第26話 笛の音が響く
その時、王都とは反対の方角からなにかが聞こえてきた。嵐の日の風の音のような、空気を震わせるような音だ。
「作戦が始まったのでしょうか」
「まだだと思いますが、なにかあったのは間違いないでしょう」
それからすぐ、鋭い笛の音が平原に響き渡り、風を切るような轟音を響かせてなにかが上空を横切った。
今度はエレオノーラにもそれがなにか良く分かった。大きな翼を動かして滑空しながら、金の瞳をギラリと光らせている。
「飛竜だわ!」
「もしかしたら飛竜のほうでなにか察したのかもしれません」
一気に周囲騒がしくなる。自分の持ち場に慌てて戻ろうとする騎士が行き交い、指示のような叫び声が聞こえ始めた。
「あれを相手にするなんて……」
翼を広げた姿はかなりの大きさだ。討伐しなければいずれ被害が出るとはいえ、あまりにも無茶なのではないか。
エレオノーラは急に不安になってきた。しかし今出来ることは、胸の前で指を組んで祈るような気持ちで空を眺めるぐらいだ。
再び笛の音が響く。少し離れたところでなにかが瞬いたかと思ったら、光が打ちあがり空で弾けた。
「飛竜を誘き寄せているのかしら」
「来ます! 頭を低くしてっ」
怒鳴るように言われ、頭を抱えてしゃがみ込む。それでも気になってちらりと空を覗くと、一度は上空を通り過ぎたはずの飛竜が旋回して戻ってくるのが見えた。
大きく翼を動かして、此方のほうへ向かってくる。金の瞳がぎらりと光り、目が合っているわけでもないのに、エレオノーラが睨まれているような心地がする。
あんなのを相手にするなんて無理だ。思わずそう言いたくなる。
おそらく飛竜を見るほとんどの者がそう思って畏怖するから、討伐しなければならないのだろう。
光にうまく誘導され、飛竜は翼を大きく動かして光へと近付いていく。光りを警戒しているのかどうなのか、距離が近くなるにつれ動きがゆっくりになっていった。
もういる場所は真上に近い。いま落ちてこられたら皆押しつぶされてしまう。それどころか突然こちらを睨み、急降下してくるかもしれない。
悲鳴を上げることもできず、息を呑んで恐怖に固まったまま上空を見る。
次の瞬間、いくつもの光の柱が立ち上がり、飛竜目掛けて飛んだ。まるで光の矢か槍のようなそれは、飛竜を囲むように光を伸ばすとそのまま絡みつく。
光りはそのまま飛竜を上空から引き摺り下ろそうと、強い力で引き始めた。
「捉えたわ! このまま上手く拘束陣の上に落とせれば」
しかし次の瞬間、頭が割れそうなくらい大きな咆哮が響き渡り、飛竜が藻掻き抵抗し始めた。地上から伸びている光の柱との力は拮抗しており、すんなり飛竜を引き摺り下ろすことができていない。
「竜が落ちてくるぞー!」
「え?」
誰が叫んだかもわからないが、のどが張り裂けんばかりの怒鳴り声を聞いた。
次の瞬間、轟音と咆哮を響かせて、エレオノーラの居る場所から少し離れた平原に飛竜が落ちた。
思った以上に抵抗されたため、飛竜が予定と違う場所に落ちたのだ。
「あれが飛竜……」
上空にいる姿よりも、地上で見るほうが遥かに大きく見える。
よく見えるだけで離れてはいるのだが、まるですぐ近くにいるような迫力と大きさだ。
光の柱は、まるで蔓のように飛竜に巻き付いている。設置した拘束用の陣が使えないので、なんとかこの状態で挑むしかない。
再び大きな咆哮が響く。
飛竜への攻撃が始まったのだろう。光の蔓に巻き付かれながらも動かんとしている大きな片翼が見える。
「リオネル様っ!」
飛竜の翼へと剣を滑らせるように斬りかかっているのはリオネルだ。濃緑の髪は飛竜が身動きする時に起きる風に煽られている。
他にも騎士や戦士はいたが、エレオノーラの視線はずっとリオネルを追いかけていく。
ハラハラと見守ることしかできないが、リオネルは左右に素早く動きながら、翼に攻撃を続けている。
飛竜は大きいが、様々な方向から攻撃が繰り返され、とうとう片翼が動かなくなった。
「この調子でいければ、倒せるかしら」
振り払うように鋭い爪を持った前脚が動き、数人が弾き飛ばされる。
すぐさま治癒術らしき光も見えた。前線で治癒に当たっている者がいるのだろう。
あそこへ行って手伝いたい気持ちと、恐怖とがせめぎ合う。そもそもそんな指示の出ていないことをすれば、逆に足を引っ張るだけだ。
後方にも怪我人や疲労した魔術師が担ぎ込まれるようになった。
医師の治療と治癒の術が、それぞれの容態によって行われていく。エレオノーラへも担当として軽症への治癒が割り振られるようになった。
「ふう、これで大丈夫、あとはしばらく動かさないでください」
「ありがとう、痛みも和らいだし助かった」
何人目かの治癒を終えて報告したところで、ようやく状況が落ち着いてきた。
一息入れてくれという指示が出たので、エレオノーラも言葉に甘えることにする。
「状況はどうなったのかしら?」
治療者を収容している天幕から出て、飛竜のいる方を眺める。
飛竜の姿は見えているが、先ほどより動きが緩慢になっているような気がする。ただ威嚇するような咆哮は何度も聞こえてくる。
それぞれの持ち場や役割もあるから、ここから離れて近付くわけにはいかない。それは分かっているが、眺めるには少し遠いことがもどかしい。
その場で踵を上げたり左右に動いてみたりして、よく見える場所を探す。
ちょうど踵を上げたところで、一際大きな飛竜の咆哮が平原に響き渡った。
「あっ!」
飛竜が、巻き付く光の蔓を振り払うようにして上体を持ち上げた。ただ片翼が切られているせいで、羽ばたくことは出来ない。
金の瞳でぎらりと周囲を睨み、咆哮を上げている口元からは穢れが漏れている。
これ以上長引くと、平原にも穢れが広がってしまうし、戦っている騎士たちにもますます危険が広がっていく。
かといってエレオノーラには見ていることしかできない。足を引っ張っては駄目だ。
承知で参加を求めたはずだろう。そう自分に言い聞かせて、駆けだしそうになる足をその場に止めている。
飛竜がなにかに抗うように、首を振って抵抗する。さらに咆哮とともに大きく上体を動かす。
その次の瞬間、誰かが飛竜の胸元に飛び込むのが見えた。
「リオネル様!」
濃緑の髪が確かに見えた。
身を屈めるようにして上体を持ち上げていた飛竜の前に飛び込むと、そこから一気に飛竜の下側から剣を突き上げるように刺した。
「グォォォォォン!」
今までで一番大きな咆哮が響いた。最後の抵抗とばかりに、身体を捩っているがリオネルの剣は突き刺さったままだ。
剣は飛竜の核ともいえる心臓に届いているのだろう。
一瞬穢れらしきもやがあふれて、それから青紫の炎のようなものが剣を伝ってリオネルを包んでいく。
「あの時と一緒だわ、どうしよう」
あっという間に炎がリオネルを包む。
エレオノーラは咄嗟に飛竜に向かって駆け出した。
「すぐにリオネル様の元へ向かわなければ」
胸元から青紫の炎を吹きながら、飛竜が前向きに倒れるのが見えた。あの状態では、剣を突き刺したリオネルは、飛竜の下敷きになってしまったのではないか。
足がもつれそうになるが、エレオノーラは構わず前に進む。
響いていた飛竜の咆哮が収まり、平原に笛の音が響く。討伐を知らせる笛であろうそれを聞き、歓喜の声があちこちで上がり始めた。
「リオネル様、リオネル様っ」
エレオノーラは何度も呼びながら走った。




