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第29話 おはようを貴方へ


「同じ現象の再現は難しいですが、今後は穢れから魔力を抽出して利用する研究なども進めるそうです」

「そうか、穢れの被害が出ないように進めて貰いたいものだな」

「ええ、その不安を考えると研究の進みはなかなかに難しいでしょうね」


 アンリもそこは大きく頷く。

 今回の現象に基づいた研究、ということであればリオネルとエレオノーラが大きく関係してくることはなさそうだ。


「ではこれで検査は終わりで構わないか? 俺はこれから騎士団にも報告と確認に行かなければならない」

「それは明日でも構わないと思いますが、まあいいでしょう」


 どうやらリオネルはこれから仕事に戻るつもりのようだ。確かに今日くらいは休んだって誰もなにも言わないと思うのだが、こういうところがリオネルだ。


 諦め半分のエレオノーラを残して立ち上がろうとしたリオネルに、アンリが付け加えるように告げる。


「リオネルさん、念のため数日間はエレオノーラの治癒の術を受けてください」

「どういうことだ? 身体はなんの問題はないと、検査結果も出ただろう」

「それでも受けてください、戻るときにも穢れの魔力を利用しているのですから、必要なことです」


 念押しするようにアンリに言われ、リオネルはちらりと此方を見てから頷いた。なんとなく渋々といった雰囲気が出ている。

 エレオノーラは見なかったことにして、任せてくださいとしっかり頷く。

 それからリオネルのほうを見て安心してくださいとばかりに、にっこり笑顔を向けた。


 一瞬たじろいだように見えたから、効果はそれなりにあったろう。


 リオネルは今度こそ天幕を出て、仕事に戻ってしまった。おそらくデリックあたりに休んでいればいいのにと言われてそうだ。しかし仕事をしないと落ち着かないのだろう。


「ふう」


 遠ざかっていく背中を眺めるこの時間は、なんだか懐かしい。


「エレオノーラ、少し休憩しますか」

「いえ、大丈夫です、片付けを手伝います」


 リオネルではないが、動いていたほうが気分が紛れるだろう。


 結局リオネル本人からはわからなかったことがある。体調は問題なく戻っているようだが、若返っている間のことを覚えているかどうかが不明なのだ。

 本人に尋ねれば早いのだが、エレオノーラの中にそれは聞きたくないという思いがある。

 知らないと言われるのはやはり怖い。


「さて、どこから始めたらいいのかしら」


 あの様子からして今日の帰りは遅そうだ。

 ならばエレオノーラの勝負は明日からとなる。


 薬瓶や使用していた器具を運搬用の箱に入れていく作業など。黙々と片付けをしながら、エレオノーラは元に戻ったリオネルの攻略法をあれこれ練るのだった。



***



 エレオノーラは朝が非常に苦手である。


「おはようございます、リオネル様」

「……ああ」

「お、は、よ、う、ご、ざ、い、ま、す」

「おはよう、エレオノーラ」


 わざとらしく区切って繰り返すと、ようやく思った挨拶が返ってきた。

 ハルザート邸の食堂には、朝食がきちんと二人分準備されている。

 昨日、エレオノーラはリオネルが帰宅する前に、ロベルトやメリルに話をしていた。リオネルが元の年齢に戻ったこと、おそらく以前のように接するであろうこと。

 それを自分なりに変えたいという思いを伝えて、協力を頼んだのだ。

 二人とも、エレオノーラが真剣に頼み込むと出来る範囲でならばと応じてくれることになった。


 予想していた通り、昨夜のリオネルの帰りは遅かった。

 エレオノーラも出迎えはしたが、帰宅した彼に労いの言葉を掛けたところからは曖昧だ。しかしロベルトはしっかりといつも通り対応している。リオネルに屋敷内などの報告をし、翌日以降の予定までしっかり聞いた。

 今朝エレオノーラはいつもより早い時間にメリルに叩き起こされ、ロベルトからリオネルの予定を聞いている。そうして食堂で待っていたのだ。

 おそらくリオネルは、まだ寝ていると思っていたろう。

 そうして完全な不意打ちに成功したのだ。


「……随分早いんだな」

「はい、リオネル様は一晩経って体調はどうですか? 違和感などありませんか」

「問題ない」


 にこやかに、それでいてなるべく彼のペースに飲まれないように。話し掛けに気をつかうのも最初のうちだろうと思って会話をする。


 ロベルトや使用人は黙って朝食の準備を始めていく。

 リオネルはあの感情のよく見えない冷淡な佇まいで立っていたが、諦めたようだ。ひとつ大きめの息を吐いてから、朝食の席についた。


 まずはひとつめの難関を攻略出来たわけである。


 食事の最中はお互い無言だった。

 エレオノーラは朝が苦手なのだ。今日はメリルの手を借りてなんとか起きられただけで、そこまではっきり思考が働かない。

 リオネルのほうは特に話すことなどない、といった様子で食事をしている。


 ようやく会話があったのは、食後の茶を飲んでいる時だった。

 目覚めに良いハーブティーですっきりしてきたエレオノーラは、カップ越しにリオネルを眺めるようにしながら尋ねた。


「リオネル様は、本日これから騎士団へお出になるのでしょう」

「そうだ、改めて報告と連絡、残っている仕事の確認もしなければならない」


 今日ぐらいは休暇を取ってもいいだろうに。エレオノーラはそう思うし、おそらく騎士団の面々もそう考えているだろう。しかしリオネル本人はそうは思えないようだ。


「……おそらく昼過ぎには戻ってくる」

「そうなのですか?」


 しつこく絡んでいるせいか、珍しく追加の予定情報があった。カップを置いて注目すると、リオネルの淡い青の瞳がちらりと此方を見る。

 それだけでエレオノーラの胸はどきりと高鳴った。


「昨日聞いた話だが、近いうちに祝勝会をするそうだ」

「祝勝会、ですか?」


 聞きなれない言葉に首を傾げる。なんとなく想像するに、飛竜討伐を祝ってなんらか会を催すということだろうか。


「祝勝というのは単なる口実で、単なる夜会だ、嫌ならば参加しなくていい」

「え?」


 意外なことを言われた気がして、エレオノーラは目を瞬かせた。参加しなくていいということは、本来なら参加することになっているということだ。


「ええと、それは嫌でなければ参加してもいいのでしょうか?」


 騎士団でも精鋭である第二師団の副団長であり、ハルザート家という家柄もあるリオネルは、そういった夜会や社交界にもそれなりに縁がある。しかしその時にエレオノーラを同行させるのは、本当に必要だと判断したときのみだった。おそらくエレオノーラが平凡な家庭の出であることも理由にあるだろう。


 是非行きたいと毎回思っているわけではない。だが夜会などリオネルと距離を近くする絶好の機会ではないか。


 なんとなくそわそわした気持ちでリオネルを見ると、さっと視線を逸らされた。なんだか口元を手で覆っている。なんだか初めて見る反応だ。


「そんな嬉しそうな表情をする程の催しじゃない、声を掛けられれば挨拶だって必要になる、面倒ばかりだ」

「それでも行きますっ」


 確かに慣れていない不安はあるが、全く行かないわけではないし、なんとかしよう。

 そう心に決めて頷くと、リオネルが椅子の音をさせた。どうやらもう出掛ける時間のようだ。

 立ち上がりながら、話を強引に終わらせるように言い放つ。


「ではロベルトあとは任せる、エレオノーラの準備は適当に計らっておいてくれ」

「承知いたしました。それでは午後はお二人でお出掛けになれるよう、整えておきます」


 流れるように答えたロベルトに、リオネルの動きが固まった。

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