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第3話 記憶のない夫

 ゆっくりとした足取りで、リオネルが運び込まれた個室へと向かう。

 どんなに考えてみても、彼から言葉を掛けられるということに予想がつかない。


 不安を感じながら部屋の前まで行くと、軽く扉を叩いた。


「はい、どうぞ」

「失礼します」


 中から誰かの返事の声が聞こえたので、そっと開く。部屋の中にはベッドに寝ているリオネルらしき姿の他に、二人ほど騎士がいた。


「もー、副団長、子供じゃないんすから、ちゃんと食べないと大きくなれないですよ」

「……俺は副団長なんて知らない、だから食べない」


 食器を持ち、ベッド際で困りきった表情を浮かべているのは、朝も屋敷に来てくれたデリックだ。

 ドアの傍に控えていた騎士にも覚えがある、確かコーディという名でやはりリオネルの部下のはずだ。


 軽く礼をして挨拶すると、コーディは真面目な表情を僅かに和らげて挨拶を返してくれた。それからコホンと咳払いをする。


「リオネルさん、彼女がいらっしゃいましたよ」


 その瞬間、デリックと攻防を繰り広げていたらしいリオネルが、すごい勢いでこちらを向いた。

 未だかつて、そんな過剰な反応はされたことがなくて、エレオノーラはたじろぐ。


 こちらを向いたその姿は、確かにリオネルなのだがどこかおかしい。

 どこがおかしいのかと言われれば、どこもかしこもだ。動けずに呆けていると、どう勘違いしたのか心配そうな視線まで向けてくれる。


「俺を助けて魔力切れを起こしたと聞いた、無事か?」

「はい、リオネル様もご無事でなによ……り、ですよね?」


 体格などには大きく変化はないのだが、その面差しがエレオノーラが知るリオネルとは異なっている。

 今までのリオネルは、佇まいから表情までなにもかも年上の雰囲気を漂わせていたのにそれがない。最初は浮かべている表情のせいなのかと思ったが、それだけとも違う。

 間違いなく、今のリオネルは若くなっている。


「どういう、ことでしょうか」

「まあ、実に厄介なことになっていますね」


 思わず説明を求めて声を出すと、答えたのは後ろから入ってきたアンリだった。

 先程と同じような苦笑は、リオネルの状況を肯定している。


「魔獣討伐の際に穢れを受けたのは間違いないのですが、どうやら後遺症で若返ったようです」

「若、返る……?」


 確かに若くなっているのは間違いない。だがあまりにもぼんやりとした答えに、エレオノーラは心配になって慌ててアンリに詰め寄った。

 そんな術や症状、今まで聞いたことがない。


「治癒が完全ではなかったからでしょうか?」

「あるいはそれとも、彼自身になんらか自衛のようなものが働いたとか、とにかく魔術院の研究部が前例と対処法を調べています」

「そうですか……」


 簡単な説明だったが、どうやら本当になにも分かっておらず、それしか言いようがないというのは理解できた。

 こうなってしまったら、アンリや魔術院の研究部に任せるしかない。


 ちらりと視線を戻すと、リオネルはじっとこちらを見ている。自分の症状を話しているから、気になっているのだろう。

 しかしそれにしても違和感が凄い。

 なにせ若返る前の彼は、こんなに真っ直ぐエレオノーラを見てくれなかった。


 今の状況をどう捉えていいのかわからず戸惑っているが、それでも笑顔を浮かべる。感情を隠すことはここ二年で慣らされた。


「ええと、お食事中だったのですよね」

「聞いてくださいよー、副団長ってこーんなに好き嫌いしましたっけー?」


 デリックに泣きつくように言われ、エレオノーラは返事に困った。

 ちらりと皿を見ると、残っているのは黄色ばかりニンジンらしい。病み上がりの患者に出しているから、食べやすいように柔らかく煮込んであるようだ。


(リオネル様がニンジン嫌いって、まさか?)


 一緒に食事をしたことなどほとんどない。付き合いとして止むを得ない会食や社交界などは経験があるけれど、あのいつも落ち着いた清廉な佇まいのリオネルが好き嫌いを言うわけなかった。


 エレオノーラに無理に食べさせる資格などないし、食べてもらう術も知らない。


「ええと、今日は病み上がりですし、どうしても食べられないのなら……」


 なんとか誤魔化そうと言いかけた時だった。

 リオネルが唐突に口を挟んだ。


「食べさせてくれたら、食べる」

「だからーさっきからずっと、食べてもらおうと優しくしてるじゃないですかー」

「貴様じゃない!」


 そうしてまたじっとエレオノーラを見る。

 視線が訴えるものを察して、信じられない気持ちでいっぱいになりながらも尋ねた。


「えっ、あのう、もしかして……私、ですか?」


 リオネルはこくりと頷いた。

 いつもきっちりと整えられていた濃緑の髪は、今は自然にまかせ揺れている。彼自身の若さもあるが、それでも今の自然さはなんだか好ましい。

 非常に整ったその顔立ちは同じなのに。

 なんだかエレオノーラはドキドキと心が高鳴っていくのを感じる。


「お願いできますかー?」


 デリックは申し訳なさそうな言葉だけ添えて、当然とばかりに皿を差し出す。

 部下である彼からしたら、エレオノーラはリオネルの妻だ。そのくらいは有り得ると考えているのだろう。


 断る理由が見つからないエレオノーラは、デリックに代わってベッドの傍の椅子に腰を下ろした。受け取った皿には黄色いニンジンが三つほど残っている。


「外にいます、なにかあったら呼んでください」


 コーディがそう告げてから、デリックを強引に押すようにして部屋から出ていく。アンリもそれに続き、部屋に二人で残されてしまった。

 ぱたんと扉が閉まると、その場は一気に静かになった。


(どうしよう、なんだか気まずいわ)


 残されたエレオノーラは、まず匙でニンジンを転がしていた。

 ここリオネルとは最近まともな会話などなかった上、今彼は不測の事態で若返ってしまっている。一体どう接したらいいのかわからない。


 それでもようやく心を決め、まずニンジンを一つ掬い上げた。


「はい、ではどうぞ、あーん」


 促すように声をかけると、リオネルは素直に口を開く。そこに匙をそっと押し込むとエレオノーラは転がすようにニンジンを入れた。

 ただそれだけなのに、妙に緊張して匙を持つ手が震える。


「んー、うん」


 リオネルは数回噛んだだけでニンジンを飲み込んだ。いかにも強引に飲み込みましたといった喉の動きは、見ていて本当に苦手なのだろうとわかる。

 思わず子供に咎めるような口調で言ってしまう。


「リオネル様、お嫌いなのはわかりますが、よく噛んでください」

「わかっている、ちゃんと噛んだろう」


 見た目と言葉遣いからすると同じ年か、リオネルが少し上くらいだ。こうして軽口を交わしながら過ごすことはなんだか新鮮さを感じる。


「じゃあ次です、あーん」

「あーん」


 ニンジンは三つしかない。残りの二つもリオネルは適当に少し噛んだだけで飲み込んだ。

 あっという間に食べ終え、皿の中は空になる。

 リオネルは、食後の水を飲み始めた。明らかに口の中に残ったにんじんを消し去りたいと言わんばかりの態度だ。

 飲み終えて大きく息をつくと、リオネルはエレオノーラへと視線を向けた。


「ひとつ尋ねてもいいか?」

「はい?」


 じっと真面目な表情で見つめられ、エレオノーラはわずかに首を傾げた。


 するとリオネルは、すぐにふいと視線を逸らす。それからしばらくしてもう一度こちらへと視線が向く。

 どこか落ち着きがない。なにせ運び込まれた当日だ。色々と不安やわからないこともあるのだろう。

 答えられることなら答えてあげたい、そう思って言葉を待っていると、ようやく彼は口を開いた。


「その、令嬢である君にとても失礼なことを聞くかもしれない」

「なんでしょうか」


 令嬢、という言葉に引っ掛かりを感じたが素直に頷く。


「君の名が知りたい、まったく覚えていないんだ」


 尋ねられた瞬間、エレオノーラは息を呑んだ。しかし頭のどこかでやはりとも思う。

 リオネルの態度は、よく見知っていたものとまるで違っている。おそらく考えや記憶なども若返ってしまっているのだろう。

 だとしたら、二年間夫婦であったエレオノーラのことも知らないのだ。

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