱりリオネル様は手強いわ」
「ですが、そうでしょうか」
同じく慌てて見送りに出てきていたロベルトが、エレオノーラの独り言に答えた。
どういうことかと見ると、なんだか楽しそうに笑っている。
「確かに旦那様は手強い、しかし完璧ではありません、綻びもあります」
「そんなのあるのかしら」
思わず呟くと、ロベルトがなんだか楽しそうに笑った。これは聞いても教えてくれないだろうことはわかる。自分で考えろというやつだ。
あのリオネルに正面から好意を訴えてもなんの効果もないであろうことはわかる。だからこそ少しずつ挑んでいこうと思うのだが、なかなか難しい。
思わず頬を膨らませたような表情で、リオネルが行ってしまった門の外を眺める。
考えても良い案は浮かばないのに、エレオノーラはしばらくそうして立っていた。
結局、リオネルは昼をかなり過ぎた時間に帰ってきた。
しかも帰ってくるなり、まだ仕事が残っていると言って書斎に入ったままだ。
エレオノーラは先ほどからずっとそのリオネルの書斎の前で、行ったり来たりウロウロしている。扉を叩く決心がなかなかつかないのだ。
手には、若返っていた時にリオネルが書いてエレオノーラに預けた手紙がある。元の年齢に戻った時に渡して欲しいと言われたあの手紙だ。
なにが書いてあるのかは知らない。それを読んでもらったところで、なにかが劇的に変わるとは思えなかった。
だが、その手紙を託してくれたリオネルの気持ちだってある。それは間違いなくエレオノーラを応援してくれているだろう。
「よしっ、行こう」
ようやく心に決めると、書斎の戸を軽く叩く。中からはすぐに返事があった。
「誰だ?」
「エレオノーラです、お話があるので少し時間を頂けないでしょうか」
「……入りなさい」
緊張しながらもそっと扉を開けて中に入る。
リオネルの書斎は、少し前に同意書の署名を貰いに入った時以来だ。きちんと整頓されている部屋は、あの時とほとんど変わらない。
「用があって来たのだろうが、手短に済ませてくれ」
充分な大きさのある執務机へ向けていた視線をゆっくりと上げたリオネルから、淡々とした口調で告げられる。淡い青の瞳は、一切の無駄は許さないとばかりに鋭かった。
その厳しい視線はかつての彼そのものだが、濃緑の髪は今は半分程度だけ整えられている。緩く額に掛かっている前髪を眺めると、彼の中になにか変化があることを期待してしまう。
そっと息を飲むと、エレオノーラは手紙をもって執務机へと向かった。
「リオネル様に、このお手紙を預かっています」
「……手紙?」
簡素な便箋には流れるような文字で、リオネル・ハルザートと記されている。それは宛名であり差出人の名でもあった。
リオネルはちらりとその手紙を見てから、すぐに視線を外した。
「そうか、分かった」
リオネルは手を伸ばしてエレオノーラから手紙を受け取ると、それを雑に机の端に放った。明らかに興味がない、といわんばかりの態度だ。
空になった手が宙に浮いたまま、その放り出された手紙をゆっくりと見る。
なにが書いているかは知らない。しかしあの手紙はリオネルがおそらくリオネル自身とエレオノーラのために書いたものだ。そんな雑に扱っていいものではない。
素早い動きで放り出された手紙をまた拾い上げると、今度はわざとリオネルの視界に入り込むように手紙を突き出した。
「これはとても大切な手紙なんです、きちんと読んでください!」
「分かった、あとで目を通しておく」
「そんなぞんざいな言い方、信じられません! 読んでいただけないのならここで私が読み聞かせますっ」
ここで開封して読み聞かせようとエレオノーラが提案し、手紙を引き戻す。
するとようやくリオネルの反応が変わった。指を伸ばしてエレオノーラの手から手紙を取ろうとする。どうやら目の前で朗読されるのは邪魔らしい。
「読んでおく、だからもういいだろう」
「良くありませんっ」
リオネル自身の想いを否定してほしくはない。なにが書いてあるかは知らないのだが、これはとても大切なのだ。
しっかり閉じられている封に指を添えて開けようとすると、素早い動きで遮るように手が伸びてきた。
「それを渡しなさい」
鋭く言ったリオネルが、エレオノーラの手から手紙を奪い取ろうとしたのだ。
「あっ!」
思わず抗ったのがいけなかったのかもしれない。
ビリッ! と紙が裂ける音がして、手紙を入れている封筒ごと破けていく。
エレオノーラが慌てて手を離す。しかし手紙はリオネルの手の中でもう半分くらい裂けていた。
「あ、ああ……」
「はあ、まったく」
面倒そうにため息を吐くと、リオネルは手紙を執務机に置いた。
一方向に破けているだけだし、内容ならなんとか読めるだろう。それでも大切な手紙の扱いに、胸がきゅうっと締め付けられるような気持ちになる。
胸の奥からせり上がってきた切ない思いは、エレオノーラの中で溢れる寸前だ。
「少し破けただけだ、書いてある内容には問題ない」
「そういうことじゃないです、それはすごく大切な物なのに」
ちらりと視線を上げたリオネルが、目を見開きぎょっとした表情をする。
それくらい酷い顔をしているのだろう。
唇を噛んでなんとか堪えようとしているのだが、うまくいかない。
「君の中でとても大切なことは理解した、あとできちんと目を通すから今は勘弁してくれないか」
「どうしてそんなに嫌がるんですか、おかしいです」
どうしても引き下がれない。それから手紙の内容もかなり気になっている。エレオノーラはぐじぐじとリオネルに言い返していた。
リオネルはとりわけ大きく息を吐くと、手紙を見ながら話し始めた。そうして吐き出された言葉は、だんだん口調が荒げるようにまくし立てられていく。
「なによりおかしいのはこの手紙だと分かっているからだ!」
「え……っ!」
「それを書いたのは俺だからだ! なにを書いたかぐらい覚えている! こんな恥ずかしいものに君の目の前で目を通す気はない、ましてや君に見せるつもりもない」
エレオノーラはその場でぴたりと固まった。いま言われたことをすべて理解するのに少し時間がかかりそうだ。
しかしなにより大切なことは真っ先に呟く。
「覚えて、いる?」
視線が合うと、リオネルは明らかにしまったといった様子の表情になった。




